http://dot.asahi.com/wa/2015032500076.html
業界で活躍中の北原先生に進言を申し上げます。戦後の男女平等論というのは、戦前の軍部がとった「産めよ増やせよ」の破綻した路線を回収するというのが本懐なのですよね、と同意を求めます。つまり、こういうことです。今の時代、自衛隊は近代的な装備を持っていますので、人海戦術をとることはありません。むしろ研ぎに研ぎ澄まされた、選びに選び抜かれた少数の若い人材に、通常の民間では考えられない値段の装備を与えて、適材適所に、事前の打ち合わせ通りに、王将のコックが注文通りにチャーハンを炒めるくらいの冷静さで、向こうの軍隊がこちらの領地に侵攻した時点で勝負は決まるから、それを防ぐというのが制服組幹部自衛官の考えのようで、今から北原先生やそのハラカラに、政府が適当に選んだ男性をあてがい、子供を産みなさいと強制することは、ありません。また、みなさんには戦後の達成というのがやはり存在して、身分は役職の男性よりは低いのかもしれませんが、PCを扱うような事務仕事はだいたい女性と相場が決まったのは、皆さんが自己犠牲的な献身さで勝ち得た立場ですので、これは身分の低い男性にはまねのできない立ち位置ですが、女性の皆様におかれましては、これからはこの立場を墨守するのが、よろしいのではないか、と思われます。ジェンダーフリーやアファマーティブアクションは、血や世襲的身分といった価値を言祝ぐのではなく、人民がアトム化し個人となり、個人の抱く能力が最大化するということが方針だったと思います。しかし、浮世の核心は資本を貯めて株式会社に消費者と認められこびを売られること。栄養ドリンクを飲み継いで24時間働けば、寿命も短くなりますし、幸運なことに高い身分を射止めても、やがては運がよかったということに認識は照準され、ツテやコネに依存してきたことに気がつき、自分の能力に依存しているわけではない事実をやがては受け入れ、追われる立場に焦る気持ちばかりが高ぶり、無責任な消費者として太平楽を決め込むにはちょっと筋違い。r>gという社会を更正される国際情勢になったならば、ホワイトカラーの正規雇用者は、内心いかばかりか、喩えることも恐れ多いことです。ダモクレスの剣とか、官打ちとかありますが、社会は世間知らずな若者を高い身分に押し上げておいて、はしごを外すのが大好きなのです。意識と志の高い女性の方にあらせましては、ちょっと時代が転変してしまいましたが、男性から仕事を奪い結婚を拒否されるともうやけになってきますから、あまり自分たちの立場を不幸だとは思わないで、また不健康なことはおよしになって、与えられた運命の仕事を、淡々とこなしてください。何気なくテレビをつけると、NHKの朝ドラで「まれ」がはじまるそうです。物語のつかみは、仕事のために生活を送る路線から、生活のために仕事をするという路線に変更する模様ですが、革新の側から規範を示したり啓蒙するのではなく、みな同じ生活者として内省する態度が必要だと思います。家父長を敵にし、上司を味方にする態度が革新の勢力を弱めましたが、過ちにそのうち気づくだろうと半ば手を離しつつ、半ば無責任に、楽観する態度を示します。しかし、天皇制のない社会にも家父長は存在しますし、フリーダムな機械的システムでは次の時代のリーダーは育めません。また、家父長という時に必要になる味方を敵に回し、上司という時には批判しなければいけない者を味方にしてしまったため、保守派に対して政治的正当性が勝ち取れなかったことは、我々の責任として反省しなければなりません。そして、社会的上昇を目的にするのであれば、女性は学生時代に稼ぐであろう男性を見つけ、親に力がある内に子供を産み、子供に手がかからなくなった時点で家庭年収で600万円を目指す方が、希望は戦争、夢は公務員という時代に、寄り添った態度ではないか、と思われます。現実の地に踏み固められた態度があるからこそ、理想の樹木は萌え上がるのだと信じます。