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一日ごとに日差しが強まり、今日はすっかり夏日でした。最近になってネット通販で、アメリカ産のミネラルウオーターを安く購入することができることがわかり、酒の飲めない身にはささやかな贅沢としてのどが潤います。物質的な嗜好品として、水を好むという体質は、万物は水より生まれるというタレスの哲学に一歩一歩近づいているのか、それとも糖尿病なのか、さだかではありませんが、健康には十分注意して参りたいと存じ上げます。今回キリン先生の提示なさった案件、つまり女性解放論は女性同士の自助努力から始まったから、女性解放論者は女性貧困層を優先して救済するという論理には、少なからぬ落胆を感じました。アメリカから公民権運動が始まってもう半世紀になりますが、女性の解放が男性の解放につながると信じた利他的な男性を裏切る言葉であって、今回のキリン先生のお言葉で傷ついたものは少なからず存在することでありましょう。女性がそうであったように、男性だって、不安や困難が憎悪や怒りに転化するのは論理的帰趨なのですから、大人の女性で、社会的に尊敬されるお立場の方が、そのような軽はずみなお言葉でお茶を濁すというのは、残念なことです。日本の広い意味での社会運動や社会思想が、どのように日本人を成熟させ成長させるのか、という期待があったところ、自分に降り注いだ咎を責任転嫁するそのご都合主義の姿勢に、この国の幼稚さと、怯懦な精神が未だ広く、いやかつてよりも巨大に、この国民の脳裏に巣くっているという事実を、キリン先生の精神に見出します。この時点になって自助というのであれば、あなた方は最初から自助と言うべきだった。私が学生であった頃の皆さんは確かに、男性は女性に無条件で席を譲れ、というメッセージを発していた。女性に席を譲ることが、どれだけ倫理にかなっているという学説が蔓延していたことは、キリン先生はご存じのはずです。それは私ではない、私はそんなことを言っていない。キリン先生のブログのコメント欄で、殺人犯は必ず非難されるという旨が示されておいでですが、これでは皆さんは詐欺師ではありませんか。公民権運動とはいうものの、つまりは権力闘争であった。口では美辞麗句で女性解放論を讃えはしたが、実際には黒く邪悪な配慮があった。そして権力闘争が昂じ、人口は減少した。皆さんは、人口の減少を捉えて、女性開放論が足らないとうそぶいている。あまつさえ、事の真相を知った男性を殺人犯であると誹謗している。権力は腐敗する、絶対的な権力は絶対的に腐敗するというのは昔の言葉ですが、この世で信頼を失った配偶者は、どのような去り状を示すのか、衆目が集まる場面であります。