http://gudachan.hatenablog.com/entry/2015/02/28/022310
日本には古事記と日本書記という古代の時代に書かれた二つの正史があり、決して無視できない規模の矛盾があるといわれています。歴史というのは戦争の勝者が記すものですが、それを敗者が受け入れることで秩序が生まれ、国民意識が涵養されると信じます。私の世代では、第二次世界大戦が日本側の敗北で終わり、臨戦態勢の米軍が宮城の一番高い場所に星条旗を立て、私たちの祖先はアジアにおける虚偽の夢をあきらめざるをえなかった、というところで句点を打たれていました。しかし、私の世代がネトウヨ化したというのは、こういうことです。今の時代に取りざたされる従軍慰安婦の問題、あるいは南京大虐殺の問題というのも、正史として受け入れるのか、それとも外国のナチオナリズムが発展させた陰謀だったのか、直近では朝日新聞の誤報事件でクローズアップされて日本人に意識されました。guda氏は簡単に国際秩序を持ち出しますが、私が学生のころ耳にした話と違う奥行きが与えられてしまい、古事記と日本書紀の違いのように、たとえ国際秩序の要求する正史であっても、ジャーナリストの報道ごとに矛盾したポイントが指摘されたのなら、それが秩序や平和を生むということであっても、検討する態度を示さなければ、科学的で合理的な態度ではありません。歴史上、その国の正史が覆されるということはいつでも起こりえます。幕末の騒擾も、敗戦の混乱も、武力によって正史が覆されたから起こりました。正史が覆されて、祖国への信頼が失墜したのです。現在の日本では、武力による革命ではなく、これでも平和裏に漸進的な手法で正史が覆されている。今の時代の正史とはつまり、経済的発展のことです。この時代のトピックである経済力を寿ぐのであれば、その論理はこの時代のローマに通じ、アメリカに通じます。嫌米の路線もあるにはあるのですが、今の中韓を見ると、なかなか判断が難しくなります。経済力を寿ぐコミュニケーションをするから、弱者はルサンチマンを溜め込むのだと推理しますが、もしguda氏が経済力を寿ぐ以外の路線を模索するのであれば、また進む道は変わるのだと朦朧と想像します。しかし、戦争を反省するという戦後の正史と、冷戦期におけるアメリカの施政はよく馴染んでいたのだと理解しますが、冷戦が終わり、アメリカの自衛隊を下請けにしたい思惑と、自分たちは戦勝国であるという立ち位置の宣告が化学反応して激しく燃焼するからネトウヨが大量発生すると認識しますが、それを国民の覚醒と呼ぶのか、歴史修正主義と呼ぶのか、今の段階では判断がつきませんが、これも次の時代の勝者が決めることなのでしょう。ある革命家が、都会のサラリーマンになる以外の道を模索することが、つまり辺境に生きることがこの時代を生きるヒントになると訴えたと伝えられておりますが、いかがでしょうか。
日本には古事記と日本書記という古代の時代に書かれた二つの正史があり、決して無視できない規模の矛盾があるといわれています。歴史というのは戦争の勝者が記すものですが、それを敗者が受け入れることで秩序が生まれ、国民意識が涵養されると信じます。私の世代では、第二次世界大戦が日本側の敗北で終わり、臨戦態勢の米軍が宮城の一番高い場所に星条旗を立て、私たちの祖先はアジアにおける虚偽の夢をあきらめざるをえなかった、というところで句点を打たれていました。しかし、私の世代がネトウヨ化したというのは、こういうことです。今の時代に取りざたされる従軍慰安婦の問題、あるいは南京大虐殺の問題というのも、正史として受け入れるのか、それとも外国のナチオナリズムが発展させた陰謀だったのか、直近では朝日新聞の誤報事件でクローズアップされて日本人に意識されました。guda氏は簡単に国際秩序を持ち出しますが、私が学生のころ耳にした話と違う奥行きが与えられてしまい、古事記と日本書紀の違いのように、たとえ国際秩序の要求する正史であっても、ジャーナリストの報道ごとに矛盾したポイントが指摘されたのなら、それが秩序や平和を生むということであっても、検討する態度を示さなければ、科学的で合理的な態度ではありません。歴史上、その国の正史が覆されるということはいつでも起こりえます。幕末の騒擾も、敗戦の混乱も、武力によって正史が覆されたから起こりました。正史が覆されて、祖国への信頼が失墜したのです。現在の日本では、武力による革命ではなく、これでも平和裏に漸進的な手法で正史が覆されている。今の時代の正史とはつまり、経済的発展のことです。この時代のトピックである経済力を寿ぐのであれば、その論理はこの時代のローマに通じ、アメリカに通じます。嫌米の路線もあるにはあるのですが、今の中韓を見ると、なかなか判断が難しくなります。経済力を寿ぐコミュニケーションをするから、弱者はルサンチマンを溜め込むのだと推理しますが、もしguda氏が経済力を寿ぐ以外の路線を模索するのであれば、また進む道は変わるのだと朦朧と想像します。しかし、戦争を反省するという戦後の正史と、冷戦期におけるアメリカの施政はよく馴染んでいたのだと理解しますが、冷戦が終わり、アメリカの自衛隊を下請けにしたい思惑と、自分たちは戦勝国であるという立ち位置の宣告が化学反応して激しく燃焼するからネトウヨが大量発生すると認識しますが、それを国民の覚醒と呼ぶのか、歴史修正主義と呼ぶのか、今の段階では判断がつきませんが、これも次の時代の勝者が決めることなのでしょう。ある革命家が、都会のサラリーマンになる以外の道を模索することが、つまり辺境に生きることがこの時代を生きるヒントになると訴えたと伝えられておりますが、いかがでしょうか。
http://nectaris.hatenablog.com/entry/2015/02/25/023720
日本は成功した資本主義の国で、市民の貯蓄が巨大で、生産・供給に比して需要が少ないので、消費者の力が相対的に強い国です。戦後社会で発達したもののひとつに、テレビ放送で需要喚起する技術が発達しましたが、彼らがターゲットとするのは昼間にテレビを見ていられる専業主婦層です。亭主元気で留守がいい、とかつて盛んに訴えておりましたが、生活を送る上で、何を買い何を買わないのか、産業に直接携わる男性ではなく、テレビの悪影響を受ける専業主婦の女性に決定権が与えられているわけですから、イギリスの状況は存じ上げませんが、ピンクでキッチンの住人は、ヘテロカップルで多くの収入があるという条件がつきますが、この資本主義の日本においては、無視できない、だいぶ力をもった権力者なのではありませんか。月に十数万の消費を行う程度のことで、権力者意識を持てといわれても、なかなか難しいことであるかもしれませんが、幸福とは光のようなもので、目をつぶってしまえば存在しなくなるものです。
日本は成功した資本主義の国で、市民の貯蓄が巨大で、生産・供給に比して需要が少ないので、消費者の力が相対的に強い国です。戦後社会で発達したもののひとつに、テレビ放送で需要喚起する技術が発達しましたが、彼らがターゲットとするのは昼間にテレビを見ていられる専業主婦層です。亭主元気で留守がいい、とかつて盛んに訴えておりましたが、生活を送る上で、何を買い何を買わないのか、産業に直接携わる男性ではなく、テレビの悪影響を受ける専業主婦の女性に決定権が与えられているわけですから、イギリスの状況は存じ上げませんが、ピンクでキッチンの住人は、ヘテロカップルで多くの収入があるという条件がつきますが、この資本主義の日本においては、無視できない、だいぶ力をもった権力者なのではありませんか。月に十数万の消費を行う程度のことで、権力者意識を持てといわれても、なかなか難しいことであるかもしれませんが、幸福とは光のようなもので、目をつぶってしまえば存在しなくなるものです。