珈琲ひらり

熱い珈琲、もしくは冷珈なんかを飲む片手間に読めるようなそんな文章をお楽しみください。

あなたを………

2006年06月28日 | 降る雨のウタ
 あなたを私は愛していました。
 あなたに愛されたいと私は願っていました。
 あなたを私の物にしたいと私は願望を抱いていまいました。
 だけど私は知っていました。
 もしも私があなたに私の思いを告げて、例えそれで私があなたと結ばれても、でも私はそれであなたと幸せにはなれない事を。
 あなたは私の太陽でした。
 私は地を這うものでした。
 私はあなたに愛されるにはあまりにも汚れすぎていたのです。
 だから私はあなたを汚したいと想いました。
 泥沼の中に居る私の心をどれだけ綺麗に洗おうが、私は私の心が綺麗になるとは想いませんでしたから。
 どれだけ洗おうが真っ白にならないモノを洗い続けるよりも、
 真っ白なあなたの心を泥沼に沈めて汚す方が楽だと思ったし、
 そして私は、愛するあなたに私と同じように泥沼に沈んで欲しいと思ったのです。そうすれば真っ白なあなたは私と同じように汚れるから。
 そうして私はそれを実践しました。
 そうして私は汚れてしまったあなたへの愛にいとも簡単に冷めてしまったのです。
 私は私があなたを汚す事であなたを私と同じにした時に気がついたのです。
 私がどうして本当にあなたを愛していたのかその理由を。
 私があなたに恋い焦がれていたのは、
 私があなたを愛していたのは、
 私がどうしようもなく汚れていて、
 あなたが泣きたくなるぐらいに真っ白で、綺麗だったからなのです。
 私は真っ白で汚れの無いあなたが好きだったのです。
 ひまわりがいつも恋い焦がれて太陽だけを見ているように、
 地に咲く偽者の大輪の黄色い花が、天上の蒼の中で咲き誇る大輪の黄金の花に憧れるように、
 私は泥沼の中で、泥に塗れながら、真っ白な汚れの無いあなたが好きだったのです。
 あなたが汚れきった私とは正反対だから。
 だからこそ。
 だけど私は私に見合うようになると思ったからあなたを汚したけど、
 私は私と一緒になってもらいたくってあなたを汚したけど、
 でもごめんなさい。汚れてしまったあなたは私の求めるものとは、私が欲しいものとは、私が愛したあなたとは違うのです。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 どれだけ言葉を尽くそうが私と同じように汚れてしまったあなたが元のように真っ白に戻る事は無いと汚れてしまっている私は知っているけど、それでも私は言葉を尽くして私が私と一緒になってもらいたくって、私が隣に居てもらえるようにと思って、汚したあなたに謝り続けます。


 もしも私があなたを愛した事を後悔するとしたら、どこから後悔するのが正しいのでしょうか?
 そもそもあなたを愛した事を後悔するべきでしょうか?
 私のような汚れたモノが真っ白なあなたを愛するべきではなかった、と。
 いいえ、私はそれを後悔はしたくはありません。
 あなたを汚し、汚したあなたを捨てた私だけど。
 あなたを愛した事は、愛せた事は、あなたを思う事は、あなたが今している事を想像する事は、一日の終わりにあなたと交わした言葉を想い返す事は、とても幸せでしたから。
 その時だけは私は自分がとても醜い化け物である事を忘れていられたから。
 後悔するとするのであれば遠くからあなたへの愛にこの身を満たす幸せに満足する事が出来ずに、隣であなたを愛し、愛される事を願い、真っ白だったあなたを汚した事を後悔するべきなのでしょう。


 もしも真っ白なあなたを愛した私に罪があるのだとすれば、それは汚れた私の真っ白なあなたへの愛の真の意味に気付けなかった事、
 もしもこんなにも汚れた私を愛してくれた真っ白なあなたが一番最初に汚れてしまったその罪があるとすれば、それは同情からこんなにも汚れてしまった私を愛した事、
 私が本当のあなたへの愛を知らなかったように、
 あなたがあなた自身の汚れの無い白さを知らず、自分に自信がもてなかった事。


 それでも私は私が新たに抱いた罪を知り、
 その罪に塗れながら、
 私を愛するあなたを、私が漬かる泥沼に沈めるのです。
 それが私が汚してしまったあなたにできる唯一の謝罪だから。



フリーデリーケ・ベルンカステル。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿