勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
振り返りながら 日々の生活も綴ります

1979年エジプト・ギリシャ旅行 その4

2017-11-06 | 風景・地形2

アテネ

 

1979年4月、エジプトのカイロから、ギリシャのアテネに飛んだ。

ギリシャと言えば、アテネ、アテネと言えばアクロポリスを思い起こすが、アテネのアクロポリスはギリシャの象徴であるばかりでなく、近代ヨーロッパ文明の象徴でもある。現代の人々が、文明の故郷を求めて、ギリシャを訪れるのは、ヘレニズム文化がローマ人によって継承され、のちのヨーロッパ文化の一つの源泉となっていることにあると思われる。

リカヴィトスの丘から市内/アクロポリス/フィロパポスの丘を見る。

 

 

逆にフィロパポスの丘からアクロポリス/リカヴィトスの丘を見る。

 

アクロポリスには古典期の華、パルテノン神殿やエレクティオン神殿、ローマ人によって建設されたブーレーの門などの建物がある。

アクロポリスは3回目のペルシャ戦争(紀元前480-479年)で破壊つくされ、その後、ペリクレースの黄金時代になって、再建機運があがり、パルテノン神殿は紀元前447年に着工され、紀元前432年に完成された。

しかしながら、そのアクロポリスはローマ人の支配以降、キリスト教会に改築されたり、火薬庫/兵舎に利用されたり、回教徒のモスクが建てられたり、戦争により砲撃されたり、彫刻物が盗難にあったり、苦難の歴史だった。

1833年に、ギリシャがトルコから独立し、アクロポリスの丘の上の整備、発掘、再建がなされた。これは現在までつづけられている。

 

前門(プロピュライア)

 

パルテノーン神殿

 

パルテノーン神殿の側面

 

修復中のカリュアーティデス(少女像の柱)

 

アクロポリスへ参道をのぼりつめると前門(プロピュライア)の中央へ通じています。この前門はパルテノーン神殿の完成後すぐ着工されたが、ペロポネーソス戦争が起こった為、工事は中断されてしまった(紀元前432年)。 従い、門の前には未完成の太い柱が何本も残っている。

 

前門を抜け出ると、真っ先に目に飛び込んでくるのが、右斜め前方にそびえるパルテノーン神殿です。飾気のない、少しふくらみのあるドーリア式の太い柱がならんでおり、堂々たる雄姿です。柱の脚部は中央部のふくらみをそのまま下へ流しており、頭部へ上がって行くにつれて、次第に幾分細くなっている。このエンタシス様式は遠く離れた日本にも伝わっており、法隆寺の回廊の柱にも採りいれられている。

 

エレクティオン神殿は紀元前420年に工事が始められ、火災などの為、前395年に完成した変則的な複合神殿です。南面には六体の少女像の柱がある。頭に供物を入れたかごをのせ、イオーニア風の衣をまとい、少し緊張した様子で、半歩前に踏み出そうとしています。アッテッカ芸術の極地と言うべき、優しい美しさが見られます。

 

参考:

アクロポリスの衛星写真がGOOGLE MAPSで見れます

Acropolis: Pointer  37°58'18.59", 23°43'37.59"

 

トップへ戻る(全体表示)

 


ランキングに参加中。クリックして応援をお願いします。

にほんブログ村 写真ブログ 写真日記へにほんブログ村



最新の画像もっと見る

コメントを投稿