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庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

リリエンタールと安吾の息子

2005-05-30 15:06:59 | 大空
ことさらここに書くようなことでもないかもしれないが、リリエンタールの資料をネットで眺めているうちに、坂口安吾の長男が書いた一文に出合った。彼の本の一部分をご自分のHPで公開しているものだ。

ことさら・・・というのは、彼のリリエンタール(のみならず数人のパイオニア)に対する認識や評価があまりにも浅薄で、それを更に私が評価してもあんまり意味がないだろうと思ったからだ。ただ、長い間、私の中で鉛のように重く沈殿している或るテーマを再び意識に浮上させる切っ鰍ッになったのは事実なので、少しだけ触れておこう。

彼は少年時代にリリエンタールについて書かれたものを読み、「生まれてはじめて私が魅せられた乗り物は、飛行機・・」となり、Uコン機から始まってラジコン機の世界にはまっていくことになる。そして「こうして飛行の道を歩むようになり、たちまち立派な飛行少年になった。もう頭の中は飛行機のことだけで夜も日も明け暮れ、私の感受性をくすぐるものは美しく宙を舞う飛行機の姿と、明け方の空のグラデーションぐらいだった。」と書く。しかし今に至るまで、自ら飛行することはない。

「見ること」と「行うこと」は極めて密接な関係を持っていて、大概「行うこと」の端緒は「見ること」から始まるのだが、両者の間には厳然とした隔壁がある。そして、「見ること」しか経験しない人間が、何かを生命懸けで「行っている」人間を評価する場合は、人間として余程の節度と覚悟を持つべきだろう。

こんな考えが、先に書いた私の「或るテーマ」とリンクしてくるのだが、今回は以下に彼の一文を抜粋して終える。安吾の息子は確かに安吾ではなかった。

「私の想像では、ある日、彼はより滞空時間を延ばすべくグライダーにさらなる工夫をしたか、飛行中に冒険的な飛行術のトライをした。それは彼がそれまでもおこなってきたことの延長で、それなしでは彼の飛行の進歩は望めないのだがからリリエンタールの日常はすべてこの積み重ねにすぎなかったわけだが。そしてその中の一つの思いつきが裏目にでてしまったのである。
 その結果として突然の死が彼のうえに訪れてしまったわけだが、実に呆気なく、バカバカしくもロマンチックである。
 よく腹上死した男の葬儀などで囁かれる、あの人も好きなことをしてて死んだんだから本望だね、なんて無責任な会話と同じレベルでリリエンタールの死もくくられてしまう。
 女の上での死も鳥型木製グライダーでの墜落死もはたから見て決してカッコウのいい物ではない。ハリキリすぎて無茶をしヘマを踏んだ結果の情けない死に方なのだから、笑われて当然である。」