7. 八重咲きの❛相模しだれ❜は、❛垂枝緋桃❜
『広益地錦抄 8巻』 国立国会図書館蔵
『本草図譜』 国立国会図書館蔵
紅花で八重咲きの枝垂れ桃は、元禄年間に、すでにありました。
『花壇地錦抄(くわだんぢきんせう)』に、❛しだれ紅桃(かうたう)❜の名で、4つの輪と2つの蕾が描かれています。
そして、本文には、「紅しだれ しだれもゝの色 少あかき物なり」と、記されています。
また、1739(元文4)年の『本艸花蒔絵』にも、見られます。
目録には、「紅下垂(こうしだれ)」、画には、「紅しだれもゝ」と、名が記されています。
そして、本文には、「紅下垂桃(こうしだれもゝ) 濃もゝいろ やゑ 大りん 花数多く付き 木のたれ ながめすぐれてよし」と、記載されています。
それでは、『本草図譜』に描かれている、八重の❛さがみしだれ❜は何なのでしょうか。
それは、『三千とせ』に載せられている❛垂枝緋桃❜です。
『三千とせ』には、開いた花が2つと蕾が1つ描かれています。
表を向いている花に見られる花弁數は、20枚前後です。
裏面から見られる花弁の数は、18枚です。
花弁は、緋色です。
雄しべの数は多く、色は薄ピンクです。
萼片は10枚あり、浅茶色が見られます。
ここで注目すべき点は、6つ見られる旗弁です。
現在どこにでも見られる八重咲きの❛相模枝垂❜にも、同様に多くの旗弁が現れます。
江戸時代の後期、緋色で八重咲きの枝垂れ桃は、❛垂枝緋桃❜以外に見当たりません。
次に、『本草図譜』における誤記載について、私見を述べてみます。
『三千とせ』には、❛さがみしだれ(一重)❜、❛垂枝緋桃❜および❛垂枝さらさ❜の、3つのシダレモモが描かれています。
当時流通していた、これらの枝垂れ桃を『本草図譜』に載せるにあたり、❛垂枝さらさ❜は❛さらさしだれ❜としています。
ところが、八重の❛垂枝緋桃❜を誤って❛さがみしだれ❜としてしまったため、一重の❛さがみしだれ❜を省かざるを得なかったのが、真相だと思います。
この『本草図譜』は、数多く模写されて販売されたため、人の目に触れる機会が多くありました。
いつの間にか、八重咲きの紅枝垂れ桃が、❛さがみしだれ❜として定着してしまいました。
一方の『三千とせ』は、原本しか作られず、その上松平家に秘蔵されていました。
そのため、本来の❛垂枝緋桃❜の品種名は、忘れ去られる運命となってしまいました。
更に悪いことに、一重咲きの❛相模しだれ❜が、駒場以外に広まらなかった事も、その原因の1つと考えられます。
『浴恩春秋両園梅桃雙花譜』 国立国会図書館蔵
『浴恩春秋両園梅桃雙花譜』 国立国会図書館蔵
※ しばらくの間、休みます。
『広益地錦抄 8巻』 国立国会図書館蔵
『本草図譜』 国立国会図書館蔵
紅花で八重咲きの枝垂れ桃は、元禄年間に、すでにありました。
『花壇地錦抄(くわだんぢきんせう)』に、❛しだれ紅桃(かうたう)❜の名で、4つの輪と2つの蕾が描かれています。
そして、本文には、「紅しだれ しだれもゝの色 少あかき物なり」と、記されています。
また、1739(元文4)年の『本艸花蒔絵』にも、見られます。
目録には、「紅下垂(こうしだれ)」、画には、「紅しだれもゝ」と、名が記されています。
そして、本文には、「紅下垂桃(こうしだれもゝ) 濃もゝいろ やゑ 大りん 花数多く付き 木のたれ ながめすぐれてよし」と、記載されています。
それでは、『本草図譜』に描かれている、八重の❛さがみしだれ❜は何なのでしょうか。
それは、『三千とせ』に載せられている❛垂枝緋桃❜です。
『三千とせ』には、開いた花が2つと蕾が1つ描かれています。
表を向いている花に見られる花弁數は、20枚前後です。
裏面から見られる花弁の数は、18枚です。
花弁は、緋色です。
雄しべの数は多く、色は薄ピンクです。
萼片は10枚あり、浅茶色が見られます。
ここで注目すべき点は、6つ見られる旗弁です。
現在どこにでも見られる八重咲きの❛相模枝垂❜にも、同様に多くの旗弁が現れます。
江戸時代の後期、緋色で八重咲きの枝垂れ桃は、❛垂枝緋桃❜以外に見当たりません。
次に、『本草図譜』における誤記載について、私見を述べてみます。
『三千とせ』には、❛さがみしだれ(一重)❜、❛垂枝緋桃❜および❛垂枝さらさ❜の、3つのシダレモモが描かれています。
当時流通していた、これらの枝垂れ桃を『本草図譜』に載せるにあたり、❛垂枝さらさ❜は❛さらさしだれ❜としています。
ところが、八重の❛垂枝緋桃❜を誤って❛さがみしだれ❜としてしまったため、一重の❛さがみしだれ❜を省かざるを得なかったのが、真相だと思います。
この『本草図譜』は、数多く模写されて販売されたため、人の目に触れる機会が多くありました。
いつの間にか、八重咲きの紅枝垂れ桃が、❛さがみしだれ❜として定着してしまいました。
一方の『三千とせ』は、原本しか作られず、その上松平家に秘蔵されていました。
そのため、本来の❛垂枝緋桃❜の品種名は、忘れ去られる運命となってしまいました。
更に悪いことに、一重咲きの❛相模しだれ❜が、駒場以外に広まらなかった事も、その原因の1つと考えられます。
『浴恩春秋両園梅桃雙花譜』 国立国会図書館蔵
『浴恩春秋両園梅桃雙花譜』 国立国会図書館蔵
※ しばらくの間、休みます。