脚気(2)
陸軍では、海軍のようにはいかなかった。
陸軍では“軍隊に入れば、銀シャリ(白米)が食べられる”が魅力の一つであった。
兵食には白米が多量にだされたが、副食は貧弱だった。
また、陸軍省の森軍医総監(森鴎外)は、“米食でも十分栄養が取れるので、西洋風の兵食にする必要なし”との考えだった。
海軍での兵食改善の結果から、米と麦の混食も提言されたが、学理が明らかでないとの理由から却下される。
森に限らず、脚気の原因は未知の細菌による伝染病ではないか、との意見を持つ医師、専門家が多かったのだ。
しかし、日清戦争で、陸軍は4万人もの脚気患者を出した。
戦闘による死者が450人だったのに、脚気による死者は4千人に及んだ。
その後、陸軍の兵食は米麦混食となり、脚気患者は減少する。
しかし,戦地では白米食になり、脚気が猛威を振るった。
民間でも白米を主食とする人が増え、脚気患者が増加する。
明治末期には、脚気患者は年30万人に達し、死者も年6千人を超えた。
漢方医学では、白米をやめ、麦や雑穀、小豆を食べることにより、脚気の症状が治まることが知られていた。
しかし、微量栄養素の欠如が原因との考えには至らず、多くの対処療法の一つとして見過ごされてしまった。
参考図:「脚気と軍隊」、荒木肇、並木書房、2017