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トラファルガル海戦(25)

 原本はイギリス人、Shippen Edwardにより書かれた「Naval battles of the world: from Salamis to Japan Sea」(1905年刊)で、サラミスの戦いから日本海海戦までの歴史的な海戦を紹介している。 日本は周囲を海に囲まれてはいるが、とても海洋国家とはいえない。歴史の舞台では忘れられがちな部分にスポットを当ててみよう。

TRAFALGAR (25)
 Although sure to suffer most from the effects of fire, the Redoutable continued the throw hand grenades from her tops and yard-arms, some of which, rebounding, set fire to her fore and main chains and shrouds. This fire communicated to the Temeraire, but was soon extinguished by her people.

 The Victory’s crew, after putting out a fire on the booms of that vessel, actually assisted in putting out the flames on board the Redoutable, throwing buckets of water from their ship.

 For a quarter of an hour after Nelson had received his wound the Victory maintained a steady cannonade at the hull of the Redoutable, receiving in return a fire of musketry which continued to kill or wound many officers and men. It was a little after two when the main and mizzen masts of the French ship fell. This stopped her formidable musketry, and the two English ships prepared to take possession of her.

 The Victory, however, tumbled home so much that, the Frenchman’s ports being shut, her men could not board. The Temeraire, being French built, did not tumble in much, and she had, besides, the fallen mizzen-mast as a bridge-and down the latter the crew of the Temeraire scrambled, and boarded and took possession of the most gallantly fought French ship.

トラファルガル海戦(25)
 砲撃により大部分の損害を被ってはいたが、ルドウタブルは檣楼やヤード端から手榴弾を投げ続けた。  それらのいくつかはリバウンドして自船の前部と主錨鎖とシュラウドに火をつけた。  この火はテメレーアに燃え移ったが、すぐに水兵により消された。

 実際、ヴィクトリーの乗組員は自船のブームに付いた火を消した後、自船から水バケツを投げ込んでルドウタブルでの火災を消す手助けをした。

 ネルソンが傷を受けてから15分の間、ヴィクトリーはルドウタブルの船体へ砲撃を浴びせ続けた。  そのお返しとしてマスケット銃による射撃を受け、多くの士官や水兵が次々と殺傷された。  ルドウタブルのメインとミズン・マストが倒れたのは2時少しすぎだった。  これにより恐るべきマスケット銃による銃火がストップしたので、2隻のイギリス船はルドウタブルを拿捕しようとした。

 しかしながら、ヴィクトリーのタンブルホームの傾斜がきつく、ルドウタブルの砲門も閉じられていたので、ヴィクトリーの乗組員は相手船に乗り移れなかった。  フランスが作ったテメレーアは舷側傾斜がきつくなかったので、倒れたミズン・マストを橋として使い、テメレーアの乗組員は先を争って相手船に乗り込み、この最も勇敢に戦ったフランス船(ルドウタブル)を拿捕したのである。

(ひとこと)
 ナポレオン戦争は、国同士が総力をあげて戦う近代戦の幕開けだった。  フランスは国民国家として誕生しようとしていた。  他の国はまだ絶対王政だったが、人々はフランス革命から刺激を受け、民族意識、国民意識が高まった。  もはや戦争は王家がコントロールできるものではなくなったのである。  この流れは、南北戦争、ドイツ、イタリア独立戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦へと、より大規模に、より激しくなっていったのである。
〔参考図:「世界の歴史・ヨーロッパの革命」、講談社〕
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