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第6話(4)

すべては藍色の闇の中(4)

 中国では1976年文化大革命の動乱が終焉し、トウ小平の指導の下、「四つの現代化」を旗印に掲げた。
今までの自力更生路線から180度転換、開放政策により経済発展を目指したのだ。

 そのためには資金がいくらあっても足りない。
75年の日本の不審な調査船騒動をきっかけに、中国当局も日本やアメリカ、台湾などから阿波丸に関する情報を集めた。
その中に、阿波丸に金塊が積まれており、それらの積荷の価値は天文学的数字になる、という説があり、当局をひきつけた。

 中国は1977年、阿波丸船体を発見した、と発表した。
直ちに、巻き上げ能力が2500トンという大型のクレーン船2隻を、日本の石川島播磨重工(株)に発注した。

 そしてついに1979年はじめ、中国は阿波丸船体の引き揚げに成功した。
しかしどこを探しても、金銀財宝はひとかけらも発見されなかった。
ただ、錫のインゴットが300トン余、回収されただけだった。

 こうして「阿波丸は宝船」の夢は、東シナ海に沈んだ北朝鮮の潜水艦と共に、海中に消え去った。

 その後中国から、阿波丸で収集した遺骨300余体、遺品1600余点が日本に返還された。
足達の母の元に、厚生省から小包が届けられた。
小箱の中に10cm長さの木片が入っていた。
添えられた文書には、「阿波丸の船室にあったテーブルを小分けしたもの」とあった。

        ――― 完 ―――
     
     
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