8.その後
この戦役で得たものは、何もなかった、誰にとっても。
豊臣家は出兵した武将に恩賞を与えることができないばかりか、多額の出費でその財政はひっ迫した。
西国諸藩の将兵の損失はなはだしく、2年後の関ヶ原合戦での西軍敗退の一因となった。
小西行長は“武”一点張りの武将ではなく、兵站を考え、戦いの落としどころを考えられた、数少ない武将だったのではないだろうか。
行長は朝鮮戦役で世話になった石田三成に恩を感じ、関ヶ原合戦では西軍に味方する。
戦いに敗れたのち、三成らと共に、行長は斬首された。
参考図:Wikipedia、「小西行長」