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英語で読む海戦史(67)

原書は、著名なアメリカの海戦史家Samuel Eliot Morisonの「The Two-Ocean War」です。内容は第2次世界大戦におけるアメリカ合衆国海軍の太平洋と大西洋における戦いを描いたものです。日本との太平洋における戦いの部分に関しては、光人社から「モリソンの太平洋海戦史」(大谷内一夫 訳)として出版されています。あまり知られていない、ドイツとの大西洋における戦いの部分に関して、英語の勉強をかねて読んでみました。

(原文)
Chapter ⅩIII The Navy in the Invasion of France( 1944 )
67.
On 26 April 1944 Admiral Ramsay and staff took up headquarters at Southwick House, an old country mansion seven miles from Portsmouth. Here Ramsay was frequently visited by Admiral Kirk, and by Generals Eisenhower and Montgomery. Southwick House now became the nerve center for NEPTUNE-OVERLORD, where the great decisions were made.

The culmination of the joint training program was a couple of full-scale rehearsals in late April and early May. Troops and equipment were embarked in the same ships, and for the most part in the same ports, whence they would leave for the Far Shore, as everyone now called the coast of Normandy. One rehearsal was ruined by German E-boats bursting into it in Lyme Bay and sinking two LSTs, with a loss of almost 200 sailors and over 400 soldiers.
            
(訳)
第13章 フランス侵攻での海軍( 1944年 )
67.
     1944年4月ラムゼー提督と幕僚は、ポーツマスから7マイルはなれた古い田舎風邸宅、サウスウィック・ハウスに本部をかまえた。  そこでラムゼーはたびたびキーク提督やアイゼンハウアー将軍、モントゴメリー将軍の訪問を受けた。  サウスウィック・ハウスはいまやネプチューン・オーバーロード作戦の中枢センターになり、そこで重要な決定がなされたのである。

     統合訓練プログラムは4月末と5月初めでの2つの総合的なリハーサルで最高潮を迎えた。  部隊と装備は同じ船に積み込まれ、今や誰もがノルマンディ海岸と呼んでいる“遠くの浜辺”に向け離れるであろう、ほぼ同じ港に集まった。  一つのリハーサルはドイツのEボートにより損害を受けた。  Eボートはライム湾に突入し、2隻のLSTを沈め、約200人の水兵と400人を超える兵士を殺した。

(注釈)
     Eボート:
 ドイツ海軍のSボート(高速艇、Schnell boote)を英米軍ではEボートと呼んでいた。  艦の種類は魚雷艇に分類される。 ドイツ海軍では艦番号の前に、駆逐艦にはZ、水雷艇にはT、魚雷艇にはS、掃海艇にはMかRをつけた。   
〔参考文献:広田厚司著「ドイツ海軍入門」、光人社NF文庫〕

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