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第4話(2)

 ペルシャ湾波高し(2)

[カーター大尉の話(その1)]
 イラン・イラク戦争が泥沼化するなかで、タンカー戦争が始まった。

 イラクがイラン発のタンカーや商船を、イランはイラクを援助するクウェートやサウジアラビア発のタンカーや商船を攻撃した。
このため、戦争は世界各国を巻き込むことになった。

 1988年、アメリカはペルシャ湾を睨んで中東艦隊を増強、さらにクウェート発タンカーを護衛するようになった。
イスラム革命以来、反米姿勢を強めていたイランは、ここで明確にアメリカと対決する考えを表明した。

 イランが艦船や高速艇をつかって、星条旗を掲げたタンカー船団を攻撃したり、航路に機雷を敷設するに及んで、アメリカ海軍は限定的な攻撃を決意した。

 4月、イラン海軍のフリゲート“サバラン”と“サバンド”がホルムズ海峡で、クウェート発のタンカーを停船させた上、4.5インチ砲で砲撃し、損傷を与えた。
また、別の船団を護衛していたアメリカ海軍のフリゲート“ロバーツ”が触雷し、大破した。

 機雷を投下したのがイランの上記フリゲートであることが判明、正当防衛行為として両艦に攻撃を加える決定をした。

 フリゲート2隻から成る、アメリカの水上任務部隊“デルタ”は、ホルムズ海峡付近で網を張っていた。
そして、バンダル・アッバスを出航して25ノットの高速で北に向かう船を、レーダーでキャッチした。

 任務部隊司令官はミサイルによる攻撃を求めたが、司令部は“サバラン”か“サバンド”と確定できないこと、近くに中国製の対艦ミサイル“シルクワーム”の基地があること、等から攻撃を許可しなかった。

 参考図:「写真集・湾岸の夜明け作戦全記録」、神崎宏他、朝雲新聞社、1991
     
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