広東での交渉は、戦いをはさみながら続いた。
翌年の初めには、広東貿易再開、賠償金支払い、香港割譲などで合意に達する。
しかし、皇帝は屈辱的な内容に激怒し、和約を破棄した。
本国やインドからの増援を得たイギリス軍は、軍事行動を強める。
広東の虎門要塞を激戦の末、占領する。
清軍も多くの部隊をかき集め、反撃するが、失敗した。
包囲された広州城の清軍は白旗を掲げる。
勢いに乗るイギリス軍は北上を開始し、厦門を制圧、舟山、寧波に迫ってきた。
清軍も舟山要塞の大砲を百門に増強し、兵員も5千人を配置する。
“前回は不意打ちだったが、今回は迎撃態勢が整っている。どうなるだろう。”
イギリス軍も増強していた。
9月末、舟山沖にイギリス艦隊は姿を現した。
その数、30隻余り、湾内を遊弋している。
山中らは前回と同じ高台に上ったが、今回は住民の見物人は少なく、心配顔をした役人や従僕らがいた。
それは前回とは比べ物にならないような、激しい艦砲射撃で始まった。
艦隊の保有する200門の大砲が、入れ替わり、立ち代わり火を吐く。
舟山要塞からの砲撃は、とても効果を上げているようには見えない。
参考図:「阿片戦争」、陳舜臣、講談社、1996
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