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英語で読む海戦史(49)

原書は、著名なアメリカの海戦史家Samuel Eliot Morisonの「The Two-Ocean War」です。内容は第2次世界大戦におけるアメリカ合衆国海軍の太平洋と大西洋における戦いを描いたものです。日本との太平洋における戦いの部分に関しては、光人社から「モリソンの太平洋海戦史」(大谷内一夫 訳)として出版されています。あまり知られていない、ドイツとの大西洋における戦いの部分に関して、英語の勉強をかねて読んでみました。

(原文)
Chapter ⅩⅦ The U-Boat’s Comeback and Defeat (November 1944―May 1945)
49.
      The Royal Navy, assisted by Coastal Command-which now included several United States Navy Liberator squadrons-had to cope with this offensive in the narrow seas, and finally brought to book most of the snorkelers abroad. The R.A.F. and A.A.F. Bomber Commands helped by destroying 24 more in German harbors in March and April.
Four snorkelers moved across the Atlantic early in the New Year. All were sunk by the persistence of hunter-killer groups composed of destroyers and DEs. But this was not Doenitz’s final effort in the Western Atlantic.

Early in 1945, tales of the captured spies from U-1230 and other intelligence items, created a serious apprehension that U-boats were preparing to launch attacks on East Coast cities with robot rocket bombs such as those then falling on London. Admiral Jonas Ingram, who had relieved Admiral Ingersoll as Cinclant, feeling that the American public was becoming too complacent, created a sensation by announcing this unpleasant possibility. Doenitz was indeed planning a final bliz on the Eastern Sea Frontier, but the six 740-ton snorkel U-boats which made up this Group “Seawolf” carried no secret or unconventional weapons. In fact he had none; and in late March 1945, when he dispatched these boats from their Norwegian bases, armies under Eisenhower and Zhukov were battering their way into the heart of the Reich.       

(訳)
第12章 Uボートの再攻勢と敗北(1944年11月―1945年5月)
49.
     沿岸司令部―それには今やいくつかのアメリカ海軍のリベレータ部隊が含まれていたが―に援助されたイギリス海軍は、この狭水路における攻撃に立ち向かわねばならなかった。 そして最後には、これらのシュノーケル型Uボートを域外に立ち去らせたのである。  イギリス空軍とアメリカ空軍の爆撃機兵団は3月と4月にドイツの港で24隻以上のUボートを破壊して、この作戦を助けた。
     4隻のUボートは新年早々大西洋に出撃したが、駆逐艦と護衛駆逐艦よりなるハンター・キラーグループのがんばりにより沈められた。  しかし、これは西大西洋におけるデーニッツの最後の努力ではなかった。

     1945年はじめ、U-1230からの逮捕されたスパイの話しや他の情報源により、Uボートが、ロンドンに落下したような誘導ロケット爆弾を使ったアメリカ東海岸の都市攻撃を準備している、との危惧が生まれた。  大西洋首席司令官としてインガソル提督の後を次いだイングラム提督は、アメリカの世論があまりに自己満足に陥っていると感じたので、この不愉快な可能性をアナウンスすることにより、センセーションを巻き起こした。  ほんとうは、デーニッツは最後の電撃を大西洋東部海域前線で計画していた。  が、この“シーウルフ”グループと名づけられた6隻の740トンのシュノーケル型Uボートは、秘密兵器や特別な兵器は積んでいなかった。  実際このグループは何もできなかった。  そして1945年3月、デーニッツがこれらのUボートをノルウエーの基地から急派したとき、アイゼンハウアー(アメリカ、イギリス)とジューコフ(ソ連)指揮下の軍隊は帝国の心臓部に向け進撃を続けていた。       

(注釈)
     大戦末期、ドイツは2種類の誘導ロケット兵器を開発、ロンドン等を攻撃した。パルス・ジェットを使用したV1号飛行爆弾(射程距離約400キロ、最大時速670キロ)と現在の弾道ミサイルの元祖、V2ロケット(射程距離約500キロ、最大時速2900キロ)。V2ロケットには有効な対抗手段がなかったため、相手国市民に大きな恐怖と損害を与えた。       
〔参考文献:広田厚司著「ドイツの傑作兵器、駄作兵器」、光人社NF文庫〕

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