6.風雲急を告げるヨーロッパ
1801年、ロシア帝国の皇帝に即位したアレクサンドル一世は、行政、経済、軍の改革
を推し進め、ロシアを近代化させようとした。
そして、ロシア帝国の威光を世界に示すため、ロシア初の軍艦による世界周航を計画する。
その世界周航の過程で、日本や中国との交易交渉を行おうとした。
その時の日本との交渉の材料の一つが、津太夫ら4名の送還だった。
遣日使節として、レザノフが任命される。
世界周航艦隊はナジェジダ号(430トン)とネワ号(373トン)より成り、
津太夫ら4名はナジェジダ号に乗船した。
1803年7月、2隻はバルト海の軍港クロンシュタットを出帆する。
この時のヨーロッパは、風雲急を告げていた。
1781年に始まったフランス革命は「王制」を倒し、議会が主権を持つ「共和制」
を誕生させた。
これに脅威を感じた近隣諸国は、フランスに干渉戦争を仕掛ける。
その戦いの中で頭角を現したナポレオンは、政府を掌握、フランスに敵対する諸国
への戦争を準備し始める。
この動きに、ロシアも警戒を強めていた。
ナジェジダ号が出帆した1年後、1804年に皇帝に即位したナポレオンは、
大帝国を作るべく、大陸制覇を目指す。
その後、ナポレオンとロシアとは何度となく、戦いを交えることとなる。
参考図:「初めて世界一周した日本人」、加藤九ぞう、新潮社、1993