8.長崎にて
津太夫たちを乗せたナジェジダ号は、1804年10月、長崎に到着した。
使節レザノフは長崎奉行所に、徳川将軍あてのアレクサンドル一世の
親書の写しを手渡す。
そして、日本との交易を希望すること、漂流民をお返しすること、
皇帝からの贈り物を持参したこと、を伝えた。
長崎奉行は、ロシア使節への対応策を、幕府にお伺いを立てる。
幕府は完全に内向きになっており、外交能力を失っていた。
5か月も返事を引き延ばした挙句、下記の文書をレザノフに渡す。
〇漂流民の護送には感謝するが、通商は拒絶する。
〇皇帝からの親書と贈答品は受け取らない。
〇ロシア側が必要とする資材、食料などは無償で供与する。
津太夫ら4人を日本側に引き渡したのち、失意のレザノフを乗せた
ナジェジダ号は長崎を出帆した。
その後、同船は中国の広東に立ち寄る。
広東を出帆したのち、インド洋を抜け、喜望峰を回り、大西洋に出る。
1806年8月、ナジェジダ号はロシアのクロンシュタットに帰港した。
3年に及ぶ世界周航の旅であった。
参考図:「初めて世界一周した日本人」、加藤九ぞう、新潮社、1993