バカに厳しいバカばかり

自戒の念も込めてそういうタイトルにしました。

日航123便墜落事故から21年の日に思う

2006年08月12日 19時29分26秒 | ニュースで二言三言
日航機事故から21年、遺族ら慰霊の登山 御巣鷹 (朝日新聞) - goo ニュース

 520人が犠牲となった羽田発大阪(伊丹)行きの日航ジャンボ123便の墜落事故から、丸21年を迎えた12日、「御巣鷹の尾根」への遺族らの慰霊登山が始まった。遺族らは早朝から、緑の木々に覆われた傾斜のきつい登山道を踏みしめ、亡き人の墓標に花を手向けた。

 20年の節目となった昨年は、過去最多の103家族405人が尾根を登ったが、高齢などの理由で、今年は命日の登山をあきらめる遺族が少なくない。幼い子どもを連れた遺族も多く、日航によると、正午現在、63家族256人が登った。

 大阪府貝塚市の河瀬周治郎さん(72)と妻のイトエさん(72)は、長女の尋文(ひろみ)さん(当時24)を亡くして以来、毎年慰霊登山を続けてきたが、「今年でしまいになるだろう」と話す。

 周治郎さんは昨年末に脳の手術を受けてから体力の衰えが著しく、イトエさんも腰を痛めて歩くのがつらい。周治郎さんは、両手につえを持って歩くイトエさんを支える。墓標の前で「お母さんを元気にしてやってな」と語りかけ、花や好きだったジュースなどを供えた。

 午後2時すぎから、6月に就任した西松遥・日航社長が慰霊登山をする予定。昨年も、新町敏行前社長が尾根を登っている。

2006年 8月12日 (土) 12:29


社会的、政治経済的にエポックメイキング的な事件というなら、他にもたくさんの重大事件はあったと思うが、ごく1個人としての記憶という意味において「今まで生きてきた中で、もっともショッキングだったニュース」というと、私の中では、いまだこの事故が筆頭である。

当時の私は中学生で、あの日は伊豆に家族で旅行に行った帰りであり、夕方東京の家に着き、部屋でだらだらと「クイズ100人に聞きました」を見ていたら、行方不明のニュース速報が流れ、その瞬間、まあ所詮単なる野次馬根性にせよ、ものすごく慄然としたのを覚えている。

ほとんどのテレビ局が夜遅くから早朝までブチ抜きの特番を組み、500人以上の乗客名簿を、膨大な時間をかけ繰り返し読み上げる圧倒的なボリュームに「ただごとでなさ」を感じるとともに、特に当時私の自宅から100m位のマンションの最上階に住む、ある要人の方の名が繰り返し報じられるのを見るに至り、かつその方には私の妹と同じ年代の娘さんがおり(搭乗はせず)、妹が過去家に遊びに行ったことがあることも相俟って、にわかに「人ごとでない感じ」も強まりつつ、ほとんど寝ずに一家でNHKを見続けていた。

樹木がなぎ倒され、機体の破片が一面に広がる尾根。瓦礫の中から奇跡的に発見され、救助隊に囲まれて横たわる川上慶子さんのあのどこかぼんやりとした表情、リアルに伝わる修羅場は驚異的に過ぎる光景であった。でも当然ながら、私の驚異なんていうのは単なる傍観者の驚異であり、現場で闘った救助関係者の見た光景はもちろん、山中で生存もしくは墜落後しばらく生存されていた犠牲者の方々の見た光景、さらに言うなら、眼前の尾根に向け機が失速する中で、乗員・乗客の方々に見えた光景がいかばかりだったか、それを語る言葉など浮かびようがないのも事実である。

そして更にショックだったのが、あのボイスレコーダー等の交信記録や、何名かの乗員・乗客の方が遺された遺書であった。あれこれ感想綴るのも辛いというか、ちょっと気持ち的に触れがたいものがあるので略すが、ただ、死というものが予告なく唐突に、それもまったく情け容赦ない形で訪れ得るというのは、言葉で理解していても、実際目の当たりにする機会は普通なく、そういう抗えない無情さに晒された人のラスト30分の「生」の過程が、あんな形であらわになったという点でも、かつてない衝撃だった。

もちろん、今日慰霊に訪れられているご遺族が、事故後辿られた日々の数々についても、然りである。あれから21年。

日々新たに、報道で知る「悲劇」の数々は、確かにそのたび感情を揺さぶられること多々あるにせよ、結局観賞用に加工処理された「情報としての悲劇」であり、だから私も、昨日は5人死んだ今日は10人殺されたを、知って同情してすぐ忘れ、また知って怒ってすぐ忘れを、普通に繰り返せるわけである。ただそれにしても、あの事故は、一つの情報として消化される「ジャンボ機の墜落」というには余りに、無数の「人」を強く想起させられた事故であり、だからこそ今なお、自分の中で強い衝撃として残っているのだと思う。

で、これからも、決して忘れないようにする。この事故だけが唯一忘れてはいけない悲劇だという話ではないけど。

しかしそれだけに、周知の通り、いまになってもなお、事故原因についての事故調の公式見解や検討プロセスに矛盾を指摘する論が強く、真相を隠蔽する意図があるのではとの疑問すら消えていない現状は、それでも幕引きムードだけは否応なく進んでいる現状でもあるゆえに、尚さら腹立たしい思いがする。

また最近は「安全啓発センター」なんてのができたらしく、何か墜落機体の展示もしているようだが、じゃあなぜ一度はあっさり機体廃棄しようとしたのかとか、反経営スタンスっぽいとは言え、一応社内の機長組合が「急減圧なし」をwebで堂々表示している点をどう考えるのかとか、その辺り踏み込んだ返答ができるのかも怪しい状況で「安全啓発」と言われてもなあという気はする。実際突撃インタビューしたわけでもないのに、そんな物言い不適かもしれないが、でもまあ、これほど特別な日付のフライトで、福岡の空から破片ばら撒ける体質の会社に、何か言うほうが違っていると言うか「そういう過去の不祥事も踏まえ、更なる『安全啓発』を志した主旨でございまして・・・」みたいな、「更なる」とか言ってんじゃねえよと突っ込みたくなるような、どうせそういう広報チックなことしか言わない気も強くするので。

そういうことも踏まえ、だからこそ繰り返しになるが、これからも決して忘れないようにはしたい。野次馬にできる追悼の意思表示といって、その程度しか思いつかないもので。


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