早いもので今日で三七日です
本当にあっという間でした
つづきを書こうと思います
脳梗塞になり右半身に麻痺が残ってしまった父は
意識が戻っても1週間ほど絶食、絶飲が続きました
痛み止めと栄養を点滴でとっていたのですが
血管ももろくなっていたため
毎日差しかえなければならず
腕には液漏れしたあざがあちこちにできていました
そのあざは痛々しく…私がじっと見ていると
『痛くない。大丈夫だ。』と
本当に痛くなかったかどうかはわからないけど
そう言ってくれました
担当医から
ご飯が食べられるようになって、経口薬を飲めるようになったら退院できます
退院して、特養に戻り、体調さえ良ければ、外泊もできるかもしれませんよ
と説明を受けていた
最初は重湯から
右側に麻痺が残っていたため口を上手く閉じられず
重湯を口にする度に口の端から溢れてしまっていたのですが
とろみをつけた水をストローを使って飲むようになってからはそれがリハビリにもなったのか、溢さず食べられるようになっていって
口の動きも良くなり
何を話しているかも聞き取りやすくなっていきました
口が思うように動かなかった間は何を言っているのか聞き取りにくく
何度も、「何?ごめんもう一回」ってお願いすると
『もういい』って怒ってたな
それは私たちにではなく、多分、自分に…
重湯が三分粥になり、五分粥になり、少しずつご飯に近くなっていって
明日からご飯が出ますよって言われて
「ご飯食べられるようになるって、良かったね」
なんて言って
出てきたご飯には喉を詰まらせないようにとろみがついていて
いずれは普通のご飯も食べられるのかと勝手に思っていたのだけど…
飲み込む事も難しいらしく
ご飯だけではなく
おかずも細かく刻まれとろみがつけられていた
父さんは何を食べても不味いと言った
「ど〜れ〜どんだけ不味いの?食べてみてもいい?」
『お前が全部食べれ』
「私が全部食べたら父さん何を食べるの? 笑」
って笑いながら少しずつ食べてみたけど
不味いというか…なんの味もしない
目をつぶって口に入れられたら、多分、何を食べているのかもわからないんじゃないかな…
飲み込みを助けてくれるこのとろみ…多分これで味を感じずらくなるんだろうな…
「これは…美味しいとは言えないね 笑」
『不味い』
「父さん、薬飲めるようになって、早く退院して、美味しいもの食べよう 笑」
『そうだな 笑』
と言って笑った
担当医が言っていたという、たまに美味しいもの食べてって言葉が思い出された
病院にいた方が、また脳梗塞にでもなった時、すぐに治療が出来て安心だと思っていたけど…
早く退院して、少しでも食べられるうちに食べたい物を食べた方がいいっなってこの時思った
父の日課は
脚や腕のストレッチをして
車椅子に移るための訓練をして、動かなくなった右腕に少しでも感覚を取り戻すために手のリハビリもして
言語のリハビリの先生に咀嚼の練習だとご飯を食べさせてもらって
そのあと絵のついたカードで言葉を導き出す訓練をして
すんなり名前が出てくる物もあるけど
なかなか出てこない物もあって
疲れるんだろうね
一通りリハビリが終わると寝てしまって
『お見舞い行ってきたんだけど寝顔しか見れなかったんだと』
私の職場に来て話して行く人が何人もいた
父さんの友達や知り合いはしょっちゅう見舞いに来てくれていた
病院にも特養にも
農閑期に入ったとはいえありがたかった
最初の頃の入院と、特養にいた頃は体は思うように動かせなくても、普通に会話もできたし
見舞ってくれる人がいると、退屈しないし、嬉しかったんだと思うけど
脳梗塞で入院してからは…あまり喜んではいなかった
母さんも、見舞いたいって病室を聞いてくる人に
あんまり調子よくないからって断っていた
母さんは不自由になって、弱った姿を見せたくないんじゃないかって言ってたけど
そうだったのかな
不味い、不味いと言いながらご飯を食べられるようになって
点滴も外れて口から薬を飲む事も出来るようになり
病院で出来るリハビリもわずかになってきた頃
ヨーグルトとか、アイスとか、ジュレっぽくなってる物とかなら合間に食べてもいいですよって言われて
とろみ液のついていない食べ物を喜んだ
特にアイス
もともとアイスは好きだったけど
『美味いな 笑』って言って喜んで食べた
やっぱり、美味しいと感じられる物は元気になる気がした
『父さん、なんか食べたい物ある?特養に戻ったら、施設から出る食事の事はあまり気にしないで、食べたい物食べてもいいって』
と母が言うと
『刺身』
と言った
『お刺身どうやったら食べれる?細かく切ってそれだけで大丈夫かな?』
と母は心配していた
「今、ジュレ状になってる醤油っぽい味のドレッシングとかあると思うから探しておくよ」
11月26日
父は退院して特養に戻った
再入院して一カ月の事でした
今日はここまで
本当にあっという間でした
つづきを書こうと思います
脳梗塞になり右半身に麻痺が残ってしまった父は
意識が戻っても1週間ほど絶食、絶飲が続きました
痛み止めと栄養を点滴でとっていたのですが
血管ももろくなっていたため
毎日差しかえなければならず
腕には液漏れしたあざがあちこちにできていました
そのあざは痛々しく…私がじっと見ていると
『痛くない。大丈夫だ。』と
本当に痛くなかったかどうかはわからないけど
そう言ってくれました
担当医から
ご飯が食べられるようになって、経口薬を飲めるようになったら退院できます
退院して、特養に戻り、体調さえ良ければ、外泊もできるかもしれませんよ
と説明を受けていた
最初は重湯から
右側に麻痺が残っていたため口を上手く閉じられず
重湯を口にする度に口の端から溢れてしまっていたのですが
とろみをつけた水をストローを使って飲むようになってからはそれがリハビリにもなったのか、溢さず食べられるようになっていって
口の動きも良くなり
何を話しているかも聞き取りやすくなっていきました
口が思うように動かなかった間は何を言っているのか聞き取りにくく
何度も、「何?ごめんもう一回」ってお願いすると
『もういい』って怒ってたな
それは私たちにではなく、多分、自分に…
重湯が三分粥になり、五分粥になり、少しずつご飯に近くなっていって
明日からご飯が出ますよって言われて
「ご飯食べられるようになるって、良かったね」
なんて言って
出てきたご飯には喉を詰まらせないようにとろみがついていて
いずれは普通のご飯も食べられるのかと勝手に思っていたのだけど…
飲み込む事も難しいらしく
ご飯だけではなく
おかずも細かく刻まれとろみがつけられていた
父さんは何を食べても不味いと言った
「ど〜れ〜どんだけ不味いの?食べてみてもいい?」
『お前が全部食べれ』
「私が全部食べたら父さん何を食べるの? 笑」
って笑いながら少しずつ食べてみたけど
不味いというか…なんの味もしない
目をつぶって口に入れられたら、多分、何を食べているのかもわからないんじゃないかな…
飲み込みを助けてくれるこのとろみ…多分これで味を感じずらくなるんだろうな…
「これは…美味しいとは言えないね 笑」
『不味い』
「父さん、薬飲めるようになって、早く退院して、美味しいもの食べよう 笑」
『そうだな 笑』
と言って笑った
担当医が言っていたという、たまに美味しいもの食べてって言葉が思い出された
病院にいた方が、また脳梗塞にでもなった時、すぐに治療が出来て安心だと思っていたけど…
早く退院して、少しでも食べられるうちに食べたい物を食べた方がいいっなってこの時思った
父の日課は
脚や腕のストレッチをして
車椅子に移るための訓練をして、動かなくなった右腕に少しでも感覚を取り戻すために手のリハビリもして
言語のリハビリの先生に咀嚼の練習だとご飯を食べさせてもらって
そのあと絵のついたカードで言葉を導き出す訓練をして
すんなり名前が出てくる物もあるけど
なかなか出てこない物もあって
疲れるんだろうね
一通りリハビリが終わると寝てしまって
『お見舞い行ってきたんだけど寝顔しか見れなかったんだと』
私の職場に来て話して行く人が何人もいた
父さんの友達や知り合いはしょっちゅう見舞いに来てくれていた
病院にも特養にも
農閑期に入ったとはいえありがたかった
最初の頃の入院と、特養にいた頃は体は思うように動かせなくても、普通に会話もできたし
見舞ってくれる人がいると、退屈しないし、嬉しかったんだと思うけど
脳梗塞で入院してからは…あまり喜んではいなかった
母さんも、見舞いたいって病室を聞いてくる人に
あんまり調子よくないからって断っていた
母さんは不自由になって、弱った姿を見せたくないんじゃないかって言ってたけど
そうだったのかな
不味い、不味いと言いながらご飯を食べられるようになって
点滴も外れて口から薬を飲む事も出来るようになり
病院で出来るリハビリもわずかになってきた頃
ヨーグルトとか、アイスとか、ジュレっぽくなってる物とかなら合間に食べてもいいですよって言われて
とろみ液のついていない食べ物を喜んだ
特にアイス
もともとアイスは好きだったけど
『美味いな 笑』って言って喜んで食べた
やっぱり、美味しいと感じられる物は元気になる気がした
『父さん、なんか食べたい物ある?特養に戻ったら、施設から出る食事の事はあまり気にしないで、食べたい物食べてもいいって』
と母が言うと
『刺身』
と言った
『お刺身どうやったら食べれる?細かく切ってそれだけで大丈夫かな?』
と母は心配していた
「今、ジュレ状になってる醤油っぽい味のドレッシングとかあると思うから探しておくよ」
11月26日
父は退院して特養に戻った
再入院して一カ月の事でした
今日はここまで