はっぷう抄

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はあ…(疲れる)

2019-02-22 12:35:19 | 日記
どうも、こんにちは。

はっぷうです


今日は本務の職場なので

お昼はお家に帰ってきて食べます。


昨日はオムライスだったのですがね

チキンライスが残っていたのでねそれにとろけるチーズをかけて今焼き焼きしているところです。

うふふ。

いわゆるドリアでございます。


さて、話は急展開でやんすよ


昼に帰ってきたら

じじーが私にこう言いました


じ『昼から出かけるから出かけるから、ご飯先に食べたからいらないからね』

私「そうですか、助かります」

というか、いつも自分で勝手に食べてくれ…

休憩時間は短いのだ


じ『あ!お風呂洗っておいてあげたから』

私「はっ?また水道が止まるような事があったら困るから、昨日、わざわざ水を貯めておいたのに、洗ったの?」



というか、なんで普段しないことするの

ねえ、なんで?

なんで今日なの?

やっといてくれたら助かる時にはしないのに

どうしてもしかしたら、また余震があるかもしれないって言われてる時に

わざわざ貯めておいたお風呂の水を全部捨てて洗ったの?

しかも、しておいてあげたって言い方

相変わらず恩着せがましい



じ『あら、ダメだったのかい(ふくれている)』

なぜ?

なぜそんな風になれるの?


こっちは何かあったときのために困らないように考えて行動しているのに…


自己中なやつは自分がしたことを褒めてもらえないとすぐふくれたり、機嫌悪くなったり

勘弁しておくれ…


ご飯食べて午後からも働くか〜


6弱

2019-02-22 07:26:27 | 日記
おはようございます

昨晩、地震がありました

6弱

無事に朝です。

ありがとうお日様。



地震速報で6弱って出た時

(今ので6弱なんだ)って思いました


たしかに、揺れは大きかったですけど

昨年9月の地震は本当に大きかったので…


震度7の破壊力すさまじいものです…本当に7だったのだろうか?

9月の地震は体感的には10くらいの感じ(個人的感想

昨日の倍とは言わないけど

昨日から1度しか上がってなくてあの揺れと破壊力…震度7

納得できない(知らんがな


それにしても

揺れ始めた時から大きくなるとわかる感覚

研ぎ澄まされてますわ…


だからと言って

揺れてる間は何もできませんでしたけど


暗闇でむやみに動くのはかえって危ないですし

旦那さんは台所に近かったので、すっと立って冷蔵庫の扉を抑えてました


前回の地震で冷蔵庫の扉が全て開いて中のものも飛び出していたので、それでだと思います


前回の地震後、倒れそうな家具家電には転倒防止の対策をかなりしたので

我が家は倒れたりしたものはありませんでしたが


食器棚の中のコップが倒れていたり

本棚の中の本やらCDやらが落ちていたり

あ!ビス止めしてないピアノと洋ダンスがずれてました💦


備えあれば憂いなしです。

備えるというのは大事です。


この時期電気が来なくなって何が困るって


暖房


どっかのテレビキャスターが前の地震の時に

冬の震災じゃなくてよかったという人の声に

北海道のストーブは灯油ストーブだから大丈夫だとか言ってたそうですけどね


その灯油ストーブも電源必要なんですよ

電気で動いてんの!

バカなんじゃない?

あのハゲやろう


*一部お聞き苦しい点をお許しください


うちは中途半端なセントラルヒーティングなので

暖房のついていない部屋もあるんでね

ポータブルのストーブ元々あったので買ってないですけど

あとね、キラキラのカサカサ何個も買いました

それと、湯たんぽ人数分用意あります

冬はどうやって暖をとるかが一番不安です


地震の後に色々買ったんですよ

災害用のLEDライト

昨日早速使ってみました


眩しい

暗闇で使うと眩しすぎるくらい眩しい


地震発生後

友達やら、知り合いやらから連絡いただきましてね

そのお返事送ったりしてるとね

瞬く間に電池が💦

スマホの電池の消耗が早い💦


昨日は幸いライフラインが止まる事はなかったので良かったですが…

電池で充電できる充電器を買おうか買うまいか悩んでましたが買う事を決意しました!!(大げさ



地震で一番大変だったのが


水です


それも飲み水より

トイレを流す水


お風呂入った後、一応、水足しておきました



なんととりとめのない話…

何を言いたいかと言いますと


どこで何がおこるかわかりませんから

今、なかったら困る物を想像して


どうか備えておいてくださいね。


というお話。


では、行きたくないけど仕事行ってきます




父の最期 ⑤

2019-02-11 22:19:02 | 日記
11月に入り

仕事が減って、母はほぼ毎日、父の特養に通っていました

私は平日は面会時間に間に合わないので、週末に父の顔を見に行きました


特養に移ってすぐの頃には

介護士さんの介助を受けながら、車椅子で大広間までいって食事をとっていました

右手は麻痺しているので、怪我予防のために三角筋でおさえられ、使い慣れていない左手でご飯を食べていました

自分で食べると時間がかかってしまう上に

相変わらず、細かく刻まれとろみのついたおかずは味がせず

食べる意欲は削がれ

父の食はどんどん細くなりました


多分、施設の人は、個室で一人きりでいるよりは
食事の時くらい大勢で食べた方が良いと考えての事だと思うですけど…

食べられなくなると少しずつ衰弱していくと担当医から言われていた母は

毎日ご飯を食べさせに来るからといって部屋に食事を持ってきてもらう事にしました


施設長さんから、お部屋でご飯を食べるなら、施設の食事は気にせずに、食べたいものを食べさせていただいて構いませんよと言っていただいたので

母は早速、父が食べたいと言っていたお刺身を用意して食べさせたと

うまい、うまいってペロッと食べたと喜んでいました


そうやって食べたい物を少しずつでも食べられる環境になった父は元気を取り戻していきました

言葉はなかなか出てこなくても、よく笑うようになりました


母は施設長に家に帰りたいと言っているのだけれど、帰ることはできるだろうかと相談していたので

体調にも特に変化がなく、気持ちの面でも、今が一番良いタイミングなのではないかと

12月14日昼食を済ませてから、15日の夕食までに施設に戻るという約束で外泊が許されました

それを聞いて父は

父『(こんな身体で)どうやって行くんだ…無理だ』

と…

母も弟も黙ってしまい

私「うーん、なんとかなるんじゃない?あんまり難しく考えない方がいいと思う」

父『…』

私「無理にとは言わないけど、なるようになるものでしょ」

父『(おまえは)簡単でいいな 笑』

私「バカだからね〜 笑」

嬉しさよりも、家族に無理をかけると考えたのだと思います


父はやっと家に帰ると言いました



14日は金曜、仕事が終わってから実家に向かいました

どんなに喜んでいるだろうと思って向かったのですが

家の中はシーンとしていて

父の顔にも緊張が見えました


私「父さん、家はいいでしょ?笑」

父『いいな 笑』

『ずっといてやってもいいんだぞ 笑』

と笑いました


それから晩御飯の用意をしていると

弟がそっと近寄ってきて

弟『姉ちゃんが来て初めて笑った。安心したんだと思う。俺もホッとした 笑』

私「そっか 笑」


それから父さんと一緒にみんなでご飯を食べました

母さんのご飯の食べさせ方が鬼のように速い上に

一口の量が多くて

それじゃ拷問だわとか、もう少しゆっくりとか言うと

母『なにがさ!いつもこうだもん。ねー、父さん』

いつもなんかい!!とみんなでつっこむ

父黙って頷く

待って!まだ口に入ってる!無理無理!とか周りからヤイヤイ言われているのを完全に無視して

ペースを緩めず食べさせる母

黙々と口に運ばれる食事を食べ終わって

父『はぁ〜〜〜』

父は大きな溜息をついた

ほら!疲れちゃってるしょや 笑

母『よし!全部食べた!』


母はご飯を食べさせる事に真剣だったんですよね

少しでも長く一緒にいられるように


ご飯を食べ終わって

みんなでテレビを見ているうちに

父はうとうとしだすようになって

眠たそうだから今日は帰るね

と私たちは自宅に戻りました


翌日朝から実家に向かうと

母は父の様子が気になって一睡もできなかったと言いました

私も泊まってあげれば良かったな…って反省しました

翌週は父の誕生日がありました


来週も帰ってこられたら帰ってくる?私も泊まるから

と聞くと

父『もういい。十分だ 笑』

本当に満足した様子で笑って言い

父は施設に戻りました


往診に来てくれる担当医から

家に帰らせてくれてありがとうと

そして

『母ちゃんと一緒にいたい』と話していたと聞かされ

母は施設長にお願いして、それからは度々施設に泊まりに行くようになりました


翌週のクリスマス会の時にも泊まって

その時に一緒に父の誕生日も祝ってもらってケーキも食べたんだよと嬉しそうでした

その週末

父は私に

『(無事に)ひとつ歳をとったぞ 笑』と笑って言いました


余命宣告をされてから食べても、食べても痩せて行く自分の体に

父『俺は本当に半年で死ぬのかもな、こんなに痩せて…誕生日まで生きられるかなぁ』

と私に聞いてきました。

なんと言っていいかわからなかったけれど

とっさに出た言葉は

私「私も明日まで生きられるかなぁ。」

なんてバカな事を言ってしまったんだろうと…思いましたが

でも父はそんな私の言葉に

父『そうだな 笑 俺より先に逝ったらダメだぞ。』

と返してくれました



父が亡くなってから

サンタの帽子をかぶって、ケーキを食べながら笑っている父の写真を施設長からいただきました

ありがとう

大切にします


今日はここまで






















父の最期 ④

2019-02-09 00:26:33 | 日記
早いもので今日で三七日です

本当にあっという間でした



つづきを書こうと思います


脳梗塞になり右半身に麻痺が残ってしまった父は

意識が戻っても1週間ほど絶食、絶飲が続きました

痛み止めと栄養を点滴でとっていたのですが

血管ももろくなっていたため

毎日差しかえなければならず

腕には液漏れしたあざがあちこちにできていました

そのあざは痛々しく…私がじっと見ていると

『痛くない。大丈夫だ。』と

本当に痛くなかったかどうかはわからないけど

そう言ってくれました



担当医から

ご飯が食べられるようになって、経口薬を飲めるようになったら退院できます
退院して、特養に戻り、体調さえ良ければ、外泊もできるかもしれませんよ

と説明を受けていた


最初は重湯から

右側に麻痺が残っていたため口を上手く閉じられず

重湯を口にする度に口の端から溢れてしまっていたのですが

とろみをつけた水をストローを使って飲むようになってからはそれがリハビリにもなったのか、溢さず食べられるようになっていって

口の動きも良くなり

何を話しているかも聞き取りやすくなっていきました

口が思うように動かなかった間は何を言っているのか聞き取りにくく

何度も、「何?ごめんもう一回」ってお願いすると

『もういい』って怒ってたな

それは私たちにではなく、多分、自分に…


重湯が三分粥になり、五分粥になり、少しずつご飯に近くなっていって

明日からご飯が出ますよって言われて


「ご飯食べられるようになるって、良かったね」


なんて言って

出てきたご飯には喉を詰まらせないようにとろみがついていて

いずれは普通のご飯も食べられるのかと勝手に思っていたのだけど…

飲み込む事も難しいらしく

ご飯だけではなく

おかずも細かく刻まれとろみがつけられていた


父さんは何を食べても不味いと言った


「ど〜れ〜どんだけ不味いの?食べてみてもいい?」

『お前が全部食べれ』

「私が全部食べたら父さん何を食べるの? 笑」


って笑いながら少しずつ食べてみたけど


不味いというか…なんの味もしない


目をつぶって口に入れられたら、多分、何を食べているのかもわからないんじゃないかな…

飲み込みを助けてくれるこのとろみ…多分これで味を感じずらくなるんだろうな…


「これは…美味しいとは言えないね 笑」

『不味い』

「父さん、薬飲めるようになって、早く退院して、美味しいもの食べよう 笑」

『そうだな 笑』

と言って笑った


担当医が言っていたという、たまに美味しいもの食べてって言葉が思い出された

病院にいた方が、また脳梗塞にでもなった時、すぐに治療が出来て安心だと思っていたけど…

早く退院して、少しでも食べられるうちに食べたい物を食べた方がいいっなってこの時思った


父の日課は

脚や腕のストレッチをして

車椅子に移るための訓練をして、動かなくなった右腕に少しでも感覚を取り戻すために手のリハビリもして

言語のリハビリの先生に咀嚼の練習だとご飯を食べさせてもらって

そのあと絵のついたカードで言葉を導き出す訓練をして

すんなり名前が出てくる物もあるけど

なかなか出てこない物もあって

疲れるんだろうね

一通りリハビリが終わると寝てしまって


『お見舞い行ってきたんだけど寝顔しか見れなかったんだと』


私の職場に来て話して行く人が何人もいた


父さんの友達や知り合いはしょっちゅう見舞いに来てくれていた

病院にも特養にも

農閑期に入ったとはいえありがたかった

最初の頃の入院と、特養にいた頃は体は思うように動かせなくても、普通に会話もできたし

見舞ってくれる人がいると、退屈しないし、嬉しかったんだと思うけど


脳梗塞で入院してからは…あまり喜んではいなかった

母さんも、見舞いたいって病室を聞いてくる人に

あんまり調子よくないからって断っていた


母さんは不自由になって、弱った姿を見せたくないんじゃないかって言ってたけど

そうだったのかな


不味い、不味いと言いながらご飯を食べられるようになって

点滴も外れて口から薬を飲む事も出来るようになり

病院で出来るリハビリもわずかになってきた頃

ヨーグルトとか、アイスとか、ジュレっぽくなってる物とかなら合間に食べてもいいですよって言われて

とろみ液のついていない食べ物を喜んだ


特にアイス

もともとアイスは好きだったけど

『美味いな 笑』って言って喜んで食べた

やっぱり、美味しいと感じられる物は元気になる気がした

『父さん、なんか食べたい物ある?特養に戻ったら、施設から出る食事の事はあまり気にしないで、食べたい物食べてもいいって』

と母が言うと

『刺身』

と言った


『お刺身どうやったら食べれる?細かく切ってそれだけで大丈夫かな?』

と母は心配していた

「今、ジュレ状になってる醤油っぽい味のドレッシングとかあると思うから探しておくよ」


11月26日

父は退院して特養に戻った

再入院して一カ月の事でした


今日はここまで








休みの日

2019-02-07 08:50:30 | 日記
おはっぷう( ´・ω・)ノ

今日はお休みのはっぷうです







えーっと、我が家、暖かいのは居間だけなので、居間にいるのですが…


今日はじじーも家にいるので最悪です。



いつもウロチョロと出かけるくせに

なんで今日にかぎって家にいるんだ…


まあ、洗濯終わったら私は出かけるけど



私はね、このじじーが元々嫌いでした。

自分勝手で、自分の思い通りにならなければ、全て相手が悪いという考えかた

考えるだけならまだしも、それをペラペラと他所でしゃべって歩く

どう育ったら、思い通りにならないとふくれるじじーが仕上がるの?

世の中そんなに思い通りになんてならないよ?

なんで、自分で出来る事もやらないで、人をあてにするの?


お前が自分で出来ること、もしくは、自分の嫁にして貰えばいい事を、朝仕事に出て、夜まで帰って来られない私になぜ強要するの?

家にいないんだよ?

家にいる人にやってもらえよ


いやいや、待て待て

一日中遊んでるんだから、自分でやれよ

せめて自分で出来ることくらいやれよ


着るものの面倒はみてないけど、食事から光熱費から生活は全部私達が見ているでしょ?

面倒見てもらうのが当たり前みたいな顔してるけど、そうじゃないんだよ?

子供と同居していない人は、自分たちの年金で暮らしてるんだよ?

生活費がかかっていないだけでもお前は人より幸せなんだよ?

自分の年金は遊ぶ事だけに使えるんだから

だから、あれもこれもって旅行に行けたりするでしょ?

この辺であんただけでしょ?そんなに遊んで歩いてるの

じじー達が退職するまでは生活費入れろって言われて、私達はお前にお金入れてたでしょ?

なんで、お前たちは家にお金入れないの?

なんで?


あ、後ね、食べるときにくちゃくちゃくちゃくちゃ口鳴らすの

もう最悪。

嫁に来て、初めて出会った人種だったから

本当に受け入れられなかったし


子供産まれて、これと同じになったら嫌だと思って

子供たちにも口閉じてって教えたけど

じじーにも口くちゃくちゃ鳴らして食べないでくださいって率直に話したら

鼻が悪いから口閉じて食べられないとか言い放つ始末

直そうという気もない


それと


365日、なんの心配もしないで暮らせてることにはいっさい感謝などせず

自分がたった一回何かした事だけはペラペラと他所でしゃべって歩いて…


この地域でも有名な意地悪ばばぁが職場に来ると

『あんたんとこのじいさん、この間、これこれ、こう言う話をわちにして行ったけど本当なの?」

とかわざとに聞いてくるし


全部私の耳に入って来てるんだよクソジジイ


一番許せなかったのが

同居していた祖母がパーキンソン病になり寝たきりになるまでは家にいたんだけど

いっさい面倒を見なかったこと

お前の母親なんですけどね

なんで、通り越して孫のしかも嫁の私が一人で面倒を見なければいけなかったのか教えてくれよ

その頃じーさんとばあさんはお互い三交代の仕事をしていて

シフトをうまくやりくりしたら多分、毎日どちらかが家にいる事も出来たと思う

自分たちの職場では自分の親が病気だから面倒見ないといけないから大変なんだと言いながら

家で面倒を見てくれたことはほとんどなかったけど?

面倒を見た事もないのに何が大変だったの?


発病初期の頃は一人で留守番も出来たので

朝仕事出て、昼に家に戻り、祖母と昼を食べ、また仕事に出るという生活をしていたけれど

病気が進行すると

トイレに行くことにも人の手を借りなければ行かれなくなり

私は祖母がデイサービスに行く、月曜と木曜だけ仕事に行くことにして…

じじーとばばあはそのデイサービスの日に二人揃って休みを取って

朝、二人して祖母を送り出し

夕方帰ってくるまで家でプラプラしていた

どこが大変だったのだろう?


私は週に2日しか仕事に出られなくなり

その当時の上司には

『家族いっぱいいるのに、なんで一人で面倒見なきゃいけないの?○○さんのお義父さん、お義母さんて三交代でしょ?やりくりしたらどうにかなるしょ?』

「面倒を見る気が無いので、無理です」

『あー、そう。まあ…お義父さんもお義母さんも薄情そうだもんね』

「ええ、その通りなんです」

『いいよ、こっちは他から人回してもらえるようになんとかするから』

その当時職場には迷惑をかけたな…


旦那は帰宅後とか週末とかには祖母の世話をしてくれたけど

じじーとばばあはそれすらなかった

ばばあは介護の仕事をしていたからもっと最悪で


平日の昼間面倒を見ていたとき、寝返りをしたときにベッドから転がり落ちてしまったらしく
祖母はかなり太っていたので、自力で立ち上がれず
私だけでは体を起こしてやることが出来ず、ベッドになかなか戻してやれずにいた

その時たまたま何かの用事で家に寄って行った実家の両親に手伝ってもらって、祖母をベッドに戻すことができた事があったんだけど…

こういう事があったんだとばばあに話したら

私だったらそんな事くらい人の手を借りなくてもできるのに

とか言われた

「だったら、ばあちゃんが仕事休んで面倒みてください」

って言ったら

『嫁のくせに口出ししないでばばあの面倒みてればいいんだ』

って言われたの忘れない

何かって言ったら嫁のくせに嫁のくせにって…

最初の頃は腹もたったけど…同じことしか言えないこの人はバカなんだな
人を悪者扱いして、嫌な気分にさせるということは、仲良くするつもりはないのだから、もう、それでいい

仲良くしなくて良いんだ!!と思ったら楽になった


ばばあは自分の職場で

『うちの嫁さん祖母の面倒いっさい見てくれないから私一人大変なんだ』という話をしていたらしく

同じ職場で働く知り合いのおばさんが、実家に来て

『なんも面倒見てくれないから大変だって言ってたよ。手伝ってあげなって言ってやんな』

とうちの両親に話し

父が

『だったら今すぐ○○の家に行って見てこい!!娘が一人でばーさんの面倒見てるから!
お前もちょっと考えればわかるべや!仕事に行ってる奴がどうやって面倒見られるのよ!娘は仕事も休んで面倒見てるんだぞ!!あのクソババア』

と父さんに怒られたと…

そのおばさんは鵜呑みにして余計な事言ったと、私に謝ってきた

あんた一人で見てるんだってね、偉いねって言われたけど

偉いんじゃ無くて、面倒を見る人がいないからやってるって話した

じじーもばばあも外では大変だ、大変だって言ってるみたいだけど

デイサービスの日だけ家にいて、ろくに面倒も見ないのに何が大変なんだろうなっていつも思ってるって話した


父さんは…祖母の面倒を一人で見ていた私を知ってるからあんなに私の世話になることをためらっていたのかなぁ

ご飯を食べさせても

爪を切ったり、髭剃ったりしても

すまんな、すまん…てさ


全然いいのに


そして、この度の地震やら、父の看病やら、義母の看病やらで


じじーが本当に大嫌いになりました。


大変な時こそ、その人の本当の姿を知るものだなと

クズ中のクズだと再確認いたしました


さて、気分転換に出かけてこようっと