はっぷう抄

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父の最期 ③

2019-01-30 22:29:27 | 日記
函館から帰ってきて

翌々日、父の見舞いに行った


眠っている父をしばらく眺めていたら目を覚まし

私と目が合うと

私の名前を呼んだ


私「おはよう。よく寝てた」

父「帰って寝ろ」

私「今来たばっかりだよ 笑」

父「もう寝ろ」

私「父さんも寝るの?疲れた?」

父「ねる」

私「わかった、そしたら今日は帰るね。またね。」



休憩室で泣いた

私はきっと疲れた顔をしていたんだと思う


半身が動かなくなり

言葉も重くなりながら

それでも、まだ、子供の心配をするんだ

こんなおばさんになってもまだ心配させるんだ

次は元気な顔を見せようと思った


それから2日毎に見舞いに行った

主人の母も乳ガンで手術したばかりだから

交互に仕事が終わって速攻病院に向かう生活

疲れがどうしても溜まっていき、風邪をひいてしまう

こじらせるわけには行かないから

ちゃんと養生していたけどなかなか治らない


11/6 医師から説明

「お父様の病状は前にもお話しましたが、トルーソー症候群と言って、血を固めたり、サラサラにしたりする機能がうまく働かなくなっています。ガン末期の症状です。
お父様からは余命を宣告した際に延命はしないとうかがっていましたが、それでご家族は納得されていますか?
1分でも1秒でも長くと胃瘻をする方もいますが、僕としては…意識もはっきりとしていて、もう、また、ツライ手術をしてまでそれをする事は必要ないのではないかと考え、今の薬を点滴から経口薬に変えて、特養に戻っていただき、少しでも普通の生活に近い環境でと思っています」


看護師さんが別室に私達家族を呼んで

先生からの説明で何か納得出来ない事はありませんでしたか?
聞きたくても聞けなかった事はありませんでしたか?

「先生は義務的な話し方をされているように思われるかもしれませんがね、お父様は今まで頑張って来たから、もう、いいんじゃないかって、まだ、ご飯が食べられるうちに、病院を出て、たまに食べたいものを食べて、頑張らないでいいんじゃないかって」

と泣いて説明してくれて


母は

「そっか…良くなったと思って、家にも帰れる希望が出たのに…残念。そうですか」

と言った

「ご納得いただけすか?」

という言葉に

母も弟も私も頷くのが精一杯だった


右半身が不自由になり

失語症になった父は


その日も懸命にリハビリをしていた


全く動かない右手のリハビリ

頭には思い浮かんでも言葉を導き出す事が出来ない失語症の言語のリハビリ

動きにくくなってしまった右足のストレッチと訓練


どんな気持ちでいるんだろう


外泊だけど家に帰れるとまで言われたのに…


父さんはもう悟っている

でも、リハビリを懸命にするのは

帰りたいからだと思う


叶えてあげたい

どうにか叶えてあげたい


それが私達家族の同じ思いでした


今日はここまで

父の最期 ②

2019-01-28 22:08:05 | 日記
8月末

父の退院後の身の振り方が決まって

病院で出来るリハビリが終われば特養に移る事となりました

そう決まってからも私達家族には複雑な思いがありました



もし、脊髄にできた腫瘍をもっと早く治療出来ていたなら

歩けなくなる事もなく

父は特養に移る事にならずに、家に帰ってくる事が出来ていたのでないだろうか…


そんな事を考えても後の祭りなのですが

どうしてもそんな気持ちを拭う事が出来ずにいました


9月半ばにはリハビリも一通り終わるので、その頃を目処に退院する事になりましたが


9月6日

あの地震に見舞われました


電話はなかなかつながらず

後になって父は

「歩く事も出来ないじじーだけ生き残って何が出来ると思った」

と家族の無事を確認出来るまでの不安をボソッとこぼしました


地震によって日常生活もままならなくなりながらも

母は父の病院にほぼ毎日見舞っていました

弟は消防団員でしたので、行方不明になっている方が多くいた地域の救助に出ていて、ほとんど家にはいませんでしたし

私も毎日顔を出すことは難しかったので

父の所に行っている方が家で一人で居るよりは気持ちが楽だったのかもしれません

父も元気な母の姿を見られて安心できたはずです


地震の影響は大きく退院も月末に伸びました


9月26日

病院を退院して特養に


その日は天気も良く9月末だというのに暖かく

何ヶ月ぶりかに外の空気を吸った父は

「気持ちいいなぁ。退院日和だ。」


その足で特養に移りました

近くに住む父の実姉夫婦も来てくれて

伯父は

「俺は暇人だから、兄貴に毎日新聞届けるからね」



伯父の方がお兄さんなのに、伯母が弟である父を、あんちゃん、あんちゃんと呼ぶので、伯父まで兄貴と呼ぶようになったらしく

知らない人が聞いたら変な感じなんでしょうけど



伯父は最初に宣言した通り

父が亡くなるその日まで毎日新聞とヨーグルトを届けてくれました。

園芸農家を営む実家は10月末まで忙しく、病院より遠くなってしまったので、私も週末しか見舞いには行けず、伯父が毎日見舞って様子を知らせてくれるのが本当にありがたかったです


父は特養に移ってからもリハビリを続け

四つ脚の杖をつけば少し歩けるようになり

介助が無くてもトイレに行けるようになり

もう少し不安なく歩けるようになったら、一度外泊してみましょうと園長さんに言われ


「帰りたいなぁ。1日でいいから帰りたい」


そう言ってますますリハビリを頑張り出しました

長男(私の息子)が見舞いにきた時には駐車場に面した窓際まで歩いて見送ってくれるまでになり

私ももしかしたらこのまま良くなって、外泊だけではなく、家に帰って来られるのではないかと思うほどの回復ぶりでした

11月の一週目の週末に外泊してみましょうと決まり

父も楽しみしていました


ところが

10月26日3時頃

トルーソー症候群による脳梗塞になり

救急車で特養からかかりつけ病院へ搬送されました

急いで病院に駆けつけると

父の意識はまだ戻っておらず

母はもうすぐ家に帰れると思っていたのにとガックリ肩を落とし

弟からも今日意識が戻るか戻らないかでどうなるかわからないから近しい人達には連絡をした方が良いとまで言われたと聞きました


翌日、Mr.ChildrenのLiveが函館でありましたが
一緒に行くはずだったMちゃんに行けなくなったと連絡しようとすると

母は

「父さんは大丈夫。だから、姉ちゃん行っといで、Mちゃん一人で行かせるのも可愛そうだし、父さんは絶対大丈夫だから」

とまるで自分に言い聞かせるように…

わかったと返事はしたものの
こんな気持ちのままではとても行けないな…と思っていました


夜10:30を過ぎた頃

驚くほどパッチリと目を開け父の意識が戻りました


えっ?えっ?という表情


父には自分の状況がわからないらしい


母「父さん!わかるかい。私が誰だかわかるかい!」


という母の言葉に頷くけれど言葉は出てこない


医師が駆けつける


「○○さーん、脳梗塞でね、今病院なんです。わかりますか?」

言葉は発しなかったけれど

父の落胆は表情からハッキリとわかった


看護師「意識が戻ったので、今すぐどうこうという心配はなくなりました。ご家族の方は一旦お家にお帰りいただいて大丈夫です」

母「ほら、父さんすごいしょ。大丈夫だから、明日行っておいで、父さんのこと話したらMちゃんも楽しめないだろうから、言わないで行っといで、それにね、父さんが元気になった時にね、こんなことがあったから、姉ちゃんが楽しみにしてたのに行かなかったなんて知ったら可愛そうだしさ」

そう言われて

後ろ髪引かれる思いを残しながら

翌日、私はMr.ChildrenのLiveに向かいました


でもLiveに行って良かったです

セトリも演出も素晴らしかった

Liveの日記にも書きましたが、Liveで泣いたことなどない私が


『HANABI』で泣き

『花 -Memento-Mori-』で号泣しました


『花 -Memento-Mori-』は私が初めて持った携帯の着信音にしていた曲でした

父が肺ガンになり、連絡が取りやすいようにとこと時に携帯を持ちました

そのことが思い出されて

泣けて泣けて仕方なかった

そして

『花 』の副題の『-Memento-Mori-』

とは

ラテン語で『死を想え』


泣けて泣けて

泣けて泣けて仕方がありませんでした



今日はここまで




















父の最期

2019-01-28 00:24:48 | 日記


1月20日 午後5:12

父が亡くなりました


昨日初七日を無事に終え

今日、お世話になった特養の部屋の荷物を片付けて来ました


自分のために

残しておきたいと思い日記にします


父が最初にガンを発症したのは16年前

肺ガンでした

その時は発見が早く幸運にも手術のみで治療を終えました



その7年後転移ではない原発の違う肺ガンがまた発見され手術

投薬による抗がん剤治療が施され

一昨年までは元気に家業を営んでいました



ところが一昨年の暮れから微熱が続き検査の結果、再生不良性貧血と診断され治療を続けていました

昨年5月頃から腰を痛がり出すようになり

この辺りでも評判の良い整形外科で診察をしました

レントゲンでは何も異常は見当たらないが、これほど痛がるのは普通の事ではないとMRIを撮る事になりました

MRIは予約制で、そこから更に1週間痛みに耐えなければなりませんでした

痛み止めは出たものの、激痛を抑え込めるほどではありませんでした

1週間後の診察の結果は

脊髄に腫瘍があります
悪性、良性どちらにしてもこの腫瘍が神経に触って痛みが出ていると思われるので、すぐに治療をした方が良いと思いますが…外科では分かりかねる持病をお持ちなので…担当医に相談された方が良いと思います

かかりつけの病院では、再生不良性貧血は自分の力で血液を作ることが出来ないため

治療を間違えれば寿命を縮める事になりかねない

最善の治療法を見つけるためにもう一度検査をさせてほしいとの事でした

その間、父は尋常ではない痛みを我慢し続けなければなりませんでした

見ている事しか出来ない事がとても辛かった

それでも、6月の頭に腰痛をおして私の娘の住む街まで行ってくれました

娘の嫁ぎ先のご両親にもお会いできて

色々案内してもらって

良いご家族に嫁いで安心したと言ってくれました



その翌週、痛みは更に激しくなり、父はとうとう歩けなくなってしまい

急遽放射線治療を受ける事になりました



こんな事になるなら

検査など後回しにしてでも放射線治療をするようにお願いするべきだったと後悔しました

なんの知識もない私たちに唯一出来ることだったのに…



それでも父は懸命にリハビリを続けました

私たちが検査を優先したことを後悔していることを知っていたからです

家族のためにその選択は間違いではなかったのだた示したかったのです

足首さえも動かすことが出来なかった

ゴムバンドを使って足首、膝が曲がるようにずっとリハビリをしていたそうです

関節が曲がるようになり

リハビリ室で立つ訓練を始め

父は

全く動かなかった足で立ち、自分一人で車椅子に移れるようになりました


父に希望が見え始めた時に

医師から検査の結果が告げられました


『原発不明ガン』


ガンは体中あちこちにあり、発症元がはっきり定められません…

今の体では抗がん剤治療にも放射線治療にも耐えられない。治療方法がない。

それでも治療をというのなら…出来ることは延命治療だけです
それよりも私は人間らしく最期の時を迎えられる緩和ケアをお勧めします
痛みを取り、出来る限り普通の生活をする事の方がお父様には良いのではないかと思います。


「そうか…」

そう言って

父は延命治療を望みませんでした


私達家族はこんな話しを本人を目の前にしてするものなのか?と思いました

看護師さんが医師の説明の後

ご家族様だけこちらに…と別室に呼ばれ

医師の説明は冷たく聞こえるかもしれませんが、お父様はとても賢い方です。隠し通すことなどできません。多分、ご自身はすでに気がついていらっしゃいます。ですから、私達は告知する事にしました。
お父様がお父様らしく過ごせる事の方がより良いと判断いたしました。
それでも、ご家族がご納得出来ない事があれば何なりとお申し付けください。

父は賢い人でした

隠し通すことなど絶対に無理だったと思います

家族の心労を少しでも軽くするため

医師はその事も踏まえてあの時告知してくれたのだと思いました

病院で出来る治療はありません

できれば…緩和ケアとリハビリをしてくれる特別養護福祉施設に移っていただくのが良いと思います


車椅子での生活を家では無理だと思った父は

施設に入ると言い切りました


ケアマネージャーさんがついてくれて

何箇所か特養を紹介してくれました。


父は

家からは少し遠いけれど、実姉がすぐ近くにいる特養を選びました

この頃は農繁期…家族の負担を減らすため

父はどこまでも家族想いな人だと思いました


今日はここまで







バラエティとドラマ

2019-01-13 08:42:28 | 日記
おはっぷう( ´・ω・)ノ

おひさしぶりです


今日もお天気が良いです。

良いこと、良いこと♪

しかしとても寒い、連日ー10℃を下回っております。

日中もマイナスです

寒いなぁ




話しは突然昨晩の事になりますよ



*注意:ここから関西弁風にお読みください


昨日ね、すべらない話しみたんですわ〜

他になんも観るもんないし〜

すべらない話しとか、昔はもう少しすべらんかったと思うんですけどね

若手にこんなんおるや〜思いながらね

観てたんですわ

まぁまぁおもろいやんて観てたんですけどね


中堅世代のつまんなさ


Jのすべらない話し
(はぁ?何?なんのはなし?)

Mのすべらないはなし
(何?ただの近況報告でっか?オチもなんもない)

Dのすべらない話し
(お前の思い出話し先輩の悪口だけやん…気分悪)


そこ行くと小藪さんはまぁまぁ

若手の方がすべらんかったわ

ちゃんとオチも考えてあって


なんなん、あいつらダラダラダラダラ喋って

最後になんかあるんかなぁ?って聞いてやったら
最後もなんもないんかい!!

別にね〜笑いに厳しいわけちゃいますよ

でもね

おもんない

クスリともけーへんねん



そこ行くとですよ

一昨日の夜


笑福亭鶴さんがやってる

Aスタジオをって番組の500回記念に

さんまさんが出たはったんですわー




私ね

最近さんまさんの番組つらくてあんまり観らへんかったんですわ

さんまさんの人のしゃべりにかぶってくるようなあの勢いに疲れてしまって

ついていかれへんかった


でもね観たんですよ

Aスタジオ


やっぱりね

すごい人ですわ さんまさんは


なんか説明するのはあれなんですけどね

あの人の笑いには魅力があるっていうんですかね


うるさいけど


面白おかしくするために、人を落としてネタにしてもちゃんと最後にはたてるし

頭良いなぁって

それともこれは感性なんかなぁって

バラエティ番組で感心してしまいましたわー


もし、動画上がってて観られたりしたら

ぜひ観て観てください

大御所が何故大御所なのかわかりましたわ



*ここからは標準語でお読みください


あ、後

そんな感じでテレビがつまらなかったので

録画しておいたドラマを観ました




第1話なかなか面白かったです

クソ生意気なガキどもを懲らしめるんです

面白い


第2話が楽しみです

今晩だ観よう〜っと