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kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

100年前の煙害事件−6

2024年11月21日 | 100年前の煙害事件

この間、住友は煙害試験場を立花小学校下側、清水(きよすい)に設けて、風力・雨量煙害の度合を調べた。また、坪刈りといって、各田ごとに1坪ずつ稲を刈りむしろに包んで名前を書き、郡役所へ持っていき、こいでこなして出来工合を調べたり、1町に1本くらいずつリトマス試験紙をたてておいて、その変化を調べるなどして被害調査も行なった。(元立花村長越智武談)

煙害問題の解決  四阪島製錬所も亜硫酸ガスを排出しなくてすむよう研究を重ね、昭和5年5月にはペテルゼン式脱流装置が完成し、13年7月に中和工場が完成するに及んで、一切の硫黄分は硫酸アンモニアにかえられ、肥料として使われるようになった。

そこで、昭和14年12月4日、知事持永義文・住友側三村起ー・被害民代表曽我部右吉外9名による賠償協議会で、

  1. 賠償金については先に硫酸工場(ベテルゼン式)、本年の中和工場の完成により害除却の目的は達成され、農作物の害はないものと認められたので廃止する。

2.  農林業奨励助成金ならびに公益増進のため、むこう10ヵ年、137,000円ずつ寄付する。

  1. 特別寄付金は一時金として100万円寄付する。
  2. 農林業奨励寄付金は、一時金として65,000円を県に寄付する。

と決まった。

なお、前表の公益寄付金は積み立てていたが、大正14年ごろ頂点に達していた中学校入学難を緩和し、青年の進路を拡張するため、この資金を活用して加藤徹太郎ら5名の煙害代表者、越智郡長川又金太郎外有志らが中学校新設に尽力した。敷地買収及び建築には27万円を要し、組合立越智中学校として創立し、大正15年4月に第1回入学式を行なった。当時、この地方の中学校は県立今治中学校だけで入学者定員は 200名にすぎないのに希望者は700名を超えていたので、越智中学校の設立には大きな意義があった。越智中学校は昭和19年に県立に移管された。  (完)