半田山ハイツは、旧都市計画法のもとで開発された団地です。
現在の都市計画法の施行は、昭和44(1969)年なので、旧法に基づく開発でした。
そのため、
公園が少ない
道路が狭い。傾斜が急な坂道の下に交差点があって、交通の危険個所だ、
など、言われています。
集会所は用地もナシでした。
住民は、町内会を作り、住みよい環境にする努力を重ねてきました。
先日、偶然に、ある人の追悼集を手にし、読んでいたら、
町内会初期のことが書いてありました。
書いたのは故人のため、ブログ掲載の承諾は得られませんが
興味のある方に読んでもらいたいので、掲載します。
出典は『紅白梅』庄司博一追悼集 です。
----------------------------------------------------
内容(大まかなテーマ)
1.(7月20日) 半田山ハイツと町内会の誕生
(下記2人の寄稿から)
2.(7月19日)「町内会ができるまで」杉田 達次
3.(7月18日)「町内の親睦を広げて」臼杵 伸
追記:7月22日
「追悼文」なので故人との関わりが主題ですが、その中から、
町内会に関する部分をピックアップしました。
追悼文のコピー、読みにくいのですが、ご参考までに。
このブログはPOFが使えないので、文のコピーは画像(jpeg)です。