顕正会による「ニセ本尊」作成の物的証拠は、もう御宗門の手の内にあります。だって、自宅拠点もってる幹部がポロポロと脱会・入講してきてるんだもの。バレないわけがないでしょう。
顕正会員諸君!
顕正会はもはや沈みかけた船です。浅井さんを恩師と仰ぎ国立戒壇の夢に執着するあなたがたの心情は痛いほどわかります。だが、既に浅井さんは船と運命を共にして華々しく死ぬつもりなのでしょう。あなたがたは、地獄まで彼の道連れにされてもついていくおつもりか。それがあなたがたのヒロイズムか。まずはあなたがた自身が、その船からさっさと脱出なさるべきだと思います。その上で、旧師浅井先生をはじめとするかつての同志たちを無間地獄の苦から救うべく、創価学会解体・顕正会解体・日蓮正宗広宣流布のための正法正義の一大折伏戦に決起すべきであります。
本門戒壇大御本尊所住の処を広布前にも「事の戒壇」と拝すべき、日寛上人『六巻抄』の文証。それがもし有るとしたら、あなたがたは顕正会を脱会する覚悟がありますか?それともないのですか。
ないと言うなら、あなたがたは真剣に日蓮大聖人様の正しい仏法を求めている人ではないということでしょうから、わざわざ文証を示す価値もありません。ただの浅井教信者でいきたいならば、勝手にすればよろしい。大罰必定の一言にて話は終わりです。
大曼荼羅偽造問題は確かに由々しき問題であるが、日蓮正宗信徒の立場から見れば、大曼荼羅が偽造であろうが真筆であろうが、謗法者集団=浅井一派の手にある限り、それは「正しい本尊」ではありえません。要するに、偽造であろうが真筆であろうが、教義上はニセ本尊である、ということです。顕正会による大曼荼羅偽造の一件は、「本門戒壇之大御本尊」への違背という根本的な大謗法罪の上にまた一つ罪を新たに重ねた、というだけのことでしょう。
まずは戒壇の事義、この件について決着をつけたいと思います。本門戒壇之大御本尊の住処を「単なる義の戒壇」と蔑如して御供養・参詣をサボり続ける顕正会は大謗法であります。汝はその文証を求むるや、否や。顕正会の謗法堕獄治定ならば、脱会の覚悟は有りや、否や。
汝、本門戒壇之大御本尊様への信心を続ける意思は有りや、否や。もしあなたがたが、顕正会がもし間違いなら本門戒壇之大御本尊様に帰伏するよりもむしろ無宗教になるつもり、と言うのであれば、私もこれ以上あなたがたに何も申しますまい。そんな考えなら、最初っからそれは信心でも何でもないのですから!
顕正会員諸君!
顕正会はもはや沈みかけた船です。浅井さんを恩師と仰ぎ国立戒壇の夢に執着するあなたがたの心情は痛いほどわかります。だが、既に浅井さんは船と運命を共にして華々しく死ぬつもりなのでしょう。あなたがたは、地獄まで彼の道連れにされてもついていくおつもりか。それがあなたがたのヒロイズムか。まずはあなたがた自身が、その船からさっさと脱出なさるべきだと思います。その上で、旧師浅井先生をはじめとするかつての同志たちを無間地獄の苦から救うべく、創価学会解体・顕正会解体・日蓮正宗広宣流布のための正法正義の一大折伏戦に決起すべきであります。
本門戒壇大御本尊所住の処を広布前にも「事の戒壇」と拝すべき、日寛上人『六巻抄』の文証。それがもし有るとしたら、あなたがたは顕正会を脱会する覚悟がありますか?それともないのですか。
ないと言うなら、あなたがたは真剣に日蓮大聖人様の正しい仏法を求めている人ではないということでしょうから、わざわざ文証を示す価値もありません。ただの浅井教信者でいきたいならば、勝手にすればよろしい。大罰必定の一言にて話は終わりです。
大曼荼羅偽造問題は確かに由々しき問題であるが、日蓮正宗信徒の立場から見れば、大曼荼羅が偽造であろうが真筆であろうが、謗法者集団=浅井一派の手にある限り、それは「正しい本尊」ではありえません。要するに、偽造であろうが真筆であろうが、教義上はニセ本尊である、ということです。顕正会による大曼荼羅偽造の一件は、「本門戒壇之大御本尊」への違背という根本的な大謗法罪の上にまた一つ罪を新たに重ねた、というだけのことでしょう。
まずは戒壇の事義、この件について決着をつけたいと思います。本門戒壇之大御本尊の住処を「単なる義の戒壇」と蔑如して御供養・参詣をサボり続ける顕正会は大謗法であります。汝はその文証を求むるや、否や。顕正会の謗法堕獄治定ならば、脱会の覚悟は有りや、否や。
汝、本門戒壇之大御本尊様への信心を続ける意思は有りや、否や。もしあなたがたが、顕正会がもし間違いなら本門戒壇之大御本尊様に帰伏するよりもむしろ無宗教になるつもり、と言うのであれば、私もこれ以上あなたがたに何も申しますまい。そんな考えなら、最初っからそれは信心でも何でもないのですから!
>あんたの教義だと浅井が大聖人御真篳を所持していたら、それも偽御本尊なの?
その通り。顕正会・正信会・創価学会や身延派などの謗法の人が所持している限り、その大曼荼羅は、たとえ日蓮大聖人の御真筆といえども、「正しい御本尊」たりえません。『立正安国論』に曰く、「聖人所を辞す」と。大聖人様の御法魂は、謗法の人が所持する大曼荼羅からは直ちに離れ去って行かれるのです。謗法の人が所持する大曼荼羅に、大聖人様の御法魂は決してお住まいにならないのです。
文証すら出せんのね
しかし、「総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず」(曾谷殿御返事)と大聖人様は御書にはっきり説かれておりまして、仏法における唯授一人の別付嘱を受けられた血脈付法の御正師に背く教えによっては、絶対に「一生成仏」という真の功徳を得ることはできないのです。顕正会のような邪教による小利益は、真の「功徳」ではなく、あなたから成仏という大利益を奪い取るための「魔」の所為なのです。会員さんが早く魔のたばかりを見抜き、血脈否定の大謗法を改悔せられんことを、心よりお祈り申し上げます。
インドの釈尊は全世界の王者たるべき三十二の相を全て兼ね備えておられましたが、釈尊に背いて独立教団設立を図った悪逆の婆達多も、三十二相のうち三十相までは持っていたと言われます。
今、臨終の相もかくのごとし。26世日寛上人は『臨終用心抄』において、「他宗謗法の行者はたとえ善相ありとも地獄に堕つべき事」と仰せられています。つまり、謗法者の多くは臨終に悪相を示すけれども、「成仏の相」にきわめてそっくりな相を示すこともある、ということを御教示あそばされているのです。これは、まさしく魔のはたらきによって起こることなのです。
所詮私たち凡夫は、眼前の現証だけでは物事を正しく判断できません。天台大師云く、「文無く義なきは信受すべからず」「文証無きは悉(ことごとく)く是れ邪の謂(おも)ひ」と。大聖人様は『唱法華題目抄』に曰く、「法門を以って邪正をただすべし、利根と通力には依るべからず」と。現証だけに依るのは危険です。文・理・現の三証が揃って始めて正しい仏法と言えるのです。
「血脈否定でも成仏できる」という御書経文の文証が何もないのに「成仏の相らしき相」という現証だけが顕正会員たちの身にあらわれてきているのならば、それは明らかに「魔の所為」と見破るべきではないでしょうか。
御相承と成仏の関係について、顕正会の主張によるならば「御相承が断絶したので、目師再誕までの間は、”血脈付法の御正師”は不在である。しかしそんなことは関係なく、顕正会員は成仏できる」といったような説明になるのではろうかと思います。しかしそのような血脈観・成仏観は、「成仏思ひもよらず」との御本仏の御金言に真っ向から背く魔説にしか過ぎません。そもそもいったい何のために、大聖人様は日興上人ただお一人だけに血脈を相承されたと思ってらっしゃるのでしょうか。唯授一人の血脈と衆生の成仏は、一体不可分のものなのです。血脈付法の御正師が不在の時には、末法の衆生は成仏できないのです。だからこそ大聖人様は唯授一人の血脈相承を「尽未来際」「無令断絶」とはっきり御決判あそばされており、この御遺命のままに総本山大石寺は第ニ祖日興上人以来嫡々代々、今日に至るまで700有余年一日の空白もなく、清浄の法統を伝えてきているのです。
という事は、どうでもいい事ではないでしょうか?
元々、日蓮様の仏法では、ご神体や御影などは改変される
恐れがあり、それ故に、仏像ではなく文字をご本尊に据えた
のではありませんか?
それを「これは偽者だ」とか
「代々受け継がれ来た僧侶が書いたから本物である」とか
その考え方自体が日蓮様の教えに背いているのでは
ありませんか?
例え、猿が模写したご本尊でも、それを通して日蓮様を信心
しいてるのなら、そのご本尊は本物であり、その信者には
功徳が与えられると思います。
それが本当の日蓮様の教えではありませんか?
昭和40年代迄の顕正会の勤行は
五座・三座の勤行でした。
今の顕正会の勤行は一座です。
浅井昭衛氏の見解で変更に成ったそうです。今は宗門や法華講の方に確認してる状態です。
先ず
ご住職の
お話を聞いてから判断したいと
近所の
日蓮正の寺を探してます。
日蓮正宗から破門されたのは、昭和49年。その為に宗門から
開眼供養をされた正式な御本尊様が入らない為に
拠点での入信勤行が叶わなく成ってしまう。自宅拠点等の人はその事実を有りのまんまに見て来たのでしょう。
大変に辛い想いをしかたもしれない(TдT)
個人的な見解ですが、
正式な手続きを受けた真っ当な御本尊様が一番有り難いです。
開眼供養の話が一番私の想いを動かしました。
地獄行きは、嫌です!
逃げます!
己の良心に真っ直ぐに生きます。、
たまに夢にでてきますが『私に真っ当な生活をして欲しい様子です(泣)』真っ当な社会人に戻りたい。
入信勤行の時、御本尊様にお目通りします。
開眼供養を受けて無い悪鬼乱入したニセ本尊の恐怖体験があります。
私は霊媒体質らしく、入信叶った女の子が気分不快を訴えてました(泣)
彼女に、申し訳ない事をしてましまった(泣)と後で後悔したものです。
その彼女は顕正会を離れました。
引き留める気は全く有りません。
私の責任だから、
彼女には幸せな結果を期待してます。
他の五老僧を落第にしたのでしょうか?
教学4級試験に落ちてます。来年教学試験受けても落ちるでしょう。
顕正会に都合のイイ回答を書けない為なのです。私は
私の限られた知で知りうる限りしか出来ません。
嫌だ!