梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

壊すコミュニケーションと築くコミュニケーション

2022-02-03 08:56:17 | 雑記 Communis2022

コミュニケーションは、「ひとが意味を伴うメッセージを解釈し、伝達し、交換する行為」です。それは、なんらかの目的を達成するための手段(宮原,2007)でもあります。送り手や受け手が目的を見極めて実行する能力をゴールコンピテンス(宮原,2007)と呼びます。

ビジネスの場ですと、例えば、「販売商品への関心を喚起したい」「契約書を渡すステップまで実行したい」といったその時々のゴールをあらかじめ思い描くことが多々あるのではないでしょうか。しかし、自分自身に立ち返ると、普段は、さほど会話や対話の目的を意識せずにいることが多かった過去があります。

ゴールを描くと、現在進行中の行為も途中で軌道修正したり、変化してくるやもしれません。もっとも、現状維持や変化しないといった静的な状態も大切な目的となります。

また、コミュニケーション行為には、壊す行為と新たに築いていく行為があるように思います。

以前、乱暴な言葉でクレームを言っているひとに遇いました。どんどん言葉は乱暴になり、エスカレートします。傍で聞いていると、一体何を求めてこれほどまでにエキサイティングになっておられるのだろうと不思議にすら思います。

結果として、クレームの内容はきちんと伝わらず、解決の糸口である受け手との関係性も壊れてしまいます。

この一連の行為で送り手を支配しているキーワードは、「壊す」です。しかし、同じ状況でも、「築く」ことはできます。問題を伝え、解決への協力を仰ぐ。言葉も態度も大きく変わってくるはずです。

できることならば、「築く」コミュニケーションをたくさん実行し、体験したいものです。

 

 

 

参考図書

宮原哲著『入門コミュニケーション』松柏社,2007。


コミュニケーション能力を求めます?

2022-02-01 08:33:49 | 雑記 Communis2022

 

就職前線でがんばっている学生たちに焦点を当てたドキュメンタリーかなにかで、某企業の人事部の方が「新入社員に求めること」として「コミュニケーション能力」と回答している姿を何度か目にしました。なんだか曖昧な言葉で、どういう意味で使用しているのだろうと、不思議に受けとめています。すでに入社したひとたち、全社員は、人事部の方がおっしゃるコミュニケーション能力をお持ちなのだろうか?と意地悪な質問をしたくなります。人によっては、母語以外の語学力と混同しています。

カナダの言語学者、カナーリーとスウェイン(1980,1982)は、コミュニケーション能力を4つの要素で定義しています。「1.文法能力(grammatical competence)」「2.談話能力(discourse competence)」「3.社会言語的能力(sociolinguistic competence)」そして「4.方略的能力(strategic competence)」の4つです。それぞれ

  1. 文法を運用して正確な文を生み出す力、
  2. 場面に応じて適切な話題を選択する力、
  3. ある程度まとまった内容をわかりやすく伝える力、
  4. 知っている知識を組み合わせて、伝え合う力です。

この定義は、語学教育の中で活用されています。

コミュニケーションモデルをもとに、この4つの力を考えると、送り手や受け手がそれぞれにコミュニケーション行為を構成する9つの要素について知識を深め、情報量を増やしてこそ発揮できるように思えます。つまりは、全人的と言えばよいでしょうか。そのひとの価値観、学び、生き方すべてが、4つの力の源であり、構成要素となりそうです。また、コミュニケーション行為は相互作用なのですから、いよいよもってコミュニケーション能力の高低を判断するのは複雑です。こう考えてくると、曖昧で抽象的なものですから、他人に求める能力ではないのかもしれませんね。もし、それらの能力に漠然とでも気が付いたら、「求める」のではなく、「認める」もののように思います。

 

しつこく再掲しておきます。この雑記の「基礎」であり、「すべて」でもありますので。

出典:Benjamin,1996,訳書,5ページをもとに筆者作成