梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

入学式よりふたり旅。

2021-12-12 06:56:30 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

40年前、娘は京都の大学を選んだ。ひとりで下宿を探し、親元を離れる準備を進めていると、珍しくスーちゃんから電話が入った。

入学式にマコちゃんとふたりで来るという。1年前に大学受験に失敗し、お祝いをしてもらっている[1]ため、娘が選んだ大学に実際に来てもらえることはうれしかった。

前日に2人でやってきた。下宿の大家さんにご挨拶してくれた。ところが、肝心の入学式当日。京都御所で待ち合わせたものの、その時間に行くと、

「今、御所で春の特別公開をやっているらしいから、そっちに行くわ」。

そう言って、ふたりは、キャンパスに背を向けて、御所の中に消えた。かくして、娘は、一人会場へと向かったのである。

そもそも、ふたりとも、受験日でさえもよく覚えていなかった。朝起きて顔を洗っていると、マコちゃんがやってきた。

「今日は、早起きだねぇ。どこか行くの?」

「受験ですよ、受験。神戸から京都に行くよ。一度帰ってくるけど、また、東京へ行く」。

「そういやぁ、こないだおとうさんから受験料って言って大枚をせしめたよな」。

こんな調子であった。

入学式当日、結局、ふたりは、キャンパスへは入らずじまい。夫婦で、御所を楽しんで、家路についたという。

親というものは、子どもがほんとうに困ったときに受けとめてくれたら十分で、普段は、この程度、無関心でいてくれた方が良いのかもしれない。

子どもは自立せざるをえないためである。

2013年秋に実査している調査によると、近年は、保護者が受験に付き添い、宿泊さえも女子では半数、男子でも4割近くの保護者が同伴したと回答している。

サンプル数が200程度なので、どの程度の信頼性があるかは疑問が残るものの

娘にとっては、自身が高校生となって親と一緒にお受験旅行をするなど想像すらできない。また、2003年だったろうか。母校で、学生たちが自治会を解散し、自治権を返上したいとの情報もあった。

明らかに、親子の関係は変質し、さらには、大学という場所、大学生という存在もまた変質している印象を抱いた。

保護と支援、手引き、過保護と過干渉。線引きの加減を思うとき、子育ては、さぞ難しいものと思える。

マコちゃんとスーちゃんによって、適度な距離感があり、話は聞くが、判断は自分でしなさい、という子育てをしてもらい、感謝をしている身としては、親を見送った後に、子どもたちは大丈夫だろうか、といらぬ心配が頭をもたげてくるのである。

 

[1] 2021年11月20日掲載 エッセイ『失敗祝い』参照ください。


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