スーちゃんは、美しかった。才色兼備という四文字熟語がぴったり当てはまりそうな人であった。そのスーちゃんが避けられなかった事故で片目を失明し、鍼灸の世界で生きる覚悟をした。戦前、戦中、戦後と生き抜くなかで、時にこころないひとから「あんま」「めくら」[1]と蔑まれたこともあったと聞く。
若いころには、ずいぶんと辛い思いをした。しかし、スーちゃんは無類のポジティブウーマンであった。さらに世話好きである。おまけに食いしん坊が付く。とにかく、ひとに何かを贈るのが好きだった。年を重ねて、患者さんに恵まれ、経済的にもめぐまれてきたことを背景に、贈り物の量たるやすごかった。質も量も桁違いだった。
或る日、スーちゃんがつぶやく。
「10万円ほしいなぁ、お父さんお小遣いくれないかなぁ」
「何買うの?」
「小豆」
「4人家族の家のご婦人が、10万円分の小豆をお買いになりたいと言う?何するの?」
「さっきデパートで見た大粒のきれいな小豆でぜんざいを作りたい。そして、みんなに配りたい」
スーちゃんは、真剣である。
スーちゃんは、お釈迦さまの日に生まれたから、ひとのために何かをしたいという思いが強かった。本人もそう言っていた。
しかし、彼女の晩年、一緒に居ることが多かった上の娘は、違うスーちゃんの想いを観ていた。
スーちゃん、若い時の悔しさを忘れていなかった。差別への憤りを忘れてはいなかったのだ。かつて自身をいわれなく蔑んだ<世間>といった漠とした存在に対する悔しかった想いを贈る行為に替えていたのではなかったかと娘は観た。桁違いの質、価格、そういった贈り物の背後には、悔しさを経済力で溶かそうとする意識があったように思えた。
「お母さんの買い物は、お返しじゃなくて、仕返しみたいね」と口にした。
スーちゃん、どうやら自覚があったらしく、やはり悔しい想いしたことを娘に話し出したらしい。
スーちゃんは、悔しさを多少の見栄と奉仕のこころに変えていた。
だからこそ娘への手紙の中で、「生涯、朗らかに生きていきたいのです」と書いた。自身の消えない悔しさに気づいていたからこそ、自分を光の方へと連れていく言葉だった可能性がある。
娘の家にもいつも立派なものが届いていた。スーちゃんが逝ってしまい、自身で店へと出向いたときに、とても自分たちのお財布では入手できない品ばかりだったことを知った。まぁ、お財布に見合う品で満足することを覚える機会だと考えることにする。娘には、感謝したい<世間>はあるが、仕返ししたい<世間>はない。今のところだが。
しかし、子どもの頃、いじめられたら3倍優しくいじめっ子に接しようと決めたけれど、この発想は、スーちゃん譲りかもしれない。
[1] 「あんま」「めくら」は差別用語とされ、放送自粛(禁止)用語とされています。
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