梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

ミードが考えた「自我」。

2022-01-29 08:30:05 | 雑記 Communis2022

コミュニケーションの送り手や受け手となる人間、自分とは何か?

シカゴ大学で教鞭をとったジョージ・H・ミードは、社会的自我論を展開しています。

ミードは、人間の自我が他者との関りにおいて形成されると考えます。社会の前に自我ありき、とする孤立説ではなく、社会が存在し、その中で、人間は 役割取得(role taking )を通じて、自我が社会的に形成されていくと考えています。

ここにAさんが居るとします。Aさんは、父や母、教師などAさんにとって

「意味のある他者」による期待を取り入れながら自我を形成していきます。もっとも他者の期待は一致しているわけでもなく調和していないこともしばしばです。そうなると対立や葛藤が起こるのですが、こうした対立や葛藤に創造的に取り組み、解決に導くもうひとつの自我があると主張しています。

自我は、主我(I)と客我(Me)というふたつの側面から構成されています。「客我は、他者の期待をそのまま受け入れたものを指し、主我はそのような客我に対する反応を表して」[1]います。

以前、リストラクチャリング(日本では、退職勧告という意味が色濃いですね)の対象となった一部上場企業のエリートに、「何か今後取り組みたいと思えることなどありますか」とお尋ねしたことがありました。彼は、その時「ないのです。やれといわれてきたことをやるのが仕事だと思ってきたのです」と、答えました。

ミードの思考を借りれば、客我ばかりを育て、主我に蓋をしてきたように思えました。主我を育てていなければ、創造的に解決していく力は持てないままになります。しかし、この極端なほど、客我の強い国民だからこそ日本経済は力を得てきた時代もあった点は否めず、強みであると同時に弱点だなと思います。

 

 

 

 

 

 

船津衛『ジョージ・H・ミード』東信堂,2000。

鶴見俊輔「「G・H・ミード」『(新版)アメリカ哲学』社会思想社,1971。

 

[1] 船津衛『ジョージ・H・ミード』東信堂,2000,p.7

 

 



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