梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

9歳、いのちの選択。

2021-12-11 05:44:06 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

原因不明の高熱に苦しんだ翌年、健康診断で心臓の雑音を指摘された。娘が9歳、1968年の話である。リウマチ熱であり、心臓中隔欠損症と診断された。以降、娘は、夜眠りに就くとき、明日は目覚めるのだろうか、と真剣に憂え、そして、死を覚悟しながら毎日を過ごしていた。

当時の外科手術の成功確率は、50%。外科手術により完治を目指すか、あるいは、この半年の間に変化が認められなかったことからしばらくは経過を診ていくか。二つの選択肢があると医師から話があったと告げられた。

「どうする?」マコちゃんが娘に聞いた。

娘は大いに悩んだ。悩みぬいた。

道は、ふたつ。手術か観察か。半年間悪くはなっていない。半分の確率で、もう生きられない。情報はそれだけ。あとは、死を覚悟した夜の数くらいである。

「50%、50%の確率なら経過観察を選ぶ」。

治療室とお茶の間を隔てるガラスドアの桟に腰かけて、そう言葉にした。

「わかった。じゃぁ、これまで通り半年に1回大きな病院でチェックをしていこう」

マコちゃんは、治療室のベッドを机代わりにして、片ひじをつきながら、そう答えた。

考えてみると、わずか9歳の娘に自分の病にどう対処するかを問うている。自分のいのちをどう考えるかを問うているのだ。そして、娘が出した答えに寄り添うように従っている。スーちゃんもまた同じであった。

子どもにとって、主体は常に子ども自身にあると思えた。自分のことは、自分で考えて、決める。親は、痛みや病を代わりに引き受けることはできない。本人が引き受けるしかない。そのことを熟知していたからこそ、寄り添うことに徹底していた感がある。娘は、自然に、主体的に生きるように育てられてきたことに気づく。

しかし、スーちゃんは、どこかしら、娘の病は自身のせいではないのかと苦い思いを抱えてきたようだった。当の娘は、親の責任などと思ったこともなく、病を逃げ道にしたことは一度もなかった。

病については、この時の判断が功を奏す。21年後、病は中隔欠損ではなかったことが判明した。おそらくは、循環器、心臓外科領域の研究が進み、さらには、検査機器の精度が飛躍的に向上したのだろう。雑音の原因は、僧帽弁の動きであった。あの判断から35年後、心臓外科手術を受けた。その際に医師から告げられた成功確率は、99.8%であった。

進歩していれば、時を重ねることで得るものは大きかった。

人間も、また同じでありたい。


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