とりあえず

とりあえず、いつまで経ってもとりあえず?
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2006/09/03 翠樅祭

2006-09-03 23:36:54 | とりあえず
そういうわけで、母高校である宮城県泉館山高等学校の文化祭に行ってきました。

あー、ここを読んでる人で知らない人も多少はいるんでしょうから、説明しておきますと、私は高校のとき応援団にいて3年のときは団長やってました。そういう事情を踏まえて以下をどうぞ。

予定通り6:00くらいに起きて6:30過ぎに出発。7:30頃の新幹線に乗り、仙台へ。地下鉄~バスと乗り継いで一旦実家へ。一休み。思った以上に天気が良くて暑い。<長袖はやりすぎだったか....
待ち合わせは12:00。少し早いが11:30過ぎに実家を出て歩いて高校へ。3年間通った道だが、歩くのは10数年ぶりになる。

待ち合わせ場所に行くと、既に先輩方(3個上2名、1個上1名)は来ていた。靴を脱ぐのもそこそこに挨拶する。
「を~、変わってないな~」

応援団の現況を聞く。非常につらい状況だということがわかった。もともとわかってはいたのだが....逆にチア部隊はチアガールというよりもチアリーディングの要素が濃くなっているのだろうか、やたらに人数が多いことも発覚。体育館のステージ発表の枠を4枠も使ってるよ....すげー、見とけばよかった。

先輩方とつるんで校内を歩き回る。思い出多き場所、その場所は先輩方ともほとんど共通している。3階の渡り廊下、生徒会室、中庭....
当時の姿を残しているのは渡り廊下か。何もない場所。しかし、私の高校時代の朝の時間と昼の時間は必ずそこにあった。「遅い」と先輩に睨みつけられ「死ぬな」と思ったことも、下級生にわーきゃー言われながら(やや誇張)偉そうにしていたことも、ここだった。

一通りうろうろして時間があまってボーっとしているところで、別のところから声をかけられた。偶然にも同窓のというか、近所のというか、友人が来ていた。
「を~、変わってないな~」
という彼は老け込んでいた。(笑)
年相応だけど....
その間、先輩を放置し(何様(^^;)、近況を聞く。そんなことをしているうちに、現役のチアガールたちがぞろぞろと出てきた。

慌てて中庭に行くと2代目団長の先輩が来ていた。私が4代目なので入学当初にもっとも恐れ、そしてもっとも尊敬した先輩である。
「を~、変わってないな~」
挨拶もそこそこだが、公開応援が始まった。

公開応援。
自分が3年でやったときの中庭は何もないスペースだった。太鼓を鳴らすと、反響しあって学校中に太鼓が響き渡る。そして、各階の窓という窓から顔が覗き込み、そこでエールを切る。

しかし、今回は様子が違う。中庭は華やかになっているが現役男子応援団は1名。太鼓を鳴らす団員もいなければ、受ける団員もいない。声を出す人すらいない。団長の後ろには20数名のチアが彩っているが....いびつだ。

応援歌、エール、校歌とこなしていく団長。しかし、個人的には見ているのが辛かった。自分の愛した場所がその活動を止める。それを、ただ見ていることしかできない。

とにかく、宮城県泉館山高等学校の応援団は活動を休止する。その場に勢いではあったかもしれないが、立ち会うことができてよかった。
自分のときも最後は学年で2名になり、辛い思いをした。でも後輩は居た。だから今の団長の苦しさを私は知ることもできないし、ましてや解消することもできない。
「がんばったな」と声をかけようかとも思ったが、がんばったのなんか当たり前。それを言ってもしょうがないと思って、言うのはやめた。初対面だったしねぇ。年の差18だしねぇ。

公開応援を見届けた後、普通の父親になっちゃった先輩(こちらも2代目)が登場。
「を~、変わってないな~」

20歳前後の若きOB/OG達も居て、瞬間的には10数名のOB/OGが集まったのかな。
その後、私のときにはなかった応援団室へ。贅沢な。(^^;
中に入らせてもらう。ロッカーの上には歴代の団長の写真が並んでいる。私の写真は4枚目にあるわけだが、自分の左側よりも右側が圧倒的に多く(当たり前なんだけど)、なんか自分が一気に年を食った気になったり....懐かしいアイテムが用具入れから出てきたり....エールが14個あるとか聞いてびびったり....

移りゆくもの、変わらぬものが、そこにあった。

とりあえず満喫。
あまり長居しても後輩を疲れさせるだけなので(^^;)、とっとと撤収。

その後先輩方とファミレスで談笑。
超内輪ネタなので内容割愛。(^^;

実家に一旦帰ってからバスで仙台駅へ。
案の定、館山高校前から生徒がたくさん乗ってくる。一気ににぎやかになるバスの中。たまたま後ろに居たおねーちゃんがチアだった。友達と「ちょーよかったよー」「ほんとー? ありがとー」と、チアであることを楽しんでいそうな彼女の弾む会話を盗み聞き(^^;)しつつ、ぼんやりと「でも、応援団はなくなるんだよな」と思った。それが、彼女にとってはあまり関係のない出来事のようで少し悲しかった。


私の人生の最初のターニングポイントはたぶん、視聴覚委員のじゃんけんに負けて「じゃ、応援団やりますよ」と言ったあの時だったと思う。応援団を続けることでさまざまなことを覚えた。体力的にも腕力的にも精神的にもきつかったこともある。でも、やっぱ楽しかったしやってよかった。


個人として、何もできることはないのかもしれない。でも、言わずにはいられない。

宮城県泉館山高等学校応援団の復活を望む。
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10 コメント

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Unknown (Hiroyuki)
2006-09-04 18:03:15
ごめんね。途中で辞めちゃって。
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いいんじゃない? (kamo3)
2006-09-04 22:32:12
そりゃ人数が減ってしんどかったし、続けてほしいとも思ったけど、無理強いして続けさせるものじゃないしね。
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なくならないさ。 (以蔵)
2006-09-04 22:36:50


俺が応援団の事を思い出す時は必ず先輩達がそこにいて、

必ずお前達がそこにいた。この思いを無くさないかぎり、

俺達の応援団はいつまでもそこにあり続ける。

お前の顔と同じ様にいつまでもかわんねーよ。
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年の差18って (ゴマ)
2006-09-05 22:19:32
2倍じゃん。すげー。

返信する
Unknown (kamo3)
2006-09-06 00:05:46
以蔵先輩>

以蔵先輩もあまり変わってないとは思っていたのですが、団室の写真を見たら....やっぱ少し変わってました。

確かに私の想いの中には在り続けるでしょう。それがなくなったら、たぶん私は私じゃなくなる。とさえ思います。





ゴマさん>

確かに倍。素直に「俺も老けたな」と感じました。(^^;
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変わるものと変わらないもの (おつとあにさん)
2006-09-06 01:13:13
・・・。

三校定期戦とか、野球の応援とかどうなっていくのでしょう?

インターハイ予選?になるような県大会の前とか、

壮行式みたいなのはなくなるのでしょうか・・・?



やっぱり応援団だと思うのです。

人がいないのだから仕方ないものも理解しようとしてます。

・・・が・・・。



皆さま大変な思いをしながら応援団を続けたと思いますが(そうじゃないかもしれないけど・・・)

得るものも大きかったのではないでしょうか。

・・・やはり、たてこう生の誰かに伝承して欲しいです。

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定期戦とか (kamo3)
2006-09-06 22:05:40
あくまでも推察ですが、応援合戦は不参加になるってことでしょうね。

せっかくうちらのときにやり始め、今では「恒例」と言われているパレードも不参加かなぁ。



臨時的に応援団を結成することはあるかもしれませんけどね。



得るものが大きいことは確かですが、価値観の違いはあるし、やや結果論的なところもあるので、すごく難しいですね。

まあ、OBはそれをうまく伝えなければならないのでしょうけども....
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たとえば (おつとあにさん)
2006-09-09 01:14:51
仮に一年生が強制的に委員会として応援団になったとして・・・、

一年生じゃなくても何かのタイミングで再結成したとしても



ビデオなどを見て『ハイ、まねしてやりましたよ』

・・・てわけいかないし。



現在の顧問の先生との連携も要かな。
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そういう話は (kamo3)
2006-09-12 00:28:16
おつとあにさん>

あっちでやろう。(^^;

#あっちってどっちだ。
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おうっ (おつとあにさん)
2006-09-12 01:04:42
あっちでやろうぜ。
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