北国街道 今庄宿
幾重にも山が連なる今庄は、北陸随一の難所を背にして、この地を行き交う旅人は
みな今庄宿で疲れを癒やし、北陸から京、江戸へと山中峠、木の芽、栃ノ木峠越えたそうです。
懐かしき昭和のレトロルですね
今庄名物 おろしそば
うっかり撮る前に混ぜてしまいお見苦しき点、お詫びどす。メチャー美味しかったです。
敦賀三山のひとつ 西方ヶ岳
青春18きっぷ期限は今日まで、生憎の曇天と雨まじりの予報に山登りは中止、三たび敦賀方面に向かい
今庄下車、北国街道今庄宿散策後若狭乗り鉄消化旅と云ったところでしょうかね
米原、敦賀と乗継いで
10時7分今庄とうちゃこ
新羅神社の石段を登ると
燧ヶ城跡から
藤倉山への登山口
今日は蒸し暑く雨も降りそうで登りません
石段から日野山を望む
矩折(カネオリ)町の防御に配慮し、急に屈折して
遠くを見通せないように街道は作られています。
畠山酒造(玉や)
天保6年(1835)創業 旅籠を営みながら自家製のにごり酒を提供したのが始まりで「雪きらら」で知られています。
火事の際に隣家からの延焼を防ぐため
卯建が設けられています。
江戸後期の旅籠を再生 大黒屋
中央右奥に藤倉山
藤倉山がでた序に回顧アルバム3枚です。
初めての藤倉山頂で
2000. 09.03
ブナ林で寛ぎの一時 2000・ 09.10
カタクリ群生 2010.04.18
テッポウユリ
掘口酒造(大屋)
元和4年(1616)創業 酒銘は「鳴り瓢」
11:10 旅籠 若狭屋を改造した六助そば処
今庄おろしそばは此処で頂きました。
店内は間口広く、豪雪に耐える太い梁や面格子や格子戸などの特徴あり吹き抜ける風も心地よかったです。
11時49分小雨ぱらつく中
今庄後にします。
敦賀から12時20分発の小浜線に乗換え
車窓に野坂岳
三方から三方湖
若狭和田で途中下車
和田浜に出ると
雨が降ってきます。
去年出かけた時の和田浜
和田駅に戻ると
雨は上がりヤレヤレどす
若狭和田駅14時48分で東舞鶴、綾部で乗換えます。
車窓から丹波路の眺め
園部で快速に乗換え
17:53 京都とうちゃこ
西大路駅できれいな夕焼けに
迎えられ帰宅でした。
青春18きっぷ今庄宿散策から若狭路へ321k小旅行無事終了どす。 おつかれさまでした。
京都8:18ー9:50敦賀53ー10:07今庄~今庄宿~今庄11:49ー12:04敦賀12:20ー13:48若狭和田14:48ー15:14東舞鶴18ー
15:53綾部16:07ー17:12園部16ー17:53京都
今庄は父母の故郷鯖江に向かう途中にある山中の駅でした。今は駅も
乗客も少なくこじんまりしていますが私が子供の頃は
大きな拠点駅で補機機関車の増結、解放で
全列車停車、喘ぎながら急勾配の山中越えに挑んだものです。
今は北陸トンネルであっけなく通り過ぎますが
冬場は雪も深く葉を落とした木々に柿の実が赤く熟れていたのを懐かしく思い出します。
壮大な夕日がかおりさんをお祝いしてますね。
7年前、かおりさんに教えていただいて、
何もわからずに鍋倉山~藤倉山~今庄と歩いたことを思い出しました。
日曜はまたまた老夫婦の徘徊で、大文字山裏コースを歩きました。
まだまだ迷いと無駄が多い旅ですが、
まーよいかな、楽しいです
雨は上がりましたが少し蒸し暑く、昨日今日とステイホームどす。
今庄の宿場風景ご覧賜り有難うございます。
奈良井宿や妻籠宿のように観光地されてないので比べると地味ですが
かって旅人が行き交った宿場町の風情をうかがえ知ることができれば幸いです。
鉄路も今では北陸トンネルで軽々と敦賀から今庄まで15分そこそこです。
一昔は木之本から柳ヶ瀬越えと敦賀から山中越えで急勾配とトンネル続きの過酷な路線として
蒸気機関車旅は鉄道の難所としてかおりの子供時分に今でも記憶に残っています。
昔の旅人は1日30k歩いたそうです。それも草鞋履きで今はマイカーでスイスイですが
タイムスリップして当時を偲びながらとりあえず旧北陸線トンネル群路線跡歩きで
運行当時の雰囲気を味わうのも一興かもです。
機会あればチャレンジしたいと願ってます。
お祖父さんが美浜出身ということで幼少の頃から西方ヶ岳に野坂岳は
よく眺めていられたのですね。確かに駅や街は大きく変貌していますが山の姿は当時のままですネ。
敦賀駅は2023年完成めざし北陸新幹線工事たけなはです。その後小浜経て京都まで延伸とか・・・
敦賀までなら今のサンダバードで充分どす。
演習林や美山辺りに市街までトンネルぶち抜いてまで巨額の工事は
自然破壊や水源など枯れる可能性もあらずで敦賀どまりで充分かと思います。
いずれにせよ全線完成は見ること叶いませんが・・・
予報どおり朝から雨模様ですが気温も下がり
あの厳しき暑さもようやく収まる気配に安堵しています。
今のようマイカーのなかったひと昔、夏休みの楽しみといえば大阪、京都に住まいの方なら
若狭和田ビーチの海水浴だったかと思います。
私も職場から2回民宿泊まりで蒸気機関車旅で汐の香りと夏いきれの匂いが懐かしいです。
駅や駅前ロータリは当時とは大きく変貌していますが浜辺は昔と少しも変わらず
若かったあの頃にもう一度戻れるものなら帰りたいです。
感覚ではないでしょうか、大変よく御大のカメラワークから伝わってきます。昭和レトロも皆さん懐かしく思い出されておられます。松山容子琴姫様のボンカレー大村崑ちゃんのオロナミンCの看板は弘法さんの露天での定番でしたが最近は見かけなくなりました(弘法さん、天神さんの露店がコロナで休んでいます京都人としては寂しいですね)実際の街角に残っていると又一段とレトロ感がありますね~今回特にいいなあ~と感心したのは20年前の若き御大のショットの挿入はいですね~一緒に写っている人の思い出も御大は思い出されているのではないでしょうか、人に歴史ありですね。それにしてもお若いですね~和田美浜は皆さんの海水浴の思い出が多く寄せられて特に汽車でゴトゴトいった懐かしさは胸
キュンでしょうか今回の青春18きっぷ旅締めくくりは帰宅したかおり御大を迎える夕焼けでバンザ~イバンザ~イで拝見させていただく我々にもうれしい締めくくりとなりました。ありがとうございます。 合掌
北陸へ青春18きっぷで小旅行、楽しそうです。
今庄宿、いい感じですね。 父方の祖父が美浜町の出身でしたので、よく敦賀近辺も行きました。 敦賀駅、新幹線工事をやってるんですね。すごい変わりようです。かつては駅前のバス待合室で長い時間待って、美浜へ向かったものです。
野坂岳、西方ケ岳も登ったことはないですが、幼少の頃から眺めておりました。 街や駅は変わっても、山の姿は昔のままですね。
小浜線でぐる〜っと回ってこられ、充実のトリップでしたね。お疲れさまでした。
若狭和田は会社の契約民宿が有ったのでよく行きました。写真を見て思い出しました。沖の島まで何度か泳いで渡りました。若かったあの頃を懐かしく思い出しました。
ン十年前ですね!
父母の故郷は鯖江です。米原から鯖江まで当時は蒸気機関車旅でした。
敦賀から今庄まで北陸最大の難所といわれ急勾配が延々と続く山中越えで
12のトンネルにスイッチバックもあり後ろから押す補機連結
今庄駅は補機の連結、解放に燃料補給などで多忙を極めた重要駅でした。
トンネルを出入りする度に煤が入るので窓の開閉におおわらわでした。
杉津駅から眺めた敦賀湾は極上の車窓風景で忘れ難い汽車旅の思い出です。
今度出かけたときは旧北陸線トンネル群訪ねて
旧線歩きで当時を偲びたいものです。
例年だと信州辺りまで出没するのが習いですがこの夏の猛暑恐れ
更にコロナの追い討ちもあり近場徘徊で終了です。
今庄宿は藤倉山に出かける時何度も訪ねていますが
鹿の食害でカタクリが全滅状態になり、それ以降今庄はご無沙汰でした。
たまには山から離れて、のんびりローカル旅もいいものですね
ボンカレーは松山容子ですね。懐かしいです。
続き楽しみです!
ボンカレーの女優さん、懐かしいです。お名前は失念しました。
若狭和田へは昔海水浴に行ったことがあります。
お得な鉄道の旅!魅力ですね、私も行って見ます。