良いものを残す その2

坂井輪図書館が新しくなって、そこを本の受け取り館としていた私は、また坂井輪通いがはじまりました。
この前、自転車で通う道すがら、石附幸子さんの大きなポスターを見つけて、驚いて立ち止まり、しげしげと眺めてしまいました。無所属とも書いてありました。統一地方選に関係あるのでしょうか。

十年以上も前か、近くの中学で石附さんの講演会があったときの周囲の女性の興奮を今も思い出します。私たち世代のカリスマみたいだったものね。私は講演会には行きませんでしたが、大変な盛況だったそうです。昔、家庭文庫の主宰者としても有名でしたね。やっぱり良書主義者だったようにお見受けしたけれど、自分が最初に出会った種類のものは、それはどなたにとっても大切なものでしょう。
「刷り込み」ということについても以前書きました。自分が最初に出会ったものを母親のように思いこんでしまうということです。
大勢のボランティアが、「良書」の刷り込みにあい、また最初に指導にあたった司書を「私に教えてくれた大切な先生」と信じ込んでしまう、そんな刷り込みを何度も見てきました。自分にもそういう面がないか、いつも考えています。

「子どもにこそ良いものを」という考え方は、「良い物」という高いハードルを作り、大勢の子どもから本を遠ざけたように思うのです。そして、誰もが「子どもに良い物」という意識はあるだろうに、「良い物」の捉え方が違うために、その言葉がボランティアの間に上下関係を作ってきました。「子どもの人権」についてCAPではどのように説明して、子どもの本についてはどんな見解を持っているのか、聞いてみたいと思っています。でも、本人は、自分の言葉で語るサイトをお持ちでないようですね。私のように無責任に発言できないのでしょうか。ネット上の攻撃もすごいものね。

以前「良いものを残すという図書館の目的」という投稿をしました。今回の投稿は「その2」にしました。図書館の目的の一つに「良い物を残す」ということもあるそうで。今も私はブログに書いたその考えに変わりはありません。

それに付け加えて、「良い気風を残す」という思いも大きくなっています。「もの」は物質的なものでなく目に見えない「もの」であるという判断です。「違うものをこだわりなく取り入れる」「弱者からも強者からも学ぶ」・・・そういう目に見えない「気風」のような「もの」です。

「何を習うか」より「誰から習うか」が大切な大勢の人たちの中で、しんどい思いをしている方に届くといいと書き続けています。「習う」という感覚さえ古く感じている人も増えてきているに違いないと、心の中で念じています。ブログを書きはじめてから、やがて11年がたちます。

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