おばあちゃんが布団の中で語ってくれた

経験談で「布団の中でおばあちゃんが語ってくれた」と楽しそうに言われる方が多い。ほんとうはその願いをかなえる為に「ストーリーテリング」「おはなし」をしたいのではないか。つつましやかな、家族やその周囲を愛する気持ち。どうしてそれが、「おはなし会」で「大勢の前」で、「聞き手が椅子の時は、立って・・」「読書導入への道しるべ」「良い昔話を伝えるために」「発表会」「勉強会」と大げさになるのだろうか。
 布団の中でおばあちゃんは言ったのではないか。「今日はどんなはなしがいい?」これは、以前聞いた韓国の語り手と、同じこと。いちいち準備などしないのではないか。ほんの数秒の間で語り始めるはず。

自分の暮らしが豊かになるよう、だれでも自分の子どもや孫に語れる、そういう簡単な夢を叶えられるようなやり方を考えたいです。「自分の家に伝わるはなし」「自分の思い」「自分が親から聞いた昔話を伝えたい」という願いを口にする方もいらした。それがどうして「話を選べ」になっていったのか。
 図書館は、ひとそれぞれが幸せになる後押しをするのだと思います。続けていって他の子にも語って、それが昔の語りばさではなかったか。

数年前、黒埼図書館祭りの朗読コーナーに参加するという会員さんがいらした。「どんな話を朗読するんですか」と、軽い気持ちで聞いたら・・。
小さな声で「こうで、ああで・・」と話の内容を語り始めた。約5分。私は呆然としました。これが語りではないかと。中身は「金の瓜」でした。佐渡の昔話から練習しているんだと。紙芝居も、裏書をノートに書き写して練習される方です。私が1人だからああやってぼそぼそと語るんだけど、すぐ近くで聞く分にはなんの不都合もないのです。ムカシ語りはそうやって農作業をしながら伝えられていったのかな、と思いました。私はアタマが悪くて一度聞いただけじゃ他の人に伝えられないけど。
 その方も高齢だけど、語るのが好きなのです。そういう人の願いをかなえたい。偶然、先にやり始めた人は、後から始める人がやりやすいように、状況を考えるのも仕事ではないか、そう思うようになりました。当会には、まだ、語りが好きな方が大勢いらっしゃる。「え、自分の知ってる話じゃだめなの?」という感じだ。
 絵を書いて覚える方法があります。自分の知ってる話を、自分の言葉で語れればいい。話がまだらになっていたら、本で探せばいい。その姿を子どもにみせればいい。ただ、読書のためでなく、自分が存在するために。
 
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