私を知る人なら意外に思うかもしれないが私は護憲派である。つまり憲法の改正には反対だ。
私は今の憲法が完全だと思っているわけではない。時代遅れであるのは間違いない。改正すれば今よりよくなるだろうとも思う。もしこのままでよいと思う条項(9条とかね)があればそこは変えなければいいだけだという議論ももっともだ。自国製の憲法を持ちたいという気持ちも分からないではない。他にも明治の頃に輸入された時代遅れの法律は山ほどあるけれど、憲法は「占領軍におしつけられた」というところが微妙に嫌だという気持ちは理解できる(共有はしないがね)。
だがにもかかわらず、護憲派である。今の憲法のどこに価値があるか。もちろん9条、そして、これが「アメリカ製だ」という点だ。
アメリカは日本に平和憲法を押し付けたことを5年もしないうちに後悔したにちがいない。9条さえなければ朝鮮戦争でもっと日本軍を使えたはずだ。しかし、まさか自分が押し付けた理想の憲法を自分の都合で放棄させることは流石のアメリカでもためらわれただろう。結果として日本は朝鮮戦争に巻き込まれずにすみ、あまつさえ特需であっというまに復興の波に乗る。9条の奇跡だ。
その後もアメリカはことあるごとに後悔しつづけている。が、憲法が「アメリカ製」だというこの一点が日本をいつも微妙に有利にしている。もし9条がなかったら、ありもしない大量破壊兵器のために出兵という建前上の正義もない戦争に、日本も戦闘員を出さなくてはすまなかったろう。また、もしこの憲法が日本製であれば、アメリカはとっくに9条改正の圧力をかけてきただろうと思う。なにしろアメリカという国は日米構造協議に見るように、他国の内政干渉が大得意な黒船帝国なのである。かの国のずうずうしさをあなどってはいけない。だが、いかにアメリカといえどもライスぐらいのでなければアメリカ製の憲法を改正しろとはあからさまにはいいにくいだろう。(*ライス-日本に牛肉を輸入しろと言ってきた高官。アメリカは日本の牛肉を輸入禁止にしたまんまのくせに)。
現在憲法改正に賛成している人は国民の半数に達している(中曽根氏の長年の夢が実っているようだ)。だが、9条改正に賛成する人は少数派である。憲法は改正しても9条は残せると思っている人は多いだろうが、その9条は改正前と同じ文言でも威光は違うかもしれない。一部でも変えれば全体が日本製となるからだ。戦勝国に押し付けられた憲法を頂くのは屈辱かもしれないが、実利をとることも重要。Made in USA の憲法は二度と手にはいらない。この意味で改正には慎重の上にも慎重であるべきだと考えている。
上記はあくまで私見です。私は憲法の専門家でも歴史家でもないので、見当違いであればご教示ください。
2005/05/03
追記:およそ戦争というのは悲惨なものだが、そのなかでも第二次大戦の日本ほど多くの非戦闘員の死者を出した悲惨な戦場は稀だ。東京大空襲一つとっても10万もの死者を出している(ブッシュJが「これは戦争だあ」と言ったWTCの50倍、福知山線脱線の実に1000倍!)。平和憲法はこの国に相応しい。NYにいるアメリカの象徴、自由の女神はフランス製だ。日本の平和憲法がアメリカ製だっていいじゃないですか。
追記2:ちなみに9条と自衛隊の存在が矛盾するとか言う人がいるものだが、仮にそうだとして、だったら何だ?と言いたい。すっきりさせたほうが気分がいいというのでは話にならない。もし矛盾を解消したほうが国益にかなうというのでなければ自衛隊は軍隊ではないということに「しておいたらいい」ではないか。それが実利を取るということの手段である。国益にかなうというのであれば、どうかなうのかを具体的に示してほしいものだ。
追記3:世の中には憲法を改正して自衛隊を軍隊にすれば米軍と縁が切れると思い込んで改憲に賛成している人がいる。日本の少女が駐在の米兵に強姦されるのも、イラクに派兵させられたりするのも、日本がアメリカの核の傘の下にいるからであり、それはつまるところ日本が9条に手足を縛られているせいだ、というような短絡思考を持っている。では逆に聞きたいが日本が軍隊を持つと米軍は日本から撤退し、また、日本と米軍との関係は弱くなり、日本はアメリカに対してはっきりものが言えるようになるのだろうか。私にはとてもそんな風には思えない。だって、9条変えたからといって、日本が直ちにアメリカに匹敵するような軍事力をもてるわけじゃないのだから。核を持たないうちは、アメリカからみれば日本は相変わらずアメリカの核の傘の下だ。アメリカの横暴が弱くなるとはとても思えない。徴兵制を整備し、アメリカ並みの兵力を持つ覚悟でもない限り、アメリカの圧力を避けることなどなかなかできはしないだろう。中途半端な軍備よりはmade in USA の平和憲法のほうがよほど使い勝手の良い武器なのではなかろうか。
私は今の憲法が完全だと思っているわけではない。時代遅れであるのは間違いない。改正すれば今よりよくなるだろうとも思う。もしこのままでよいと思う条項(9条とかね)があればそこは変えなければいいだけだという議論ももっともだ。自国製の憲法を持ちたいという気持ちも分からないではない。他にも明治の頃に輸入された時代遅れの法律は山ほどあるけれど、憲法は「占領軍におしつけられた」というところが微妙に嫌だという気持ちは理解できる(共有はしないがね)。
だがにもかかわらず、護憲派である。今の憲法のどこに価値があるか。もちろん9条、そして、これが「アメリカ製だ」という点だ。
アメリカは日本に平和憲法を押し付けたことを5年もしないうちに後悔したにちがいない。9条さえなければ朝鮮戦争でもっと日本軍を使えたはずだ。しかし、まさか自分が押し付けた理想の憲法を自分の都合で放棄させることは流石のアメリカでもためらわれただろう。結果として日本は朝鮮戦争に巻き込まれずにすみ、あまつさえ特需であっというまに復興の波に乗る。9条の奇跡だ。
その後もアメリカはことあるごとに後悔しつづけている。が、憲法が「アメリカ製」だというこの一点が日本をいつも微妙に有利にしている。もし9条がなかったら、ありもしない大量破壊兵器のために出兵という建前上の正義もない戦争に、日本も戦闘員を出さなくてはすまなかったろう。また、もしこの憲法が日本製であれば、アメリカはとっくに9条改正の圧力をかけてきただろうと思う。なにしろアメリカという国は日米構造協議に見るように、他国の内政干渉が大得意な黒船帝国なのである。かの国のずうずうしさをあなどってはいけない。だが、いかにアメリカといえどもライスぐらいのでなければアメリカ製の憲法を改正しろとはあからさまにはいいにくいだろう。(*ライス-日本に牛肉を輸入しろと言ってきた高官。アメリカは日本の牛肉を輸入禁止にしたまんまのくせに)。
現在憲法改正に賛成している人は国民の半数に達している(中曽根氏の長年の夢が実っているようだ)。だが、9条改正に賛成する人は少数派である。憲法は改正しても9条は残せると思っている人は多いだろうが、その9条は改正前と同じ文言でも威光は違うかもしれない。一部でも変えれば全体が日本製となるからだ。戦勝国に押し付けられた憲法を頂くのは屈辱かもしれないが、実利をとることも重要。Made in USA の憲法は二度と手にはいらない。この意味で改正には慎重の上にも慎重であるべきだと考えている。
上記はあくまで私見です。私は憲法の専門家でも歴史家でもないので、見当違いであればご教示ください。
2005/05/03
追記:およそ戦争というのは悲惨なものだが、そのなかでも第二次大戦の日本ほど多くの非戦闘員の死者を出した悲惨な戦場は稀だ。東京大空襲一つとっても10万もの死者を出している(ブッシュJが「これは戦争だあ」と言ったWTCの50倍、福知山線脱線の実に1000倍!)。平和憲法はこの国に相応しい。NYにいるアメリカの象徴、自由の女神はフランス製だ。日本の平和憲法がアメリカ製だっていいじゃないですか。
追記2:ちなみに9条と自衛隊の存在が矛盾するとか言う人がいるものだが、仮にそうだとして、だったら何だ?と言いたい。すっきりさせたほうが気分がいいというのでは話にならない。もし矛盾を解消したほうが国益にかなうというのでなければ自衛隊は軍隊ではないということに「しておいたらいい」ではないか。それが実利を取るということの手段である。国益にかなうというのであれば、どうかなうのかを具体的に示してほしいものだ。
追記3:世の中には憲法を改正して自衛隊を軍隊にすれば米軍と縁が切れると思い込んで改憲に賛成している人がいる。日本の少女が駐在の米兵に強姦されるのも、イラクに派兵させられたりするのも、日本がアメリカの核の傘の下にいるからであり、それはつまるところ日本が9条に手足を縛られているせいだ、というような短絡思考を持っている。では逆に聞きたいが日本が軍隊を持つと米軍は日本から撤退し、また、日本と米軍との関係は弱くなり、日本はアメリカに対してはっきりものが言えるようになるのだろうか。私にはとてもそんな風には思えない。だって、9条変えたからといって、日本が直ちにアメリカに匹敵するような軍事力をもてるわけじゃないのだから。核を持たないうちは、アメリカからみれば日本は相変わらずアメリカの核の傘の下だ。アメリカの横暴が弱くなるとはとても思えない。徴兵制を整備し、アメリカ並みの兵力を持つ覚悟でもない限り、アメリカの圧力を避けることなどなかなかできはしないだろう。中途半端な軍備よりはmade in USA の平和憲法のほうがよほど使い勝手の良い武器なのではなかろうか。
*ライス-日本に牛肉を輸入しろと言ってきた女。→*ライス-日本に牛肉を輸入しろと言ってきた政府高官。
アメリカが憲法を押し付けたことに関しては全くその通りだと思いますよ。
しかし、だからこそ自主憲法制定を主張します。
そもそもアメリカ人の作った憲法をありがたがる国が自主独立の主権国家といえるでしょうか?
結局九条によって日本の防衛力が不十分なものになってしまったがために日本はアメリカの「保護国」に成り下がっているだけでしょう。冷戦体制下においては
日米安保のおかげで軽武装で済みましたが、日本人は自分の身は自分で守るのだという当たり前のことを忘れてしまったように思います。
このまま九条を戴く限り、日本はアメリカに盲従していく以外に国を守る道はありません。
私は2003年のイラク戦争はアメリカの平和に対する罪だと確信しておりますが、日本が自主独立の気概を持たない限り、今後もアメリカの無法な戦争の片棒を担がされるだけではないでしょうか?
解釈改憲がいくらでもまかり通る状況ですから今後アメリカの戦争に参加しないという保障はどこにもありませんよ。
そして国家の大事を自ら解決しようとしない国民はつまるところ政治責任を負うことを放棄した封建社会の町人風情と同じで、到底民主主義国家とは言えないではないでしょうか?
民主主義とは国民が国家の主として責任を持つことだと私は信じているのですが、そのためには自主憲法の制定によって国民全員が改めて国家とは何か、民主主義とは何かを自問することが必要だと思います。
終わってるけどね^^;
>そして国家の大事を自ら解決しようとしない国民はつまるところ政治責任を負うことを放棄した封建社会の町人風情と同じで、到底民主主義国家とは言えないではないでしょうか?
言葉明瞭なれど意味不明ってやつだな。笑っちゃうくらいだ。「民主主義」とか言えばなんでも通ると思ってません?
ちなみに私は民主主義のプロモーターでもなんでもないです。江戸時代封建社会250年間一度も戦争はなかった。ところが「民主主義」になってからの100年でどれだけ戦争があったか分かてますか?大事なのは体制や政治の形式ではないです。「結果どうだったか」。これでしかその時代や体制の価値は測れません。
気概だのプライドだの1文にもならないものにしがみついて仕方がないと思います。アメリカの庇護の下にあるというのは確かに微妙ですが、ココから離れるときは核を持つときですから私なら清濁併せ呑みます。
「民主主義とは何か」なんて神学論争なんかどうでもよろしい。必要なのは「どんな生活をしたいか」を考えることですよ。
現行憲法がアメリカによる押しつけであることを否定的に捉える向きが多いのですが、むしろアメリカ製であったがゆえのメリットに気づくべきですよね。
日本だけではなく、先進国の中にも憲法制定時になんらかの問題があったという例は多いようです。そもそも憲法というものは公権力に押し付けるものですから、そういう意味で言うならばすべての憲法は押しつけ憲法です。そして公権力側が、自分たちを縛る憲法を少しでも都合のいいものにしたい、と思うのも当然のことです。
話し合いを否定する人が戦争を支持するのでしょうね。
>話し合いができるような裏づけのようなものが
軍隊ですか?それとも核ですか?
話し合い、理論的な意志相通を否定する人は私は直ちに否定します(私にとって貴女なんて存在意味はなおいということです)。話し合いを否定するような人が他人のブログに「言葉で」参戦するなんて間違ってますよ。
もちろん一般的には同じではありません。
ただ、日本国憲法が出来た経緯を見れば、当時の公権力、つまりアメリカに憲法を押し付けられた政府は、戦前(あるいは戦争中)の政権の残骸です。当時の日本政府も憲法の改正案を用意していたのですが、マッカーサーは自信たっぷりに「我々の憲法とあなたがたの憲法のどちらを選ぶか国民に聞いてみてもいい」という趣旨の発言をしたようです。その意味で、GHQは当時の国民の代わりに、憲法を押しつけたと見ることもできると思います。
さらに、日本国憲法はGHQの民生局の理想に燃えた素人(と言ったら言い過ぎですが)によって、わずか数日で作られたと言います。このことも、余計な思惑が入らず、最も憲法らしい憲法が出来た理由かも知れない、と思います。考えようによったら、これほど恵まれた環境で作られた憲法も珍しいのではないか、とも思えるほどです。
瀬尾さんのご意見は、私にとっては涙が出るほどのご意見です。私とてガチガチの護憲論者ではありませんが、この意見に接すると、現行の日本国憲法の意義を再認識させられます。
これからもよろしくお願いします。
素人かどうかは別として、「GHQの理想」というところはそのとおりだと思います。大して日本サイドが出したものは「権利」ではなく「分際」となっていたりかなり守旧的なものだったらしいですね。