夏休みももうすぐ終わりです。学生の皆さん、公共経済学の勉強してますか?
さて民主党の新党首がきまりました。自民党とたいして変わらない人がでてきたという印象ですね。国民の選択肢.が少なくなったわけです。ところで、異なる政策を掲げて争うはずの2大政党の政策が、似通ったものになってしまうのは偶然ではないのだという理屈がありますのでここで復習しておきましょう。
たとえば大きい政府か小さい政府かの選択を考えるとしましょう。大きい政府とは高負担高福祉の政府、小さい政府とは夜警国家のような政府をさしますが、これは二つの点が不連続に存在しているのではなく、外交と安全保障だけのごく小さい政府と、社会主義のように、働きに関係なく必要に応じて受け取ることを理想とするごく大きい政府を両極端として、その間にさまざまなレベルが連続的に存在していると考えられます。いま、ごく小さい政府を0、ごく大きい政府を1として、その間を0から1までの数値で表現できるものとします。国民は、自分の境遇にしたがって、0から1までのどこかの数値を実現したいと考えているとします。一般には、累進課税の下では、豊かな人は小さい政府を志向し、貧しい人は大きい政府を志向するといわれます。逆に人頭税の元では、豊かな人は大きな政府を、貧しい人は小さな政府を志向する傾向となることが予想されます。
いま国民のちょうど半数が0.3より小さい政府を志向しているとします。このとき小さい政府派のA党が「0.3の政府を目指します!」と言ったとしましょう。どちらかというと大きい政府を志向するB党は、どの程度の政府を目指すのがいいでしょうか?たとえば「0.7の政府を目指します」と言えばA党との差別化ができます。すると、国民の中で0.7より大きい政府を志向する人はB党にいれます。0.6の人もB党にいれるでしょう。ところが0.5の人は迷うでしょうし、0.4の人はA党に入れるでしょう。国民の半数をしめる0.3以下の人は全員Aに入れるわけですから、これではB党には勝ち目がないことは一目瞭然です。明らかにB党は0.7を掲げるより0.6を掲げた方が得です。そうすれば、0.5の人の票も取れます。同じ理由で0.6より0.5の方が、0.5より0.4のほうが有利です。でも、0.4でもB党には勝ち目はありません。なぜなら国民のちょうど半数が0.3より小さい政府を志向しているわけですから、0.3と0.4の間の人を少しでも取られては勝てないのです。というわけで、B党が政権を狙うには、「0.31くらいの大きさの政府をつくります!」といわざるを得ないことになります。つまり2大政党の場合、どうしても中位の人が支持するあたりに、政策が2つ並んでしまうというのです。
これはアメリカで民主党と共和党の政策がなぜそっくりか、を説明するのに使われます。
なんとかいう民主党の新代表は“日本の民主主義というものを後退させない。今の与党しか選択肢のない政党政治なんてものはありえません。”とか言ってますが、『もし選挙民と政党の頭が充分合理的であるならば』、実質的な選択肢がなくなるのが民主主義というものだ、と上記の理論は主張しているんですね。
☆あなたはこの理論を信じますか?☆
さて民主党の新党首がきまりました。自民党とたいして変わらない人がでてきたという印象ですね。国民の選択肢.が少なくなったわけです。ところで、異なる政策を掲げて争うはずの2大政党の政策が、似通ったものになってしまうのは偶然ではないのだという理屈がありますのでここで復習しておきましょう。
たとえば大きい政府か小さい政府かの選択を考えるとしましょう。大きい政府とは高負担高福祉の政府、小さい政府とは夜警国家のような政府をさしますが、これは二つの点が不連続に存在しているのではなく、外交と安全保障だけのごく小さい政府と、社会主義のように、働きに関係なく必要に応じて受け取ることを理想とするごく大きい政府を両極端として、その間にさまざまなレベルが連続的に存在していると考えられます。いま、ごく小さい政府を0、ごく大きい政府を1として、その間を0から1までの数値で表現できるものとします。国民は、自分の境遇にしたがって、0から1までのどこかの数値を実現したいと考えているとします。一般には、累進課税の下では、豊かな人は小さい政府を志向し、貧しい人は大きい政府を志向するといわれます。逆に人頭税の元では、豊かな人は大きな政府を、貧しい人は小さな政府を志向する傾向となることが予想されます。
いま国民のちょうど半数が0.3より小さい政府を志向しているとします。このとき小さい政府派のA党が「0.3の政府を目指します!」と言ったとしましょう。どちらかというと大きい政府を志向するB党は、どの程度の政府を目指すのがいいでしょうか?たとえば「0.7の政府を目指します」と言えばA党との差別化ができます。すると、国民の中で0.7より大きい政府を志向する人はB党にいれます。0.6の人もB党にいれるでしょう。ところが0.5の人は迷うでしょうし、0.4の人はA党に入れるでしょう。国民の半数をしめる0.3以下の人は全員Aに入れるわけですから、これではB党には勝ち目がないことは一目瞭然です。明らかにB党は0.7を掲げるより0.6を掲げた方が得です。そうすれば、0.5の人の票も取れます。同じ理由で0.6より0.5の方が、0.5より0.4のほうが有利です。でも、0.4でもB党には勝ち目はありません。なぜなら国民のちょうど半数が0.3より小さい政府を志向しているわけですから、0.3と0.4の間の人を少しでも取られては勝てないのです。というわけで、B党が政権を狙うには、「0.31くらいの大きさの政府をつくります!」といわざるを得ないことになります。つまり2大政党の場合、どうしても中位の人が支持するあたりに、政策が2つ並んでしまうというのです。
これはアメリカで民主党と共和党の政策がなぜそっくりか、を説明するのに使われます。
なんとかいう民主党の新代表は“日本の民主主義というものを後退させない。今の与党しか選択肢のない政党政治なんてものはありえません。”とか言ってますが、『もし選挙民と政党の頭が充分合理的であるならば』、実質的な選択肢がなくなるのが民主主義というものだ、と上記の理論は主張しているんですね。
☆あなたはこの理論を信じますか?☆