
釈尊の説法が始まった。
が,ある日に限って何もいわず,
そばにあった一輪の花を取って大衆の前に示した。
ほとんどの弟子たちは意味がわからなかったが,
ただ一人,摩訶迦葉(まかかしょう)だけは,
にっこりとほほ笑んで深くうなずいた。
それを見た釈尊は,静かにこういった。
「私の説法が摩訶迦葉に伝わりました」
-無門関から-
○
「ゆりの花のことを考えてみなさい。」
(ルカ12:27)
「なぜ着物のことで心配するのですか。
野のゆりがどうして育つのか,
よくわきまえなさい。
働きもせず,紡ぎもしません。」
(マタイ6:28)
この意味は少し後に出てきます。
「だから,
神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば,それに加えて,
これらのものはすべて与えられます。
だから,あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。
労苦はその日その日に,十分あります。」
(マタイ6:33,34)
「そばにあった一輪の花を取って大衆の前に示した。」では,
わからないのが普通です。
「わかった」と言うなら「うん知った鳩の巣」か,
別の教えを思い出し結びつけたかでしょう。
あるいは,突然の悟りが与えられたのでしょうか。
聖書の1句だけで学ぶのもよいが,
前後関係が大切です。
あるいは聖書全体から解釈しなさいと言うのが,
諸先輩の忠告です。
一句だけ,適当に拾っきての読み方ををするのは,
「おみくじクリスチャン」と呼ぶことがあります。
これでは,なかなか真髄がわかりません。
しかし,聖書の一句だけで,
信じて,救いに入る人がいます。
新渡戸稲造は,創世記1章1節で,
聖書の神を信じたといわれています。
○
(ルカ12:22-34)
それから弟子たちに言われた。
「だから,わたしはあなたがたに言います。
いのちのことで何を食べようかと心配したり,
からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
いのちは食べ物よりたいせつであり,
からだは着物よりたいせつだからです。
烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず,
刈り入れもせず,納屋も倉もありません。
けれども,神が彼らを養っていてくださいます。
あなたがたは,鳥よりも,はるかにすぐれたものです。
あなたがたのうちのだれが,
心配したからといって,自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
こんな小さなことさえできないで,なぜほかのことまで心配するのですか。
ゆりの花のことを考えてみなさい。
どうして育つのか。紡ぎもせず,織りもしないのです。
しかし,わたしはあなたがたに言います。
栄華を窮めたソロモンでさえ,
このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
しかし,きょうは野にあって,
あすは炉に投げ込まれる草をさえ,
神はこのように装ってくださるのです。
ましてあなたがたには,どんなによくしてくださることでしょう。
ああ,信仰の薄い人たち。
何を食べたらよいか,何を飲んだらよいか,
と捜し求めることをやめ,気をもむことをやめなさい。
これらはみな,この世の異邦人たちが切に求めているものです。
しかし,あなたがたの父は,
それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。
何はともあれ,あなたがたは,神の国を求めなさい。
そうすれば,これらの物は,それに加えて与えられます。
小さな群れよ。恐れることはありません。
あなたがたの父である神は,
喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。
持ち物を売って,施しをしなさい。
自分のために,古くならない財布を作り,
朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。
そこには,盗人も近寄らず,しみもいためることがありません。
あなたがたの宝のあるところに,あなたがたの心もあるからです。
(マタイ6:24-34)
だれも,ふたりの主人に仕えることはできません。
一方を憎んで他方を愛したり,
一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。
あなたがたは,神にも仕え,また富にも仕えるということはできません。
だから,わたしはあなたがたに言います。
自分のいのちのことで,何を食べようか,何を飲もうかと心配したり,
また,からだのことで,何を着ようかと心配したりしてはいけません。
いのちは食べ物よりたいせつなもの,
からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
空の鳥を見なさい。
種蒔きもせず,刈り入れもせず,倉に納めることもしません。
けれども,あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。
あなたがたは,鳥よりも,もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが,心配したからといって,
自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。
野のゆりがどうして育つのか,よくわきまえなさい。
働きもせず,紡ぎもしません。
しかし,わたしはあなたがたに言います。
栄華を窮めたソロモンでさえ,
このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても,あすは炉に投げ込まれる野の草さえ,
神はこれほどに装ってくださるのだから,
ましてあなたがたに,
よくしてくださらないわけがありましょうか。
信仰の薄い人たち。
そういうわけだから,何を食べるか,何を飲むか,
何を着るか,などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな,異邦人が切に求めているものなのです。
しかし,あなたがたの天の父は,
それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから,神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば,それに加えて,
これらのものはすべて与えられます。
だから,あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。
労苦はその日その日に,十分あります。
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