2.悔い改め (永遠の命) 2025
イザヤ11:1-10
(平和の王)
ローマ15:4-13
(自分でなく隣人を喜ばせる)
マタイ3:1-12
(洗礼者ヨハネ,教えを宣べる)
「わたしは,
悔い改めに導くために,
あなたたちに水で洗礼を授けているが,
わたしの後から来る方は,
わたしよりも優れておられる。
わたしは,
その履物をお脱がせする値打ちもない。
その方は,
聖霊と火であなたたちに
洗礼をお授けになる。」
(マタイ3:11)
Ⅰ
(ヨハネ1:19-34)
洗礼者ヨハネの証し
ヨハネによる福音書では,洗礼者ヨハネの役割は「光である言葉」のキリストを証しするということです。
ですから,洗礼者ヨハネはキリストであるイエスさまを紹介して,次のように言いました。
「見よ,世の罪を取り除く神の子羊だ。」
(ヨハネ1:29)
そして,自分のもとから弟子たちが去っていっても,
「あの方は栄え,わたしは衰えなければならない」
(ヨハネ3:30)
と言うことができました。
Ⅱ
(マタイ3:1-12)
洗礼者ヨハネ,教えを宣べる
今日用いるマタイによる福音書では,
洗礼者ヨハネの役割は悔い改めを勧めることです。
洗礼者ヨハネは荒れ野で「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3:2)と宣べ伝えます。
「悔い改めにふさわしい実を結べ」(マタイ3:8)と言い,実を結ばない者に裁きが迫っていると言います。
この悔い改めを迫る洗礼者ヨハネを,マタイによる福音書は「預言者イザヤによってこう言われている人である」(マタイ3:2)として紹介してイザヤ書の次の言葉を上げます。
「呼びかける声がある。
主のために,荒れ野に道を備え,
わたしたちの神のために,
荒れ地に広い道を通せ。」
(イザヤ40:3)
このように聖書の言葉を取り上げることによって,
洗礼者ヨハネが言っていることは聖書に基づいていることを示しています。
そしてまた,洗礼者ヨハネの役割が,聖書の伝える預言者エリヤの役割であることを「らくだの毛衣を着,腰に革の帯を締め」(マタイ3:4)という装いで示しています。
旧約聖書の最後のマラキ書の最後の部分では,
「主の日」が来ることが書かれています。
その最後には,神様の次の預言の言葉を示します。
「見よ,わたしは,
大いなる恐るべき主の日が来る前に,
預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
彼は父の心を子に,
子の心を父に向けさせる。
わたしが来て,破滅をもって,
この地を撃つことがないように。」
(マラキ3:23,24)
この言葉で,旧約聖書の言葉は終わっています。
この預言者エリヤとして,
洗礼者ヨハネは「子の心を父に向けさせる」ために
悔い改めを迫(せま)ります。
洗礼者ヨハネは,自分の役割が主の日が来る前になす預言者エリヤの役割であることを自覚していたとして,マタイによる福音書は「ヨハネは,らくだの毛衣を着,腰に革の帯を締め」(マタイ3:4)と書きます。
それは,預言者エリヤの服装であったと列王記下は伝えます。
そこでは,イスラエルの王アハズヤの「どんな男か」との問いに,使者が預言者エリヤは次のように答えたと書かれています。
「毛衣を着,
腰には革帯を締めていました」
(列王記下1:8)
エリヤと同じような服装をすることによって,
ヨハネは神様から遣わされた者として「子の心を父に向ける」(マラキ3:24)悔い改めを迫ります。
それは聖書に書いてある預言の言葉を実行することでした。
(2007年12月9日 待降節第2主日)