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かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

連休中は誰も来なかったけれども、これはこれでよし

2019-05-08 08:49:31 | ブログ記事

孫は来てくれて嬉しく帰ってくれて嬉しいとはよく聞くが、

孫に限らず、子供家族は来てくれるはもちろんうれしいが、

しかし、来てくれないのも悪いものでもない。

元気で仲良く暮らしていてくれれば、それが一番の親孝行であるから。

娘夫婦は東京で遠いから家族で帰ってくるのは年に一度か二度になる。

長男のところは障碍児がいるから、障碍児が大きくなった昨今、

こちらから行くことはあっても来ることはほぼなくなった。

次男のところは共働きであることと、

孫もまだ1歳であるから、それほど我が家に来ることもない。

が、連休中は長男の家には泊りがけで行ったらしい。

長男の家は滋賀県にあるから周囲に自然が残っている。

だから親子で散策するのに適しているし、

庭も広いから庭でバーベキューとかもできる。

我が家は市街地で便利ではあるが庭がない。

滞在して楽しいのは長男の家に軍配が上がるだろう。

それに、遅くできた次男は、

もともと私達両親より、年の離れた兄である長男に懐いていたこともあって、

長男の家に行って兄と話すほうが楽しいのだろう。

次男のお嫁さんも、

年取った姑である私より年の近い義姉である長男のお嫁さんと話すほうが楽しいかも。

そんなことを思えば、自然な流れなのだろう。

私は兄弟が仲良くしてくれるのが一番だ。

私達は早晩亡くなるが、

兄弟は私達が死んだあとも残るのだから。

 

*

☆子供らの家族の仲のよろしきを見るがわれらの楽しみなりき

☆九歳の年の差のある兄弟は大人になりても親子のやうで

☆一人子のお嫁さんには義姉義兄新鮮ならむ義理とはいへど

☆団らんの写真を見せてくれるのが親のわれらに親孝行で

☆大勢に来られて世話はしがたくば写真を見せてもらふが一番

 


私はささやきが聞こえない

2019-05-07 05:15:54 | ブログ記事

だけでなく、

現在は、かなり大きな声でも聞こえない。

ささやきが聞こえないのは、若いころからだった。

だからロマンスに程遠いところがあった。

恋を語り合うのに、ふつうは大声は出さないでしょう。

夫はお見合いしたとき、私の難聴に気づいたらしい。

が、結婚してくれた。

結婚して今年4月で丸47年になったが、

夫には、長い期間、苦労させたことになる。

これから先もまだ・・・。

結婚前は、夫以外にも、愛の告白をしてくれる人はいた。

が、聞こえなかった。

たいがい小さな声でぼそっと言うから。

が、そのときの相手の様子で、そういう類のことを言われたのだと察した。

が、十分に聞こえていないから、返事のしようがなかった。

聞き返すのは野暮だからしなかったし。

それで逃したロマンスもいくつかあった、と思っている。

哀しかったけれども仕方なかった。

聞こえなくてつらかったことは無限にあったが、

この「恋のささやき」が聞こえなかったことは大きな悲しみだった。

若いころは、一応難聴ということは伏せていた。

分かる人にはわかっていたと思うけれども、

そういうふうに仕向けられていた。

そう仕向けたのは母ということになるが、

母もはっきりそう仕向けたわけではなかった。

が、

母が私の難聴を隠そうとしていたことを察知していたから、

私は自分から難聴のことをカミングアウトしないようにしていた。

私がそんなふうだったから、

周囲の人も気づかないふりをしてくれていたかもしれないと今になれば思う。

まあまだ軽い難聴であったから、そういうこともできたが、

障碍者手帳がもらえるほどの聴力になってからは、ごまかすことは不可能になった。

それで私は返って気が楽になった。

現在のように大声を出してもらわないと聞こえない難聴も、それなりに辛いが、

しかし、ごまかせる程度の難聴のときも、それなりに辛かった。

なぜなら健聴者を装わなければならなかったから。

私達が若いころは難聴者に対する偏見が強かったから、

母は隠そうとしたのだろうが、

そのことで私が二重に辛い思いをしたことは確かだった。

とにかく私が中学2年のときに判明した難聴は両親を悲しませた。

たぶん本人の私より両親のショックのほうが大きかったと思う。

それでも悲しんでくれる両親、祖父母がいたころは、

難聴の悲しみは私一人のものではなかったが、

現在は夫がいて子供たちがいても、

難聴の悲しみを背負うのは私一人になったと感じることは多い。

*

☆難聴の悲しみ父母と祖父母とも共有できしころが懐かし

☆難聴のわれよりわれを産みし父母ふかく悲しみゐしころありき

☆わが若き頃いかほどの心配をしてくれしかな父母と祖父母は

☆難聴の子のわたくしを心配し働き続けし母かもしれず


昨年の今日、スマホデビューをしたらしい

2019-05-06 20:56:55 | ブログ記事
が、いまだに使い方は手探り状態です。
 
もっと便利に使えるはずなのに、使えていないと思います。
 
 
ラインも、いまだにやっていません。
 
夫が、ラインにすると家族間の連絡の手間が省けるというのです
が、なんだか怖いのです。
 
従弟もスマホになったのなら、ラインをしようと言ってきてくれたのでしたが、しませんでした。
 
 
夫がラインを始めたとき、
別に連絡をするつもりでもなかったのに、
お向かいの娘さん(50歳くらい)から返信があったりしたから、
夫のほうが驚いていました。
 
私も、現在、
連絡する必要のない人も住所録には入れたままにしてあるから、
 
ラインで家族に連絡をしたつもりが、
そんな関係ない人に伝わったりしたら嫌だから。
 
そうならないようにできるとは思うのですが、
とにかく、現在はラインにする必要性を感じないから、
デビューして一年経ったけれど、そのままです。
 
考えてみれば、
夫や子供たちはスマホを使いますが、
子供たちのご両親たちは、
お父様方のほうは使われるとしても、
お母様方は三人とも使っておられません。
 
20年近く前、
私がパソコンを始めたころ、
娘婿のお母様が、たぶん難聴の私とメールで交流しようと、
「私も練習するようにします」と言ってくださったけれど、
その後、パソコンを使われるようになったとは聞いていません。
 
娘婿のお母様は昭和10年のお生まれだから、
その年代の人は
パソコンはなさらない方のほうが大半でしょうね。
 
が、次男のお嫁さんのお母様は私と同い年なのですが、
スマホとかは大嫌いみたいで、
お嫁さんがスマホするのも、あまりよく思っていない様子です。
 
それで、お嫁さんにも、
「現在一歳の孫にもスマホには気をつけよ」とおっしゃいます。
 
 
テレビなどで、スマホが原因のいじめなどを見聞きして、
孫が虐めに遭ったら大変と思っておられるようなのです。
 
同世代の人でも、そういうふうな人は多いと思います。
 
私の友人達も、
携帯電話はともかく、スマホはしていない人のほうが多いです。
 
パソコンもしていない人のほうが多いと思います。
 
blogをやっていると、
私より年上の方でも、
皆さんスイスイとパソコンをなさっておられるようですが、
世間的に見れば、そういう方々は、まだ少数派でしょうか?
 
私の卒業した中高校は、どちらかといえば、お嬢様学校だったから、
 
今も、いいところの奥様になって、おっとりしている人が多く、
世間のキャリアウーマンの人たちには遅れをとっているのかもしれませんが・・・。
 
 
が、現在、ブログ友の仲間に一人だけ母校の後輩がいます。
 
ついにスマホデビュー

今朝はスマホ会社の方が来てくださって使い方の説明をしてくださいました。ついに私もスマホデビューです。私はガラケーに不都合がなければ、ずっと使えるだけ使い続けようと思っていた......
 

 


昨日はマンホールの蓋の縁に躓いて道路の真ん中でこけた

2019-05-06 05:14:22 | ブログ記事
昨日は敢えて書かなかったが、
能勢電の終点、妙見口駅で降りてケーブルの駅に行く途中の道路で、
道の中央にあったマンホールに躓いて勢いよくこけて、
かなり強く身体を打った。

が、帰宅してからそのことをすっかり忘れていて、
昨日は足腰が痛いだけでなく、上半身も左側が痛いのを訝っていた。

が、とにかく必死で山頂まで行き、その後バスで池田駅まで戻ってきて、
おいしい中華ランチを食べたので、
こけたことはすっかり忘れていた。

こんなに簡単に忘れるとは、これも老化なのだろうか。

認知症の始まり?

夕食を作っているときに、左手の掌が紫色になっているのを見て、
やっと昼間の転倒を思い出した。

こけたときは、あまりの痛さに自力では起き上がれずに、
夫に引っ張ってもらって起こしてもらった。

車も通る比較的大きな道路だったから、すぐに起き上がらなかったら危険だった。

夫と一緒に来ていてよかったと思った。

昨日はリフトに乗るのも少し心配で、夫に一緒に来てもらったが、
これからは、こんな場面が多くなるだろうな。

それでも、私の母は90歳近くになっても一人で上京したりしていたから、
無謀ではあったが、元気な老人だった。

人に迷惑をかけてしまうことも多かったが、
じっと家に籠っているよりは、あるいはよかったのだろうか。

*

☆怪我をすることを恐れて出でざれば足はますます衰へるらむ

☆だんだんと衰へ無様になるわれと思へど衰へざるはわが口

☆これからは連れと出かけるべしなどと思ふが連れの確保むづかし

☆いつかくる道とはかねて思ひしが昨日今日とは思はざりしよ

☆このごろは思はぬ場所でコケることありて脚の衰へを知る

☆乗り物に乗るばかりでは乗り切れぬ老いの坂道歩きて越える

能勢電で妙見山へ

2019-05-05 15:47:06 | ブログ記事
能勢電の始発駅の川西能勢口駅の近くに住んでいながら、
妙見山そのものは車で何回か行ったが、
能勢電では一度も終点の妙見口駅まで行ったことがなかった。

能勢電は山下駅で、
昔からある妙見口駅まで行く線と
比較的あたらしくできた日生中央駅に行く線に分かれる。

日生中央駅行きは先月も乗ったから、
妙見口駅行きにはぜひ一度乗りたいと思っていた。

それと、妙見さんそのものには終点の能勢妙見口駅でケーブルに乗り換えて、
山頂へは、さらにリフトに乗っていかなければならないから、
あまり歳を取るとリフトに乗れなくなるかもしれないと思ったから。

ケーブルとリフトに乗るのは桜の見ごろが一番いいようだが、
今年もその時期は乗りそびれた。

リフトに乗るのは一人では心細いから夫に一緒に行ってほしいと思っているうちに、
今年も時期を逸してしまったのだった。

ところが多忙な夫の昨日、今日は時間がとれるというので、
昨日はもうすでに午後だったからやめて、
今日、朝いちばんで行くことにした。

↓この写真は能勢電終点の妙見口駅で降りたところです。
乗ってきた電車が遠ざかっています。

駅を降りたところに案内板がありました。


能勢妙見口駅からケーブル駅までは、
かなり距離があると聞いていたのでしたが、
実際、かなりの距離がありました。

↓やっとケーブルの駅が見えてきました。

↓これがケーブルの駅です。

駅には、すでに大勢の人が来ていて、私達は一台やりすごしました。


やっと山頂駅に到着。振り返って乗ってきた線路を撮影しました。
写真ではわかりにくいと思いますが、結構急な勾配でした。

山頂駅からリフトの駅までが、また遠くて、私はへとへとに。

やっとリフト乗り場まで来ました。

どんくさい私は、もっと年取るとリフトにも乗れなくなると思って、できるだけ早く乗りたかったのです。

リフトを降りたところに展望台があったから、そこから撮影しましたが、
春霞であまり鮮明ではありません。

こちらは展望台にあったパネルですが、こちらの写真のほうを参考にしてください。
お天気がよければ、淡路島とか関西空港まで見えるんですね。

リフトは降りたけれど、ここから、また少し山を登らなければなりません。

能勢妙見さんの案内板があったので、写しておきました。
能勢妙見さんは北極星信仰の神様です。

北辰一刀流と言って、坂本龍馬の免許皆伝を授けられた流派らしいです。

坂本龍馬は江戸で北辰一刀流を学んで一気に強くなったと物の本に書かれてありました。

そういう霊験あらたかな神様らしいです。

少しばかり登山して、やっとその妙見山本殿の看板が見えてきました。


妙見山の鳥居です。

本殿です。


本殿の前の景色です。これは大阪方面ではなく、京都府亀岡方面だと思います。

絵馬の説明が書かれてあったから撮影しました。

ここまでで歩くのは限界になっていたから、帰途は、山頂に停車していたバスに乗り、
豊能町余野というところまで来て、そこから池田駅行きのバスに乗り換えました。

池田駅に着いたのが、ちょうどお昼ごろだったので、池田駅前のおいしい中華料理屋さんでランチを食べて、

歩いて帰宅しました。

よく歩いた半日でした。

また腰痛を起こすかも。

*

☆剣術の北辰一刀流といふ北極星より会得せし術

☆千葉道場通ひし竜馬の千葉さなこ許嫁(いひなづけ)とぞ言はれし人で

政治的な記事を書くと必ず変なコメントをつけてくる人が現れる

2019-05-04 13:05:28 | ブログ記事
夜中に書いた
「驚くべき事実?を教えてくださるコメントをいただいた」の記事にも
名無しの権兵衛さんからコメントが入っていた。

まあ、ネットの世界はハンドルネームの世界だから、
ハンドルネーム自体が匿名なのですが、
しかし、ハンドルネームでも名乗って書き続ければ、その人物は浮かんでくる。

が、こういう政治的な記事には、
無責任な、管理人を不快にするのが目的のようなコメントが付くことがある。

今日も、そういうコメントをつけてこられた人がいましたが、
せっかくコメントをいただきましたが、
公開しても何のメリットもないから、公開はいたしません。

もし何かご意見をお持ちでしたら、
ハンドルネームで結構ですから名乗って、
きちんとした文章でコメントをつけてくださいませ。

人を嫌がらせるのが目的のようなコメントは、
以後いただいても黙って削除いたしますので、ご了承ください。

あなたも、こんな嫌がらせコメントを付ける間があれば、
ご自分のブログをお持ちになり、
お国のためになる記事をお書きください。

そのほうが、あなたご自身のためでもあります。

驚くべき事実?を教えてくださるコメントをいただいた

2019-05-04 02:14:00 | ブログ記事
匿名のコメントをいただいた。
匿名だからと言って、悪意のあるものではなかった。

むしろ私の全く知らないことを教えてくださるコメントであったかもしれない。

昨夜、私は
という記事を書いた。
が、いただいたコメントでは、私の無知を指摘する内容であった。

もし、それが本当なら、私は思い違いをしていることになる。

そのコメントには、
日本の海には膨大な資源が眠っていると書かれてあった。

それは私の聞いているメタンハイドレートでもなさそうだ。

中東にも負けないくらいの石油が日本の尖閣列島周辺の海にあるらしい。

で、その方の書かれたコメントによると、

アメリカは日本に憲法を改正させて、
戦争を起こさせて、
他の国から攻められても仕方ない状態にしてしたいらしい。

私は知らなかったが、

日本が第二次世界大戦で敗戦国になったのは遠い昔であるが、
いまだに敵国条項の対象国であるらしい。

ゆえに憲法9条を改正して軍隊を持ったら、
どこの国から攻めても構わないということになり
非常に危険なのだそう。

日本と同じ敗戦国だったドイツやイタリアは
既にこの敵国対象国という条項は解除されているのに、
なぜ日本は解除されないかというと、
この油田が原因だと。

それで、アメリカはいつまでも日本を属国にしておきたいのだと。

こんな話は、私は初めて聞いた。

もし、この話が事実なら、憲法9条を改正して軍隊を持つと大変なことになる。

が、事実だろうか?

日本に軍隊を持たせないためのデマではなかろうかという疑問も湧く。

が、もし事実なら、憲法改正して日本を護るという方向は真逆の政策になる。

それにしても、日本は
いまだに先の大戦での敗戦国の不名誉に甘んじなければならないのだろうか。

日本人が働いて働いて稼いだ中から差し出した税金は
近隣国に補償という形で奪われるし、
遠い国々には経済援助という形で拠出しているというのに、
いまだ敗戦国の敵国対象国のままにおかれるとは、あまりといえばあまりではないか。

事実なら、このことは、これからの日本を担う子供たちにもっと教えるべきであるし、
今後、日本がどういう舵取りをすればいいかということは、
もっと真剣に考える必要がある。

日本は、平和ボケが許される状態などではないのである。

日本が、日本人が、末期症状にならないために、
今こそ対策を講じるべきではないか。

その責任は、老いたりといえども、
人生経験のあるわれわれ団塊の世代にゆだねられているのかもしれない。

われわれが死んだあとも続く日本のために、
今われわれが頑張って対策を講じなければならない。

事実であるかどうかの真偽のほどは別として、
この話を私のブログのコメント欄で教えてくださった方には感謝いたします。

戦争を抑止するための改憲

2019-05-03 19:22:12 | ブログ記事
私も政治のことは詳しくないから書かないほうが自分のためでもありますが、
憲法記念日の今日、書かずにいられなくて書きます。

素人の私でも、
近年、不穏になっている近隣国との関係を鑑みれば、
現在の憲法9条を護持していたら、
日本が滅ぼされかねないと危惧します。

現在の日本の憲法では軍隊は持ってはいけないことになっています。

しかし、近隣国家の中には、軍隊は愚か、ミサイルまで持っている国があります。

その国は、
国力はないのに、ミサイルを持っている、そのことだけで周辺国を脅かしています。

日本も脅かされている国の一つです。

そういう国から国土を護るためには憲法を改正して軍隊を持つしかありません。

自衛隊では攻撃されても反撃できません。

誰だって戦争などしたくありません。

息子を二人、孫息子を三人も持っている私などは特に・・・。

が、我が国の国土を狙っている近隣国に国土を盗られないためには、
また拉致という卑劣な手段で国民が拉致されないためには、
日本も軍隊を持つ必要があると考えます。

何度も書きますが、軍隊を持つのは、戦争をするためではなく、
日本の国土、国民を狙っている国から国土、国民を守るために持つのです。

物事は、何でも反対すればいいというもんじゃありません。

平和ボケした私達も、
そろそろ自分の頭で物事を考えなければならない段階に差し掛かっているのでは
ないでしょうか?

それでも、まだ改憲反対という人は、
「あなたは本当に日本人?」と聞いてみたい気がします。

ひょっとすると日本人を装っているけれども、
実は日本に軍隊を持たれると困る近隣国の人たちではないかと疑いたくなります。

事態は緊急を要する段階に差し掛かっています。

以上、憲法記念日の今日、日ごろ思っていることを書いてみました。

日本の国は津々浦々が美しい

2019-05-03 15:32:06 | ブログ記事
と、このたびの旅行で思いました。

私は博多は初めてでしたが、
宗像大社も、いま流行り?の宮地嶽神社も
本当に神様が感じられて、心打たれました。

その後、海の中海浜公園に行きましたが、
比較的あたらしそうな、この公園も素晴らしかった。

本当に、この国には八百万の神様がいて、
どこに行っても素晴らしい景色があるとの感を強めました。

何も外国に行かなくても、
日本国内だけでも、もっともっと旅行したい。

が、こうして旅行できるのも、あと何年でしょう。

今回の旅行でも、皆について行くのがやっとでした。

最後の博多駅では、待合室に座るところがなかったので、困っていたら、
同じツアーで知り合ったご夫婦が席を立って座らせてくれました。

そのご夫婦も決して若くはないご夫婦でしたが、
私は、もっと年寄りに見えたのでしょうか?

実際、新幹線に乗って、すぐに私は眠ってしまいました。

新大阪駅では、また乗り換えて川西池田駅まで帰られないといけなかったのでしたが、
新幹線車中で少し眠れたから、元気を回復して帰宅することができました。

こんな一人旅ができるのも、あと何回でしょう。

旅行中、私より少しだけ年かさの方がいて、
その方は腰が悪いとかで、折り畳み式の手押し車を持ってきていました。

娘さんご家族とご一緒でしたが、
バスの乗り降りのたびに、
私の娘と同世代くらいの女性が
その手押し車をバスのトランクから出してあげていました。

私も最近は腰が痛くなることが多いから、
彼女の姿は他人事とは思えませんでした。

昨年、母を見送ったばかりの私ですが、
老いは、もうすぐそこまで来ていると思った今回の旅でありました。

*

☆老い母を送り気づけば我が身にも老いは来ていた痛き足腰

☆老い母を押して歩きし昨年の一月くるま椅子に母乗せ

☆母の老い見てゐるうちに来てをりし我が身の老いに我は驚く

☆見回せばツアーに参加してをりし人らはみんな我より若し

☆いつのまにわれは人から労はれる人になりしや菜種の花よ

言論統制されているかのように感じる最近のネットのニュース

2019-05-02 22:26:44 | ブログ記事
ネットのニュースだけでなく、
新聞の紙面も、そういうふうに感じます。

最近の新聞は、昔のような社会の公器という気概が乏しくなっているように感じます。

気づかない人は気づかないかもしれませんが、
そう感じている人も案外多いと思います。

その内容は書かないほうがいいと思いますから、書きませんが・・・。

今朝からパソコンがネットにつながらなくなった

2019-05-02 20:12:28 | ブログ記事
スマホからも投稿できるのですが、私的には書きにくい。

以前、Blog友さんにスマホでもタイピング入力できる器具を教えていただいたから、そうしてもいいのですが、この際、Blogを休む?

または、この連休中にシステムエンジニアの次男に来てもらって直してもらう?

家族は、これをきっかけにBlogを止めてもらいたいかも?

でも、私のBlogで、私の様子も、その他の家族の様子も伝わるところはあると思うんだけどね。

どうしようかな。

宮地嶽神社〜九大の森〜博多はねや総本家

2019-05-01 09:03:52 | ブログ記事
宗像神社のあとは今回の旅の一番の楽しみにしていた宮地嶽神社へ行きました。
 
宗像神社からも、比較的近くでした。

やはりまず最初に案内板の撮影。
  

鳥居の向こうに見えている山が宮地岳だと思います。

これが下の石段です。
添乗員さんが旅行会社の旗だけだと他の旅行会社の団体と見間違えるかもと、ソフトクリームの旗も一緒に掲げてくれたから、見間違えることなく付いていけました。(笑)

↓これが二つ目の石段。
 

上がり終えたら、しばらく呼吸を整えるのが大変でした。
 
上がってきた↓これが「光の道」になる参道です。その日でも曇であれば見えないそう。

こちらのパネルの写真が運良く光の道になったものです。


一度夕日の光の道を見てみたいけれど、今日は光の道にはなっていなかったけれど、その道が見られただけでも私は満足。


宮地嶽神社は、この光の道で有名になったけれども、もともと立派な神社だった模様。
 



こちらも案内板の撮影を。


奥に見える注連縄が出雲大社のより大きいとか。


近づいて撮影。

奥の宮八社巡りもしました。
ずいぶん歩いたなあ、私は!

バスに乗車して、もう一度なごりの宮地嶽を撮影。
また来られるといいなあ!

宮地嶽神社参拝のあと、九大の森を30分くらい散策。


前日の雨で地面がぬかるんでいたけれど、森林浴ができて気持ちがいい。




シダも生い茂っていた。

いよいよ博多はねや本店へ。



一人参加の私は、お一人様席へ。(笑)

この食事でいただいた辛子明太子がおいしかったから、夫へのお土産に買いました。

宗像大社

2019-05-01 08:19:18 | ブログ記事
フェリーが朝7時に新門司港に着いて、
港には迎えのバスが来ていたので、
宗像大社には早朝に行くことができました。 

まず案内板の撮影。  
さすが世界遺産に登録されただけあって、立派な神社です。  
↓こうした神社の池に架かった橋を渡るのは参拝する人の身体を清めることになるらしいですね。    
すでに「祝令和」と書かれてありました。  
本宮を参拝したあと、二の宮、三の宮にも回りました。  
この神社の鬱蒼とした森がいいのでしょうね。  荘厳な気分に浸れます。 

二宮、三宮の説明が書かれてありました。  
並んでいる二宮、三宮を撮影。  
↓この相生の樫の木には夫婦円満の福徳があるそう。  
末社も回りました。  
この楢の木は宗像大社の御神木なのだそう。  
池にはたくさんの鯉が泳いでいました。

 金色の鯉がご利益がありそうに思えたのは、私の気のせい?(笑)