貨物鉄道博物館を後にして、近鉄富田に戻ったのは12時半頃。駅前に出てみたが、飯屋が見あたらなかったので、また5分ほど近鉄電車に乗って、桑名へ。
橋上駅舎に直結した駅前ビルの2階には、いくつか食べ物屋が並んでいたが、結局そのビルを通り抜けたところにあったミスドに入った。夫婦揃って黒胡麻担々麺をすすりながら、印刷してきた北勢線の時刻表を見ると、次の電車は15分後。その30分後の便は途中までで、終点まで行くのはさらにその30分後の便となる。
今朝、四日市駅で見かけた内部線のナローの電車のかわいさに打たれたかみさんが、ぜひとも乗ってみたいということで、三岐線終点での折り返しで30分、貨物鉄道博物館で30分、それぞれ予定より早めて時間を捻出してきたのだが、ここでのんびりすると帳消しになる。一瞬迷った末、大急ぎで飲茶セットを片付け、ドーナツはテイクアウトにして駅に戻り、切符を買おうとして気が付いた。北勢線の駅はここではない。桑名に着いたときホームで見かけた近鉄電車は、養老鉄道だったのだ。
北勢線の西桑名駅は、ペデを200m行ったところ。バスターミナルの脇の西桑名駅のホームに、こぢんまりとした三岐カラーの電車が佇んでいた。なんだ、やっぱりこっちもナローだった。これで一石二鳥。

発車まであと2分。慌てて切符を買い、車内に駆け込んだ。いささか驚いたことに自動改札。なお西桑名駅での写真は全て帰り道に撮ったものである。


前の人と膝が当たりそうなくらいの長細い車内をキョロキョロ見回すのも束の間、古風な発車のブザーを受けて電車が動き出した。すぐに近鉄線をオーバーパスする。吊駆け式の音と激しいローリングが楽しい。


運転台の後ろにはハコがやたらとある。大きいのはもしかしてエアコンか?。だとしたらちょっと残念だが、日々の利用者にとっては今時当然の設備だからしかたがない。
停まる駅はどこも自動改札になっていて、ホームの設備とか引込線とか、真新しい感じの部分が目立つ。近鉄から三岐への移管時に、おみやげとして整備したものなのかと思っていたら、三岐鉄道が進めるリニューアル計画の一環のようだ。西桑名駅は桑名駅近くにまで線路を延ばして、乗り換えやすくする計画もあるらしい。と、帰宅後に見たウィキに書いてあった。相変わらず全然予習をしてきていない。
そんな願ってもない再生計画を推し進める鉄道に、心ない悪戯をする輩がいるらしい。残念なことだ。

窓外の田園風景は三岐線同様。員弁川を挟んだ対岸を併走する路線だから当然かもしれない。遠くに三岐線の電車が見えないかと目をこらすが、見つけられなかった。

乗っている便の終点までの所要時間は丁度60分なのだが、西桑名を出て30分で路線図のおよそ三分の二、東員まで来てしまった。終点の阿下喜はここから四つ目で、それに30分もかかるとは思えない。時刻表を見ると、50分足らずで走る便もあるので、どこかで長々と停まるんだろうと思っていたら、やはり5分停車が二度あったが、後半30分は、駅間距離が長いのと、急カーブやアップダウンがあって速度が出ないということもあるようだ。
阿下喜に到着すると窓外には、塗装を落とした旧型電車と、その周りを走る豆電車、そして機械をいじくるおじさん達、という午前中と似たような光景が目に入った。


改札を出てそばに行ってみると、軽便鉄道博物館というもののらしい。建物はガレージといった規模だが、いろいろな展示物があって楽しい。


じっくり読んでいると、豆電車に乗せられかねない様子だったので、早々に辞去した。幸い、購入したパンフレットに、展示物の内容は全て載っているようだった。
それにしても、今や稀少なナローゲージで、乗ってみればこんなに面白いのに、今ひとつ知名度が低いのはちょっと不思議だ。三重県は、伊勢志摩なんて超メジャー観光地に慢心せずに、こういう観光資源も大事にした方がいい。三種類のゲージを渡ることができる踏切、なんてものもあるらしい。軽便博物館の壁新聞に書いてあったもので、帰宅後かみさんに教えられた。「青い花新聞」と称するこの新聞、地元の小学生の手によるものか。

予定より一時間早く本日の乗りテツは終了し、大阪のかみさんの実家へ急ぐ。一応、今回の旅行は帰省なのだ。あまり遅くなるといけない。四日市インターで逆方向に乗ってしまい一旦降りてUターンしたり、京都南から5kmほど渋滞したりしたが、途中の新名神がなかなか快調で、2時間ほどで吹田インターを降りた。
橋上駅舎に直結した駅前ビルの2階には、いくつか食べ物屋が並んでいたが、結局そのビルを通り抜けたところにあったミスドに入った。夫婦揃って黒胡麻担々麺をすすりながら、印刷してきた北勢線の時刻表を見ると、次の電車は15分後。その30分後の便は途中までで、終点まで行くのはさらにその30分後の便となる。
今朝、四日市駅で見かけた内部線のナローの電車のかわいさに打たれたかみさんが、ぜひとも乗ってみたいということで、三岐線終点での折り返しで30分、貨物鉄道博物館で30分、それぞれ予定より早めて時間を捻出してきたのだが、ここでのんびりすると帳消しになる。一瞬迷った末、大急ぎで飲茶セットを片付け、ドーナツはテイクアウトにして駅に戻り、切符を買おうとして気が付いた。北勢線の駅はここではない。桑名に着いたときホームで見かけた近鉄電車は、養老鉄道だったのだ。
北勢線の西桑名駅は、ペデを200m行ったところ。バスターミナルの脇の西桑名駅のホームに、こぢんまりとした三岐カラーの電車が佇んでいた。なんだ、やっぱりこっちもナローだった。これで一石二鳥。

発車まであと2分。慌てて切符を買い、車内に駆け込んだ。いささか驚いたことに自動改札。なお西桑名駅での写真は全て帰り道に撮ったものである。


前の人と膝が当たりそうなくらいの長細い車内をキョロキョロ見回すのも束の間、古風な発車のブザーを受けて電車が動き出した。すぐに近鉄線をオーバーパスする。吊駆け式の音と激しいローリングが楽しい。


運転台の後ろにはハコがやたらとある。大きいのはもしかしてエアコンか?。だとしたらちょっと残念だが、日々の利用者にとっては今時当然の設備だからしかたがない。
停まる駅はどこも自動改札になっていて、ホームの設備とか引込線とか、真新しい感じの部分が目立つ。近鉄から三岐への移管時に、おみやげとして整備したものなのかと思っていたら、三岐鉄道が進めるリニューアル計画の一環のようだ。西桑名駅は桑名駅近くにまで線路を延ばして、乗り換えやすくする計画もあるらしい。と、帰宅後に見たウィキに書いてあった。相変わらず全然予習をしてきていない。
そんな願ってもない再生計画を推し進める鉄道に、心ない悪戯をする輩がいるらしい。残念なことだ。

窓外の田園風景は三岐線同様。員弁川を挟んだ対岸を併走する路線だから当然かもしれない。遠くに三岐線の電車が見えないかと目をこらすが、見つけられなかった。

乗っている便の終点までの所要時間は丁度60分なのだが、西桑名を出て30分で路線図のおよそ三分の二、東員まで来てしまった。終点の阿下喜はここから四つ目で、それに30分もかかるとは思えない。時刻表を見ると、50分足らずで走る便もあるので、どこかで長々と停まるんだろうと思っていたら、やはり5分停車が二度あったが、後半30分は、駅間距離が長いのと、急カーブやアップダウンがあって速度が出ないということもあるようだ。
阿下喜に到着すると窓外には、塗装を落とした旧型電車と、その周りを走る豆電車、そして機械をいじくるおじさん達、という午前中と似たような光景が目に入った。


改札を出てそばに行ってみると、軽便鉄道博物館というもののらしい。建物はガレージといった規模だが、いろいろな展示物があって楽しい。


じっくり読んでいると、豆電車に乗せられかねない様子だったので、早々に辞去した。幸い、購入したパンフレットに、展示物の内容は全て載っているようだった。
それにしても、今や稀少なナローゲージで、乗ってみればこんなに面白いのに、今ひとつ知名度が低いのはちょっと不思議だ。三重県は、伊勢志摩なんて超メジャー観光地に慢心せずに、こういう観光資源も大事にした方がいい。三種類のゲージを渡ることができる踏切、なんてものもあるらしい。軽便博物館の壁新聞に書いてあったもので、帰宅後かみさんに教えられた。「青い花新聞」と称するこの新聞、地元の小学生の手によるものか。

予定より一時間早く本日の乗りテツは終了し、大阪のかみさんの実家へ急ぐ。一応、今回の旅行は帰省なのだ。あまり遅くなるといけない。四日市インターで逆方向に乗ってしまい一旦降りてUターンしたり、京都南から5kmほど渋滞したりしたが、途中の新名神がなかなか快調で、2時間ほどで吹田インターを降りた。
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