先週の三連休初日はえらい雨だった。息子が初めて一人で奈良に来ることになっていたが、大幅なダイヤ乱れで乗るはずの新幹線がいつ出発するかわからない状態。この日はもう来られないだろうと高をくくって、実家の雨仕舞を確かめに行っている間に線状降水帯到来。一方、息子は東京駅に向かったと連絡が来て、焦って大雨の中、家に戻ろうとしてあっという間に膝から下がびしょぬれになってしまった。そのくせ電車の写真はちゃっかり。このはしゃぎようは、どっちが子供だかわからない。
先週の三連休初日はえらい雨だった。息子が初めて一人で奈良に来ることになっていたが、大幅なダイヤ乱れで乗るはずの新幹線がいつ出発するかわからない状態。この日はもう来られないだろうと高をくくって、実家の雨仕舞を確かめに行っている間に線状降水帯到来。一方、息子は東京駅に向かったと連絡が来て、焦って大雨の中、家に戻ろうとしてあっという間に膝から下がびしょぬれになってしまった。そのくせ電車の写真はちゃっかり。このはしゃぎようは、どっちが子供だかわからない。
なんで今まで乗ってなかったのかが不思議な水間鉄道に初乗車。夕方に行ったのは、水間観音で18時からのプロジェクションマッピングも見る魂胆だったのだが、待ちきれずに帰ってしまった。。
羽衣から高師浜までわずか2駅のこの路線の存在をこれまで全く知らなかった。読み方すら。「たかしのはま」は高石と同じ語源なのかもとか邪推する。
この春、南海本線の羽衣駅付近の高架化と併せて、この線の羽衣から伽羅橋の一駅分の高架化も完成。工事中の3年ほどはバス代行だったそうな。2両編成が1時間に3、4本往復するだけの線で、そのまま永久にバス代行にならなかったのは、大正時代からの歴史ある路線ゆえか。終点の高師浜~伽羅橋の方が、昭和45年に先に高架化されていたのも不思議。交差する府道(当時は国道)の渋滞解消のためだったと南海のサイトにあった。
いざ乗ってみたらあっという間に終点。帰りは歩いてみた。高架化が完了したばかりの地べたには、ぽっかりとした空間がまだいたるところにあって、不思議な景色。
今年は息子と二人で。去年は行くのが早すぎて始まるまで暇だったものだから、今年はギリギリに行ったせいで焦ってしまい、撮影場所をしくじった。
去年の反省むなしく成果は低調。花火と電車のタイミングが今年はよくなかったかも、なんて負け惜しみ。。。
粟生から鈴蘭台に戻ってこんどは三田方面へ。
田園のローカル線といった風情の粟生線に対して、こちらは山の中のニュータウン路線。
ウッディタウン、三田、有馬温泉の順に乗って、有馬口で日が暮れた。
まだ酷暑だった9月半ばの三連休、神鉄に乗りに行ってみた。仕事で一駅だけ乗る機会があったので全くではないが、ほぼ初めて。
神鉄の電車は新開地発着だが、路線の起点は一駅先の湊川。炎天下ではあるが一駅散歩。湊川公園の大ガードの下にレトロな風情の駅入口があった。
一日乗車券を買ってまずは鈴蘭台へ。町と町のわずかな間に駅が廃止されるほどの秘境があるのは六甲が迫る神戸ならではか。登山鉄道のような急勾配を眺めてから鈴蘭台の駅の外へ。駅前も坂道。
鈴蘭台からは粟生方面と三田方面に分かれるが、まずは一時間に一本の粟生線に。来たのは西鈴蘭台行き。少し待って次に来たのは三木行き。
窓外は強烈な青空。集落と緑が交互に現れて、車内が閑散としていく。三木では30分待ち。駅のまわりを散策するのにちょうどいい時間なのだが、あまりに暑くて危険行為だ。すぐ駅に戻ってきてしまい、待ちきれない思いに。
終点粟生は、JRと北条鉄道との接続駅。各線の列車が一斉に発着するようになっていて、束の間のにぎわい。
キハ40が待つ北条鉄道に、40年近くぶりに乗ってみたくなったが、今日は神鉄に専念することにしているので、すぐに折り返し。
酷暑の土曜日、夕方近くなってからチャリで郡山まで。金魚池の水かがみを期待して。
高校まで奈良で過ごしたのに、唐招提寺がこの辺にあるのを知らなかった。。
鶴橋で鮮魚列車を初めて見た。鮮魚列車といえば、昔の近鉄の赤茶一色に白線の地味なやつ、と思ってたのに、こんなイラスト満載になっていたとは。ググってみると正確には、鮮魚運搬専用列車、伊勢志摩お魚図鑑というらしい。扉が開くや、ホームで待ち構えていた業者らしき人が中から発泡スチロールの箱を持ち出して、改札へ一目散。とはいえ、一両を割くほどの荷物は載ってなさそうだった。