【麻薬】パチンコ依存【癌】

米国政府の調査で麻薬、癌といわれているギャンブル・マシーン。パチンコの問題で調べた事、考えた事を書いていきます。

ギャンブルの動機と関与・・・⑤

2010年02月09日 | パチンコ

サブカルチャー研究

社会的な帰属を生み出し、社会的な報酬を与えるギャンブルの力は、サブカルチャーとしてあるいは境界上の文化的な分野としてギャンブル環境を考える研究の中心にあります。
定期的ギャンブラーは、他の人々に会い、その結果、彼らの社会的接触の需要を満たすだけでなく、特定の、そして、複雑な文化的な規範に従って活動に参加します。
カジノか競馬場などのギャンブル空間に入るとき、個人は、普通の世界と彼らの毎日のアイデンティティを抜けだし、他のアイデンティティーを引き受ける異なった「世界」と一体となる[93, 101-104]。
Marvin B. Scottは、彼の本「Racing Game」において、競馬場での賭博者の下位文化世界での彼の観察を要約します:
…競場場は、それ自身小さな宇宙を構成します。
…プレーヤーの社会階級や他の背景的特徴は、この領域では関連性として除かれます。
…外部のアイデンティティが除かれるだけではなく、プレーヤーが新しい技術と合理性を試すのを許容することによって、競馬は新しいアイデンティティを発生させます。
競馬場で、画家としてのサミーは、予想屋よしてのサミーになります。
なぜなら、競馬場での個人は、同様に夢中になった他の人々の面前で演技に夢中になるので、彼の「意識野」の現実は確認され、明確さと明暸さをもって彼に迫ってきます。
言い換えれば、経験された現実は、完全に承認された現実です。(p.113-4、italics in original)

ある個人にとって、ギャンブル世界は、ゴッフマンの定義の意味における「演技」と規範と社会的相互作用をともなって、日常世界として望ましく見えるかもしれず、そして、そこで多くの時間と、結果として多くのお金を費やすことを動機づける。
ギャンブル関与に関する医学の観点から、そのような人々は「病的賭博者」であるとみなされそうですが、社会学の観点からは、彼らはゲーミング開催地の定期的メンバーにすぎません。

John D. Rosecranceは、かれの著書「The Degenerates of Lake Tahoe(タホ湖の退廃)」の中で、そのような非常に高関与の賭博者を描写し分析しています。(競馬ギャンブル社会での固執の研究) [106]。
本のタイトルは賭博者が自らを「退廃」と呼ぶことに関連します:
クリスマスイブにさえ、彼らは、馬に賭けるためにネヴァダ州サウス・レイク・タホのHarrahの馬券売り場に集まります。
ローズクランスは、長期的にみると多くのお金をなくすにもかかわらず、賭博者のグループに属するという社会的なアイデンティティが、これらのギャンブラーがギャンブルに固執する主な理由の1つであると主張します。
その結果、ギャンブルの社会的な報酬が個人に牽引力を及ぼすと同時に、報われない、公然とした欲求不満による本流社会における日常生活でのギャンブラーの経験により、深くギャンブルサブカルチャーにかかわるようになる動機が強化されます。
この過程は、アメリカのカジノにおける、Grant Oceanの定期的なギャンブラ-研究の焦点です[107, 108]。
カジノは特有の価値、信念、および非公式の規範によりサブカルチャーを構成します [108]。
それは、社会的な差別、民族的帰属、および身体的障害と無関係な「正当な世界」です。
定期的ギャンブラーの中の主要な価値は、「システムを打ち破ること」と「連携」です。
ギャンブラーは、カジノに対抗する共通の利益をもつ平等主義者のグループとして自身を認識します。
時間がたつにつれて、個人は、頻繁なギャンブルのために自尊心を肥大させ、正の強化を構成するカジノの社会において別個のアイデンティティを進展させます。
定期的ギャンブラーに関して、カジノサブカルチャーは非常に報われるものであり、そして、彼らはその一部になるように多くの時間とお金を費やします。
同時に、定期的メンバの多くが、下層の社会的位置、低い信望、そして、わずかな友人しかいない外側の通常の世界に不満を感じ、ほとんど社会的な帰属を感じません。
その上、また、深くカジノギャンブルに係わるようになるとき、彼らは重度のギャンブラーである恥辱を受けます。
本流のアメリカの社会では、重度のギャンブラーであることは、ある種の精神的、個人的な問題を持っていると示唆されます。
これが、個人にとってカジノギャンブルのサブカルチャーから解放され、本流社会に再統一されることを困難にししにています。
したがって、社会的に取り残された人々にとって、カジノギャンブルは彼らが一般社会より価値ある人生を見出す避難所となっています。
Oceanは、本流社会から押しやられる社会的力と、定期的カジノギャンブルリングのサブカルチャーに向かって牽引する社会的力をまとめます:
「選択肢をあたえられると、人間は、自がより高く評価される社会的な状況に引き寄せられる傾向があり」 [107p. 328]。
人が本流社会への愛着を完全にあきらめて、ギャンブラーとしてアイデンティティを受け入れるなら、ギャンブルライフスタイルは、強奪による資金の調達や犯罪活動を必要とする生活スタイルにつながるかもしれません。
ギャンブルのサブカルチャーにおいて、個人は、ゲーム(強奪であるかどうかは分からないが)によって生計を立てるか、または将来そうなるかもしれないと信じるかもしれません。
そうなると、ギャンブルは、レジャーとして見なされるのではなく、むしろ仕事として見なされる傾向がある[93, 102, 103, 105, 110-113]。
近ごろでは、ポーカー専門家になるという考えは、スウェーデンや他のどこでもで、若年層(ほとんど男性)の間で、以前より、はるかに一般的になったように見えます。
こうしたことは、ポーカーのカジノや競技会やインターネットの上での現在の人気によって引き起こされ、ポーカーで財をなした個人をマスメディアが映し出します。
ポーカーのプロであることは、エキサイティングな経験と同様に良い収入が約束されます。
賭博のプロであると信じているか、またはそうなりたいと思っている個人による激しいギャンブルは、定義にたするいくつかの面白い疑問を引き起こします。
そのような個人は、ギャンブルに依存しているのか、単に仕事に精を出しているのか?

彼らの最終的な金額の損失を、彼らの経験と技術を促進するための投資として見なすことができるでしょうか?
お金の損失の問題については、ギャンブルサブカルチャーに関する研究で常に議論されます。
社会学的観点からみると、大きい損失は病的賭博行動の結果とは考えません。
典型的には、損失は、プレーの不十分な財テクと欠陥のある戦略の結果と考えられます [102, 115-117]。
心理療法の対象であるというよりむしろ、多くのお金をなくしたギャンブラーは、最適のプレーと戦略を賭ける際に教育されるべきです[108]。

いくつかの財テク欠陥が認められました。
「斜め上を行く(Going on tilt)」は、ギャンブラーが何らかのいらだたしい事態の変化のためにコントロールを失い、賢明なプレー戦略から外れる事を意味します。
「悪いリズム」は同様の考え方で、巧みにプレーする力に疑問がある、無謀で非制御のギャンブルを引き起こす一連の説明できない損失を受けるギャンブラーに当てはまります。

ギャンブル依存研究への関連性
サブカルチャー研究は、異なったレベルの関与について説明するためのギャンブルの社会的側面の重要性を強調します。
莫大な金額の損失と、多くの個人的な問題をもたらすことになる非常に高い関与は、個々の病理学よりむしろ社会的要因によってもっともらしく説明できます。
重度のギャンブラーの気質特性がギャンブル依存研究で明らかにされることであるなら、その結果、問題が本質的には心理学的である本当の病理学的なギャンブラーとサブカルチャーギャンブラーを区別するのは、重要です。
また、特定のサブカルチャーとギャンブル設定を結びつけるのは、そういったものに興味と興奮を感じるだろう軽微なギャンブラーの興味をそそります。
そのような設定に時間を費やすのは、一種の観光客のようなものであり、特定の形式のギャンブルに参加するための動機であるかもしれません。