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隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

核はダメ!~八月九日長崎の日に思うこと~

2006年08月10日 06時48分47秒 | プチエッセイ
■八月の大事な日
 広島原爆の日、長崎原爆の日、そして終戦記念日…。夏は大好きな季節で、真っ白い強烈な太陽の陽射しを浴びて、抜けるような濃い目の青空を見上げるときのクラッとくるめまいのような感じが好きなんだけど、そのところどころで、単純な夏のイメージをぶった切るような「大事な日」が八月にはあります。ふだんから意識している人はいいけど、やっぱり平和ボケといわれる私のような人間は、こうやってときどき立ち止まって考える時間も必要なんだな。

■「核はダメなのっ!」
 「今年の長崎市長による「長崎平和宣言」は「人間はいったい、何をしているのか」という、長崎の人々の怒りといらだちの声で始まりました。
 核軍縮は進まないどころか、世界のさまざまな場面で自国の威力をみせつけるためなのか、いまだに利用され、まじめに核廃絶を進めているようには思えない現状だ。
 日本でだって、最近は「丸腰じゃ国は守れないよ」という意見が幅をきかせて、エセ知識人も「ほんものの知識人?」という人たちも、私たちに進むべき道を教えてはくれないものね。
 理屈はいろいろあるだろう。単純に国は「いい子」ではこの地球上に生き残れないかもしれないし、感情論だけで解決できるほど簡単な問題ではないことはわかるつもり。
 でも、核だけは保有してはいけない、そんなもので国の威力を誇示するなんて低レベルなことを考えてはいけない…、そういうことくらいははっきりと言ってもいいでしょう。
 私たちはリアルタイムでは知らないけれど、でも世界で唯一の被爆国に生まれて、不十分ではあるけれどさまざまな悲惨な事実を報道や映画や本や新聞で知って、核が途方もない凄まじい悲劇を未来永劫、生み出すことを知っている。
 そのことをもっと広めていかなければならない、という使命をもっている国なのに、相も変わらず、この時期、「靖国に参拝するというのは選挙の公約、それは守らなくてはならない」なんて次元で、意味不明な「ワンフレーズ」会見を続けるやつを国のトップにすえている恥ずかしさ(怖さ?)を感じてしまう。
 今一度、確認しておこう。核を使ったら、すべては破壊されてしまう。奇跡の惑星といわれる地球が生き残るためにも、私たちは理屈じゃなく「核はだめ!」を浸貫いていかなくちゃならないんだと思う。

 そんなことを思って、長崎の日を、今年も見送りました。何かが見えてくればいいんだけど。

 追記:でも最近、思うんですよね。おかしな国が増えて、自分の国もだんだんおかしな国になっていって、どこかの大国を同盟国だと仰いで、「だってここには軍隊がないんだから守ってもらわないと困るでしょ!」とか言う人も増えて。そんななかで、戦争の愚かさ、怖さを主張し続けることのバックになんだか「もろさ」を感じてしまう。
 理屈じゃなく、最低限の土台にそういう「信念」(モラル?)をもっている人間が国の政治に携わることを求めるのは、甘いことなんでしょうかね。
 今のトップが変わっても、大したことない人間が後継者になるみたいで、悲観的だな。

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