隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

教師がきっかけをつくった福岡のいじめ事件~大人と子どもの責任

2006年10月16日 17時24分44秒 | プチエッセイ
 福岡の中学2年の男の子がいじめが原因で自殺した事件。この類の事件が悲しいくらい後を絶たない。今回は1年のときの担任の言動に端を発しているというから、ニュースを聞いた多くの人たちの怒りと驚きは計り知れない。
 報道によると、母親が、インターネットでアダルトサイトをみている息子のことでその教師に相談したこと(どんな経緯でかは不明だが)が始まりだとされる。そのことを信じられないが同級生にもらし、子どもたちは屈辱的なあだ名でその少年を呼ぶようになったという。

■誤解を恐れずに言うなら…
 こんなことは今ここで言うべきではないと思うが、母親がそういうことを教師に話したことがまず残念だ。成長期にある子どもが性的なことに興味をもつのはごく自然なことで、それはむしろ親と子どもの間で処理してもいい問題だったと思えるのだが、どうだろうか。いちばん知られたくないことをいちばん知られたくない相手に明かされてしまったと考えてもいいくらいだ。それは十代の頃の自分を思い返せば、誰にでも想像がつくことだと思う。
 たぶん母親も今はすごく悔やんでいると思うから、このことを大きくとらえるべきだなどとは言わない。だって、問題はそのことを少年の同級生にもらしたという、許されるべきではないその教師の行動なのだから。
 ただ、大人は往々にしていろんな過去を忘れてしまう。ちょっと想像すれば思い当たることがたくさんあるはずなのに、親として、教師としての今の自分の尺度だけで子どもたちを推し量ってしまう。そんなことは日常生活ではあちこちに転がっている。想像力の欠如した大人に、教師になる資格は絶対にない。そして親に対してはそこまで厳しいことは言えないけど、でも親として成長していく間に、実は人としての、かつての自分にはあったはずの瑞々しい感性を失っていくとしたら、それはとても悲しいことだと思う。


■ここまで何を考えて教師をやってきたのか
 問題の教師は47歳で、今年からは学年主任も務めていたという。子どもたちを「イチゴ」にたとえてランク付けをしていたとか、太った生徒の習字の課題に「豚」という字を与えたとか、報道で流れていた。その真意は不明だが、その事実だけ聞いても、子どもの向上のためにしていたなどという言い訳は絶対に通用しない。「豚」ってどういう意味なんだっ!! 自分の日頃の鬱憤を生徒へのいじめで解消していたのかと思われても当然の行為。
 こういう人間が教育者として長年の月日を生きてきた自体、犯罪だったと言っても過言ではないでしょう。もともとそういうやつだったのか、あるいは「先生、先生」と崇められて(おだてられて?)いるうちに、大事なことを忘れて勘違いの境地に至ってしまったのか。だって、普通の社会では、こういうことが誰にも非難されずに横行するなんて、あり得ないでしょ。
 「挨拶も普通にするし、穏やかそうな人でしたけどねえ」などど「ご近所」の人による人物評がテレビで流れないことを祈ります。普通に挨拶するなんて、人の良し悪しを計る尺度ではないんだから。
 法的な問題はさておいて、「あなたは教師として人として、犯罪を犯したのだ」と告げたい。


■まわりにいた大人たちの責任は重い
 記者会見で他人事のように話していた校長、その教師の同僚たち。彼らは今回のことに気づいてはいなかったのか。生徒にアンケートをとって初めて事実を知ったのか。そんなことはないでしょ。そんなふうに言う同僚がいるとしたら、それはごまかしか責任逃れか、後悔か。あるいは本当に気づいていなかったとしたら、恥ずべき怠慢です。「知らなかった」などと恥ずかしげもなく言えることが、もう教師失格かも。
 職員室での教師間のいじめとか、あるいは人の領域に踏み込まないという鉄則とか、知り合いの教師によれば、そういうことが実際にあるらしいことは想像できる。でも、それを言い訳にしたり隠れ蓑にしている時代はもう終焉ってことにしないと、学校はくだらない生き物ばかりのすみかになってしまう。そして、「やっぱり公立はだめだ」という評価を払拭できないままに、子どもを巻き込んだ受験の過熱と、教育における差別の巨大化を招くだけだ。
 教師が大変な職業であることを認めたうえで、それでも言わなくてはいけないと思うのは、子どもを守ることが、親の、教師の、そして大人の最低限の役目だと思うから。それをしないで、こんな悲劇が起こってから、「知りませんでした。ごめんなさい」ではすまないでしょう。

■子どもが背負うべきこと
 そして、実際にいじめという行為をしていた子どもたち、それに気づかなかった、あるいは気づいても「ま、子どものことだし、たいしたことないんじゃない?」「とりあえず、うちの子がいじめられてるわけじゃないし」と見て見ぬフリをきめていた(かもしれない)親たち。あなたたちが背負っていくものがいかに大きいか、ちゃんと考えてほしいと思います。年少の子の行為ではないのです。中学生といえば、もうわかっていいはずのことがたくさんあります。
 自殺した少年が弱かったわけではない。あなたたちのしたことがひどかったのです。たとえ先生がやっていたから、という理由があっても、そしてその意味はとても大きいけれど、それでも責任を逃れてはいけない。考えずに通り過ぎてしまったら、きっといつか後悔する。善良な人なら、きっと後悔します。そうならないためにも、自分のしたことをちゃんと考えて背負ってもらいたいし、そのフォローをそれぞれの親がしてあげてほしいと思うのです。
 大人の責任って、きっとそういうことなんだと、私もくだらない一大人として、ちゃんと受け止めなくちゃ、そう思っています。
 少年の冥福を祈るにはどうしたらいいのか、まわりの大人と子どもたちが考えていかなくてはならないのだと思います。
 そして、生きることは楽しいことばかりではないけど、生きていれば必ず喜びもある、いじめなんて低次元のことにうつつを抜かしたりしない大人や友人に出会える可能性もある…。そういうことを小さな心を痛めているかもしれない多くの子どもたちに伝えるにはどうしたらいいのか、私たちが考えなくちゃいけないんだと思うのです。


■最後に、私の恥ずかしい思い出を、自戒の念をこめて
 今回のことで思い出したことがあります。私の小学6年のときの出来事。
 私はある私立の小学校に通っていました。当時、班による行動が重要視されていて(そういう教育の方法って今でも健在だけど)、宿題忘れとか、遅刻の数を減らしていこう、なんてことを班ごとの競争にさせて、今思うと教師は楽してた?なんて皮肉りたくなっちゃうんだけど。
 T君という男の子は、あまり勉強も好きではなく、生活態度もマジメじゃなく(すいません、傲慢な言い方ですが)、今思うと班のお荷物だったんですよね。でもいじめはなくて、善良な女の子たちが彼を励まして宿題を手伝ったり、家に電話をかけて遅刻しないように促したり、今考えたら、ひょっとして「うざったい」ことをやっていたのです。ひょっとしたら、T君からしたら、一種の耐えがたい「いじめ」だったかもしれません。
 そうこうしているうちに、彼が何日か続けてちゃんと宿題をやってきたことがあったのです。そのときの女の子たちの喜びようを私はなぜかよく覚えている。実はその頃は一応優等生ぶっていた私だけど、なぜか理由は自分でもいまだにわからないのですが、3、4年生の頃宿題をまったくしない時期があって、内心、宿題を友達に強要(笑)する行為に少し違和感があったんですよね、うまく言えないけど。だから、そのときの「やったねー」「できるじゃない、T君」的な女の子の純粋な喜びをすごく印象的に覚えているんです。
 何年か前に母親から、小学校時代の通知票や写真の類を自分で保管するように言われて実家からもってきたことがあって、その荷物の中に6年生のときの「班ノート」たるものが出てきたのです。へ~、こんなものがあったんだ、と懐かしくて読んでみたら、そのときのT君と女の子たちの攻防?が、女の子たちの日記のような形で記されていました。T君はなんで宿題をしないの?から始まって、最後は「やってきたよ~、先生!」のようなうれしそうな文章で締めくくられていました。
 恥ずかしいことに、私の「T君だってやればできるのです」なんて傲慢な文章もありました(記憶にないというのは恥ずべきことです!)。違和感を抱いていたはずの私も、「T君救済活動」の片棒をかついでいたんですね。
 そして、ここで書きたいのは、そのノートに書かれた当時の担任の言葉。「T君は今までもそういうことを繰り返してきたのですから、本人がどこまで反省しているかは疑問です」というような、びっくりするくらい冷ややかな文章。
 その教師は私たちの母親と同じくらいの年齢で、いわゆるベテラン女性教師。厳しいけれど、怖い、という感じはなく、たぶん親にも子どもにも信頼されていた人だったように思うのです。でも、そういう言葉をなんのフォローも発していたんですねえ。それについては、きっとその教師の言うことが正しかったのでしょう。T君がそのまま更生(怖い言葉だ)したという記述はなく、再び本来の?T君に戻ってしまったわけですから。
 その教師の真意は、私などの想像を越えるもっと深いところにあったのかもしれないし、私たちの見えないところでT君への優しい心遣いがあったのかもしれない。それは知りません。
 私がショックを受けたのはそういうことでなかく、そのときの教師の冷ややかな文章を私がたぶんなんの違和感もなく受け止めてしまっていたということです。だって記憶にないんですから。中学生や高校生になっていた私なら、たぶん憤然と「なんて教師なのっ!」てな感じで怒ったはずだし(そういうことに異常に過敏な生意気な子どもでしたから)。
 そういう意味で、子どもって、敏感なようでいて妙なところで鈍いというか、人も痛みに気づかないというか、そういうところがあるんだなと。あのノートは当然T君も読んだはずだし、これをどんな気持ちで彼は読んだのだろうと、たとえ幼くても当時の私たちは感じなかったのか、と恥ずかしく思うのです。
 いじめの加害者である子どもたちに厳しいことを書いたけど、でも「気づくこと」「感じること」は大事なことなのです。人生の頼りない先輩として、それだけは言っておかなくては、と自戒の念をこめて。


 ちなみに、そのT君は、高校卒業後の初めてのクラス会に、工業高校を卒業後、父親の経営する工務店の見習いとして働いていると晴れやかに話していたそうです。私の友人の言を借りれば、「大学でのおもしろ話に終始していた他の男の子たちよりずっとかっこよかったよ」とのことでした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「まいったなー」ではすまな... | トップ | 空気~「白野」まで »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。