隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

凡庸な私にはわからんことだらけな毎日だ

2008年04月19日 00時43分07秒 | 日記
2008年4月18日 (金)

■残酷じゃない爆弾
 クラスター爆弾はアメリカ以外の大国でその破壊力の異常さから、破棄する方向へ進んでいるらしい。
 不発弾の被害で両手両足をなくした一般人や子どもの悲惨なようすをテレビで目にする。
 戦争はしないはずの日本がその全面撤廃には賛同せず、「部分的に」という姿勢を示しているのは、やっぱりアメリカへの遠慮?  アメリカの広大な土地を借りて自衛隊はそのクラスター爆弾の訓練をしている。
 どこまで主体性のない国なんだろうか。
 「抑止力」を盾に防衛的武器だと福田首相は言っていたけど、核の抑止力は認めないのになんでクラスター爆弾だけ「抑止力」? そのあたりの理屈が頭の悪い私にはとんとわからない。
 それと、破壊力のすごさから「クラスター爆弾は残酷な武器」と言うなら、どこに線をひいて、「ここから先が残酷エリアで、ここまでは防衛的武器」と決めているのだろう。
 凡庸な私にはわからないことだらけだ。誰かちゃんと説明してほしい。
 
■こっちはわかる 
 今朝の新聞の見出しに「憲法9条は生きていた」の文字が躍っていた。「イラク派遣は違憲」の判決を下した名古屋高裁の判決。
 「イラク派遣差し止め」は却下されたわけだから敗訴、ということで、原告が控訴しなければこれで終わり。そして「イラク派遣は違憲」は判例として残る。
 これは、派遣先が非戦闘地域ではなかった、という理由がとてもわかりやすい。
 日本はどこまでアメリカにくっついていくんだろう。そしていつ、世界の流れから大きくはずれたことに気づいて愕然とするんだろう。
 理屈じゃなく、凡庸な私の感情論にしかすぎないんだけど。


■「同じ仏教徒として…」
 善光寺が聖火リレーの出発地点を辞退したとか。
 コカコーラとかは宣伝効果があまりないので、という理由をあげて辞退を表明していたけど、善光寺の住職?の発言は明快ですっきりしていた。
 「チベットで同じ仏教徒がツライ目にあっているのに、聖火リレーに参加するのはどんなものだろうかと考えた」と。
 もともとはベルリンオリンピックのときにナチスドイツの威光を示すために行ったのが聖火リレーのはじまりだとか。
 正体がイマイチ不明な屈強な青シャツのお兄さんたちに守られて、火を消してはバスに乗り降りしたりして、あんまり意味がなさそうなパフォーマンスのような…。
 スポーツが政治に左右されるのはどうかな、とも思うけど、完璧に切り離せるかっていうと、それもどうなんだろう。
 なんだか大きく派手になりすぎて、ちょっとついていけないかな。かつてはもっとチマチマした祭典だったんだろうに。
 国の威信をかけて…なんて空気が感じられると、私なんかはさ~っとひいてしまう。あんまり「メダル、メダル」って言うのもね、なんだかなあ。
 「たかがスポーツ」っていう感じ? それがいちばんしっくりきて楽しいんだけど。熱くもなれるし。

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