隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

「小さな音楽祭」スピッツ・インタビュー~「陸前高田災害FM」

2014年10月06日 17時48分21秒 | スピッツ

2014.10.6  9:00-10:00
『情報every・陸前高田』
 by 陸前高田災害FM80.5MHz
 http://rikuzentakata-fm.blogspot.jp/

 2名の女性アナウンサーによる地元に密着した番組で、昨日の「小さな音楽祭 in 陸前高田」のようすがレポートされました。
 
 アナ「曇ってはいたのですが、どうにか雨も降らずに行われました」
 地元のアーティストのライブ、かわいい保育園児の「恋するフォーチュンクッキー」(ふりつきでかわいかったそうです)、そして高田第一中学3年生の合唱などが披露されたそうです。
 高田一中は「ふるさと」「校歌」「市民歌」(これは地元の方々が、懐かしい・・・と感動されていたそうです)などのほかに、スピッツの「空も飛べるはず」を合唱。
 
 「2011年以来、高田に戻ってきてくれたスピッツがすばらしいライブを届けてくださいました。本当はアンコールは1曲だけだったんですけど、実は、会場があまりにも盛り上がったので、一中の中学生も笑顔で盛り上がったので、『今日やった曲でもう一度聴きたい曲はありませんか』と、最後にもう一度『空も飛べるはず』をやってくださったんです」
 
 合唱後のインタビューでも、「毎日練習した」と生徒さん。
 指導の先生は、「スピッツの演奏のときは、先生であることは忘れて楽しんでしまいました」と。

 

 そして演奏を終えたスピッツにもインタビュー。
 アナ 「今日は本当にありがとうございました」
 ス 「ありがとうございました!」
 アナ 「陸前高田に来てくださったのは、2011年6月の高田高校の仮校舎のライブ以来ということですが、今、終えられていかがですか」
 草野 「やっと来れたな、と。3年もあいちゃったのが、逆にずっと気になっていたので。とてもあったかく迎えてくださって、ライブ自体も楽しくできました」
 アナ 「高田の町の印象は3年たっていかがですか」
 テツヤ 「もともとの町は知らないんですけど、(3年前は)ここに町があったのかと信じられなくて。ガレキだらけの町だったけれど、だいぶきれいになって・・・」
 草野 「これからもっと新しく活気のある町になっていくのを見届けたいというか、見たいなと思っています」
 アナ 「陸前高田は夜9時くらいになると夜の12時くらいに真っ暗で何も見えなくて、今はスズムシが鳴いているんですけど。娯楽がないなかで、皆さんがこうやってライブにきてくださるというのは本当にありがたいなと。そしてなにより学生のみなさんが楽しそうにみていらしたんですけど、ステージからご覧になっていかがでしたか」
 田村 「普段のライブは自分たちのお客さんが来てくれるんだけど、今日はいろんなお客さんがいて。スピッツが好きじゃないっていうか、興味がない人もいるだろうなあと思って、そんな中でできたのは幸せだった。とくに、前で見ていた中学生の表情がすごくおもしろくて。すごく無邪気に楽しんでいる子もいるし、なんだスピッツかよ!っていう子もいて(笑)。自分としても、気持ちはよくわかるから。そういうのを含めて、幸せな気分になりました」
 アナ 「高田一中のみなさんもスピッツのみなさんが来られるということで、毎日『空も飛べるはず』を練習したそうなんですけど、いかがでしかた」
 草野 「いやァ、すばらしかったですね。あの人数でいっせいに、というのは。中学生というのは、声が澄んでいて、それがたくさん重なり合うというのはすごいパワーというか。スピッツにはない若さが・・・(笑)」
 (爆笑) 
 テツヤ 「もうね、過ぎ去ってしまったから(笑)。何十年も前に」
 田村 「もっていたはずなんだけどね(笑)。そういうことを思い出した・・・」
 崎ちゃん 「あと、保育園の子たちも素晴らしかったね」
 テツヤ 「もっとさかのぼるのね(笑)」
 草野 「primitiveなビートというかね(笑)。よかったね」
 アナ 「そんなお子さんもいれば、ばあちゃんたちもみんな聴いてらして。音楽があると元気になるみたいですよ」
 草野 「ご年配の方でも楽しそうに聴いてくださっているのを見て、オレらもバンドとして勉強になるというか・・・。これから続けていこうというエネルギーの源にもなりますし、ほんとうによかったですね」
 アナ 「復興にはまだ30年、40年かかると言われていますので、またこうやって来続けていただけたらなあと思います。代表して草野さん、市民のみなさんへひと言、お願いできますか」
 草野 「高田とも大船渡とも、知り合いの知り合い、というようなつながりができて、縁だと思っていますので、この縁を大切にして、また来れるように、ボクらも頑張ります。よろしくお願いします」

 最後の曲(2回目の「空もとべるはず」)のとき、ステージ斜め前のプレハブの鶴亀寿司さんの窓の下に「あ・り・が・と・う・♡」と書かれた紙が貼られ、最後は紙テープも舞って、それをメンバーも見届けたそうです。
 青年会のみなさんは仕事をしながら準備を重ね、当日は警備も担当されたそうです。
 マイクやスピーカーなどの機材は、東北ライブ大作戦のみなさんが貸し出し、設置をきょうりょくしてくれたということです。

 タイトルは「小さな音楽祭」だけれど、市民のみなさんの力が結集した「大きなすばらしい音楽祭」だったと。

 落ち着いた優しい声のアナウンサーの女性のしゃべりにちょっと癒されました。
 インタビューするときには少し地元のアクセントもまじって、それもとてもステキだったなあ。



★臨時災害放送局とは?

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%99%82%E7%81%BD%E5%AE%B3%E6%94%BE%E9%80%81%E5%B1%80

 陸前高田災害FMの開局は震災の年の12月10日で、2年ごとに放送の免許が更新されるそうです。 

 また、岩手日報のサイトにも、以下のような記事がありました。

 http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20141006_4 


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