2017.3.11(土)
■ 忘れないために
あの日、私は何をしていただろう。
この日が近づくと、それを思い出す。
震災の被災地から遠く離れた私の街で、普通に仕事をしていて、生まれて初めて、とも言える激しい揺れに襲われた。あのときの怖さ・・・と言うのは、あのあと見聞きした悲惨な実情を思えば、おこがましいのだけれど、それでもやっぱり恐ろしい一瞬だった。
電話が通じなくて公衆電話を探しに外に出たときの暗い通りと不安な気持ちも思い出す。
その実際の恐怖は年々記憶が薄くなっていくのが人の常だから、その感覚が遠ざかっていっても、「怖かったんだ、たしかに怖かったんだ」という言葉で記憶を保存するようにしている。
そして、そういう時間が通り過ぎて、もう6年になる。
追悼式でも「復興は進んで・・・」という言葉が多く聞かれたけれど、被災地の皆さんの言葉にはもっと複雑なものがある。国の中央で語られるものと、実際にあそこで生きている、暮らしている人たちの思いの温度差は、むしろ深く大きくなっているのではないか、そんな気がする。
特に福島の現状・・・。避難指示が解除される区域は少しずつ増えていって・・・と語られていたけれど、現実には帰りたくても迷っている人が大多数だ。先が見えない、と話されている人の表情にはやりきれない思いがにじむ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170310/k10010905191000.html
■「一人分を生きればいい」
http://www.kahoku.co.jp/special/spe1062/20170311_10.html
津波の映像を見て、活動ができなくなったミュージシャンもいた。
繊細とは無縁なはずの我が相方は、「わかるよ」と言っていたっけ。彼も実は津波を映像をテレビで見過ぎて、それ以来、その類の放送は見られなくなっていた。
遠く離れたここでも、そんなふうな経験をした人がいる。
それを思えば、家族全員を亡くした三浦美咲さんがどんなふうにここまでしっかり生きてきたのか。想像するだけで胸が震える。わかる、なんて言えない。私の想像なんて軽く越えてしまう日々だっただろう。
「人生は1人分。あなたの人生を生きればいいのよ」
なんて温かく、そして力強い言葉だろう。
そう、あなたの人生を歩けばいいのだ。家族はきっとそれを望んでいる。きっとそうだと思う。
最新の画像[もっと見る]
-
『病院ラジオ』の朝 1週間前
-
『病院ラジオ』の朝 1週間前
-
オールリクエスト!~ファッションで影響を受けたアーティスト漫遊記 PART① 2週間前
-
「突き破っていけ♪」~「ヤマブキ」 2週間前
-
毎年変わらぬ景色 2週間前
-
毎年変わらぬ景色 2週間前
-
毎年変わらぬ景色 2週間前
-
最後の恐竜? エモで漫遊記 3週間前
-
初めて見たグリーン♪ 4週間前
-
初めて見たグリーン♪ 4週間前