隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

愛国心って?

2006年04月18日 00時41分58秒 | プチエッセイ
■盲目的に愛することの怖さ、愚かさ

 「愛国心」という言葉をあちこちで目にするようになったような気がする。少し前までは(70年代?)、インターナショナルの精神から、むしろ国に対する意識よりもっとグローバルなものが求められていたような気がするのだけれど。愛国心というと、「平和」のイメージより、「自国を守る=戦争や侵略」などという負のものを連想してしまうような…。
 でもいろいろ調べてみると、もともと愛国心には、自分が帰属する国や地域への忠誠心という熱の入ったものから、生まれた場所への郷愁、懐かしさといった淡い心情まで、かなり幅広い意味があるらしい。
 教育の場で「愛国心を育てよ」という少々曖昧な怪しげなことが要求されるようになり、先日も「教育基本法」でそのあたりをどう表すかで論議されていたけれど、美しい空虚な表現で「国を愛する心を育てる」と言っても、それはいったいどういうことなの?と問われると、それは非常に難しい。温度差がかなりあることは明らかなのだから。
 また、「国を愛する」なら、この国を脅かすような事態になったときには国を守る=他国と戦う、というふうにひっぱられはしないか。そういう愛国心をどの国の国民も抱いたとしたら、もう地球は滅亡だ。だって「愛国心」は正義じゃないんだから。それは単に国単位のわがままにすぎないんだから。その国にとって正しいことがほかの国でも正しいなんてことはありえない。国によって利益は相反するのは自明の理だ。
 それでも「愛国心」をどうしても育てたいんだとしたら、淡い心情のほうでいきましょう。生まれたところへの愛着、懐かしさ…、その程度でいいじゃないですか。
 そして、肝心なのは、そういうものを子どもたちの心に芽生えさせることを表面に出した教育ほどくだらないものはないということだ。「君が代」を起立して歌え!というのと同じくらいくだらない。
 私たちはさまざまな出来事や政治の成り行きや社会の動きを経験し、この目で見たり感じたりして、その中から自分の国を考え評価していく。そういうことが冷静に深みをもってできる人になるために、きっと教育を受けていくのだ。そして、盲目的に愛したり、愛することを強要されたりするのは恥ずかしく愚かなことで、むしろ国や政治家がヘンな方向に進んでいくと気づいたり疑問に思ったりしたときに、それを阻止すること、それに抵抗すること…、それがたぶん「マジで国を愛すること」なんだと、知っていたいと思う。そして、そういう教育ができるような成熟した国に生きていたいと思うのだ。
 そういう意味で、この国は決して大人の国とは言えないのだろう。

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