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移ろいゆく日々と激動する世界

ムハンマドの戯画と「表現の自由」

2006-02-10 06:24:06 | 多様性
 テレビから突然、怒り狂うイスラム教徒の映像が流れてきた。イスラム教最大の預言者ムハンマドを汚されたことに対する民衆の怒りだった。
 私はイスラム教はもとより、宗教とは縁遠い人間なので、この戯画に対するイスラム教徒たちの本当の気持ちは理解できていない。もちろん、暴力はいけないことだとも思う。しかし、その姿を描くことさえ許されない聖者ムハンマドの頭に、原爆のターバンを巻きつけた戯画に底知れぬ悪意を感じたのは、私だけだろうか。
 この悪意に満ちた表現が、デンマークの右翼系新聞社の個的な仕業だと思っていたら、なんとデンマーク政府までもが「表現の自由」の問題だといって擁護したのだ。デンマークと言えばヨーロッパの中でも弱者に優しく、とりわけ人権を大切にする国だという認識があったし、今もその認識はかわらない。そのデンマークをしてこの暴挙を「表現の自由」と言わしめたのだ。もし、デンマーク領事館を焼き払う暴徒たちが「これは俺たちの怒りの表現なのだ」と言ったら、それも「表現の自由」として許容するのだろうか?
 もちろん、表現の自由は大切だと思う。できるならタブーはなくした方がいい。強硬に核兵器を持とうとしているイランを非難したい気持ちもわかる。スペイン列車爆破を初めとする一連のテロ事件などで、日本よりはるかにイスラム過激派と身近に接しているヨーロッパの人たちのいらだちも理解できる。それでも、イスラム教そのものを否定するような戯画を「表現の自由」と呼ぶことには賛同できない。作者がどこまで意識していたかはわからないが、この戯画から読み取れるのは、相手の存在(イスラム教)そのものを否定しようとする強い意志である。
 冷静に考えてほしい。テロリストが生まれるのは、イスラム教やイスラム社会のせいだけなのだろうか? 彼らを孤立させ、富を搾取するわれわれに責任はないのか?
 イスラム国家に敵対的で、世界最大の核保有国アメリカの脅威に対し、ささやかな核兵器で身を守ろうとするイランを、核を持とうとしているその行為だけで悪者呼ばわりできるのだろうか?
 ところかまわず独善的な正義を振りかざし、気に入らないヤツは叩きつぶすというアメリカ流が蔓延し、このところ世界が殺伐としてきている。イランは戯画の報復として、ユダヤ人のホロコースト戯画コンテストを実施するそうだ。
 この事件を契機に、小さな地球で多様な考えを持った人たちが共存してゆくために何が必要か? 真剣に考え直すことを切に願う。




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