goo blog サービス終了のお知らせ 

Here and There

移ろいゆく日々と激動する世界

あるミュージシャン

2006-04-10 23:29:10 | 

 重い話題が続いたのでここで、ちょっぴり楽しい話題。
 写真の人物、誰だかわかりますか?

  彼の名はダグラス・ワキウリ氏。この名前を聞いてすぐにわかる人は、ある程度、年配の方かもしれない。
  ワキウリさんはソウル五輪の銀メダルはじめ、'80年代から'90年代にかけて世界の名だたるマラソン大会のタイトルを総なめにした世界的なランナーです。ワキウリさんの国籍はケニア、しかし、マラソン修行を積んだのは日本のSB食品。名匠中村監督の下で、あの瀬古選手らと一緒に育てられ、ケニア人の身体能力と日本人の精神力を持つ男と世界から恐れられた名ランナーだ。
  そんなわけでワキウリさんは日本語がペラペラ。競技引退後、得意の日本語を生かして、ケニアで日本人や英語圏の旅行者たちのガイドや撮影のコーディネーターをしていた。私が知り合ったのも2年前、NHKの仕事でケニアに行ったとき、コーディネーターをお願いしたのがきっかけだった。
 先日、日本電波ニュース社のKプロデューサーからワキウリ氏が日本に来ているという連絡をいただき会いに行った。なんと彼は、日本で音楽活動をするため、これからは日本に住むとのこと。
 実は私も彼の音楽センスと言葉の感覚の素晴らしさには注目していた。彼の代表曲「ガンバレ」は、私の番組の中でも長時間使わせてもらった。この曲は、日本語とスワヒリ語の混ざり合った歌詞で、ロードワークをしているような不思議なテンポの曲だ。貧しさから抜け出そうとに必死に働き続けるケニアの人たち、豊かさを手に入れた後も命を削ってまで働く日本の人たち。二つの国の現実をつぶさに見てきたワキウリさんならではの、両国の頑張って生きる人たちへの応援歌になっている。
  ところでケニアは何でマラソンが強いのか知っていますか?
 貧乏人のスポーツというと、まずサッカーがあげられる。ボールと空き地さえあれば誰でも始められるからだ。しかしマラソンは、ボールさえ買えない貧しい人たちが、身体ひとつで始められる究極の貧乏人のスポーツなのです。そして、貧しさゆえ教育さえまともに受けられないケニアの若者たちが、富と名声を手に入れることのできる最善のスポーツでもあるのです。
 ケニアのスラムにゆくと、明日のワキウリさんやヌデレバ選手を目指し、裸足で道を走り続ける若者たちの姿を見ることができる。身体能力の高さや、足を使わざるをえない生活条件もさることながら、こうしたハングリー精神こそがマラソン王国ケニアを支えているのがわかる。そんなケニアの人たちにとって、ワキウリ氏は文字どおり、偉大なヒーローなのだ。
 CDの売り上げの一部は、ナイロビのスラム、キビラ地区の人たちのために使う予定だということ。ガンバレ!ワキウリ!

ワキウリさんの音楽のオフィシャル・サイト
 http://park8.wakwak.com/~miru/page014.html


加害を語る

2006-03-22 04:14:32 | 

 先の日中戦争での自らの加害体験を語る元日本兵は驚くほど少ない。昭和十五年に徴兵され、5年近くにわたって中国で戦った金子安次さん(86)は自らの加害行為を語る数少ない語り部のひとりだ。金子さんの凄い点は、加害行為の中でも、とりわけ誰も語りたがらないレイプ体験を語る点だ。
 殺人行為については数が少ないものの語ってくれる人はいる。そもそも兵隊の職務は敵兵を殺すことであり、殺人は上官の命令で行ったという自分自身に対する言い訳もできる。子供は将来の敵になる、女は子供を生む。だから殺し尽くせ、という命令は上層部から下されていたそうだ。しかし、強姦は別だ。どう言い訳しようが、個人の欲望に根差したものだからだ。
 「昼間のうちにいい女に目をつけておいて、夜襲いに行く兵士もいた。頑強に拒んだ女性には膣に棒を押し込み、子宮を切り裂き、油をつけた綿を押し込み燃やしたこともしばしばあった。」
 金子さんの話によると、民間人に対する殺戮と性的虐待は日常的に行われていて、これに加担しなかった日本兵は、少なくとも金子さんの知る限り、ほとんどいないという。しかし、こうした日本軍の暗黒な側面はほとんど表ざたになることはない。自らの加害行為に多くの人が口を閉ざしてきたからだ。
 戦後、シベリアに5年抑留され死の強制労働に従事させられた金子さん。その間、天皇陛下の命令で行ったのだから、いつか天皇陛下が助けてくれると思い続けていたという。しかし、現実には金子さんは見捨てられ、その上、彼に命令を下した上官たちはジュネーブ協定に従い、早々と帰国していった。
 金子さんが加害行為を語るようになったきっかけは、その後、中国の戦犯収容所に送られてからだ。初めは上官の命令でやったと主張していた金子さんたが(事実、上官の命令で殺戮を行ったのだが)、行為を行った自分にも、兵隊として、点数を稼ぎたいという功名心があったことに気づいたときからだという。
 戦犯として中国でさらに6年間を過ごし、1955年、ようやく日本の土を踏むことが許された金子さんを待ち受けていたのは、差別と偏見だった。共産主義国家に延べ11年も抑留されていた金子さんは共産主義に洗脳されているにちがいないと、どこの会社も雇ってくれなかったのだ。仕方なく、ゴミ拾いで生計を立ててきたという。
 2000年、従軍慰安婦問題を裁く女性国際戦犯法廷で、金子さんは証言台に立った。金子さんの願いはただひとつ。彼の人生を翻弄した戦争をこの地上から根絶することだ。次の世代に、自分の受けた苦しみを二度と繰り返させないために、命の続く限り、戦争の真実をありのままに伝える「語り部」であり続けようと考えている。