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移ろいゆく日々と激動する世界

多様なキリスト教

2006-05-03 17:09:11 | 多様性

 ここのところキリスト教の周辺が騒がしい。
 古代エジプトのコプト語で書かれた「ユダの福音書」が発見されたり、神の子イエス・キリストがマグダラのマリアの子を生んでいたという仮説「ダビンチ・コード」が映画化されたり、キリスト教の根幹を揺るがすような議論が巷でなされている。もちろん2000年の風雪に耐えてきたキリスト教がそんなことで揺らぐはずはないのだが、私たちが世界標準と考えていることの多くの事象に、欧米のキリスト教的世界観が大きな影響を与えていることを考えると興味をそそられる話題だ。
 そんな中で、4月28日からCS「ナショナル・ジオグラフィック」チャンネルで3夜連続放送された「シークレット・バイブル」は、初期キリスト教の知られざる情報(私が知らなかっただけかもしれないが)を満載し、興味深いレポートになっていた。
 世界最大の宗教キリスト教も、2000年前は当然のことながら新興宗教だった。イエスの死後、キリスト教生成期のローマ帝国の版図には、キリスト教に酷似した新興宗教が乱立し、しのぎを削っていた。中でも新約聖書に邪教として登場するシモン教は、当時、キリスト教以上の人気と勢力を持っていたそうだ。
 また、現在はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つしか認められていない福音書も、キリスト教成立当初は30余りあり、今回発見されたユダの福音書もその一つと考えられている。
 古代エジプトで生まれたという一神教の流れはユダヤ教、キリスト教、イスラム教と受け継がれてゆく。その間、それぞれの宗教はその出自を隠すためデフォルメされ、多くのミッシング・リンクが存在する。
 たとえばキリスト教の創始者であるイエス・キリストは当然のことながら元々はユダヤ人の家に生まれたユダヤ教徒だった。褐色の肌をしたセム系のユダヤ人であったイエス・キリストがいつから白人として描かれるようになったのか、そして、割礼の習慣のあるユダヤ教徒であったキリストの像が、いつから包茎になったのか。以前、劇作家の寺山修司氏が何かの本で書いていたが、たいへん興味深い。
 もちろんイエスの思想はユダヤ教の根幹を否定するもので、全く別の宗教になる萌芽はあったものの、初期キリスト教は多くの点でユダヤ教的世界観を共有していた。そしてキリスト教成立の過程は、このユダヤ教との決別に最大とまではいわないまでも、大きな力点が置かれていたようだ。「ユダの福音書」が正式な教典(新約聖書)からはずされたのもこのような経緯と関係があるようだ。
 この福音書では裏切り者ユダは、実はイエスの最大の理解者で、イエスは最も信頼しているユダに、あえて自分の居場所をローマ軍に密告するように命じ、捕らえられ、虐殺されることによって自分の思想を成就させたと伝えている。
 この記述は、正統教会から異端として退けられたグノーシス派の思想と酷似していることから、今回発見された福音書もグノーシス派のものと考え、ローマの法王庁はあまりまともに取り合っていない。また番組の中でも深入りはしていない。
 しかし、イエス・キリストがユダヤ教を熟知していたこと、布教の対象の多くがユダヤ教徒であったを考えると、イエスががユダヤ教の教典、旧約聖書の救世主観(迫害による死と再生)を自ら演じた可能性は高く、たまたま裏切り者が出たので殺されたというより、イエスが自分の人生を完結させるため、自らの意志でユダに裏切らせたと考えた方が自然であるような気がする。
 一時は正統教会以上の力があったグノーシス派も密教的要素が強かったため信徒の獲得で正統教会に先を越され、異端として歴史の闇に消えていった。
 ナショナル・ジオグラフィック「シークレット・バイブル」は、厚みのある取材で、一神教の雄・キリスト教が、成立当初、多様性を持った宗教だったことを垣間見させてくれた。